命を懸けて歌うわたしの平成最後のアニバーサリーたち/2018年夏

 

現場台風現場台風の繰り返しで洗車できないまま夏が終わりました。先日更新したこの夏の遠征費まとめ(は以下のリンク)で言及していなかった、わたしのそれぞれの現場への所感まとめです。主に自分のための覚書になります。

 

moyashi1984.hateblo.jp  

目次

 

 

 

基本的に「レポ」という体裁をとることを諦めていますのであしからず。感想文。

関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST」

自担がひげを生やしたまま駆け抜けた思い出のツアーです。そうだっけ?

直近のシングル「応答セヨ」で始まり(ツアー開始時は)未発売の「ここに」で終わる、良いコンサートだった。生きていれば何度でも「torn」を見られるのかもしれない。やばすぎる。横山さんの歌う「ズッコケ男道」は、たまらなく希望でしかなかったよ。はあ、にしたって「NOROSHI」の錦戸亮ちゃん、すばるさんのパート引き継いであんな風に歌うんだからもうどうしようもないね。天才です。

始まれば7人にはもう会えないのだと思って泣いた初日開演前から、さまざまなことを考えているうちにオーラスを迎えて、オーラスかと実感したとき、これが終われば次のツアーは正真正銘「6人」なのかとどうしようもなく泣けてしまった。個人的には驚くほどにすばるさん不在への違和感を抱かなくなっていて、つくづくどれだけ自分が自担しか見ていないのかを思い知らされたりもした。と同時に、それはあまりにも薄情すぎないかと自分がいやになる。でも、きっとそれよりもそれぞれの未来に対する祈りのほうが大きくて、参加した札幌大阪名古屋と順にやすくんが動けるようになってきたのが見られたのも大きかったかもしれない。きっとなんの心配もいらないんだろうな、と思えた、あんな風に全身全霊を掛けて歌う彼らを見て。

ああ、それ、その全力で歌う姿勢が、彼のいるときにも当たり前のようにあったのならなにか違っていたのかなあ、とほんのちょっぴり脳裏を過ぎった疑念は、答えをもらえるものでもなくただのさみしさでしかないんだろうとは知っている。けれどきっと、これからさき、このツアーのように全身全霊を掛けて彼らが歌う限り、彼らの未来は絶対に安泰だろうと感じた。安泰という言葉ほど安泰ではないだろうけれど、揺らいだり揺らがされたりしながら、それでもきっとそのときどきの最善を尽くしてくれる、はず。

彼らが再三繰り返していた「6人の関ジャニ∞を見るのが初めてっていう人もいると思う」と、その初めてのひとたちに懇切丁寧に説明をしていく姿勢にはいつも胸を打たれた。複数公演入っているひとたちには、そういうムードはもう必要ないと感じるひとだっていたと思うけれど、そうはいっても、これは6人で初めてのツアーなのだ、と彼らが毎公演実感していた証なんだろうと思うとたまらなかった。複数入る人間がもうええやろ、と飽きるくらい頼むからずっとずっと初めてのひとに向けて同じように挨拶をしてくれ、頼むから、とずっと祈るような気持だった。せめてこのツアーだけは。

「自分の好きな人を見失わないで」とか「誰とどんな夢を見るかは自由」などという言葉を自担から聞いて、なんだかもうたまらなかったのはこちらの事情なのだけれど、見失わなかったからこそわたしはこの夏をこういう風に過ごしているんだと実感した。TLの外がきゃーきゃーうるさかった週刊誌に載るようなさまざまなこと、あちらは悪意や自己顕示欲でもって最悪のタイミングを狙い発露するのだとは知った上でそれが事実であろうともなかろうとも、わたしが彼を好きでいるのに必要な要素にはひとつも影響を及ぼさなかった。これを「信頼」と呼ぶのかもしれない。事実であろうとなかろうともし仮に少しでも彼自身に非があったとしても、それをファンのわたしが気に病む必要なんてきっとひとつもない。わたしが好きでいた彼の仕事っぷりはひとつも揺らがない。本人がわたしたちに見せてくれるものも、週刊誌が暴露することも、どちらもわたしにとっては100%それ以外の事実や事象はどこにも存在しないと言い切れるような代物ではなくて、だからこそわたしは、わたしが信じたいものを選びます、わたしの感性で。もし彼に悪いところがあったのだとしたらきっとそれは彼自身が自分で反省してくれるだろうし、という信頼があるので、こちらは正々堂々と「どうでもいい」と一笑に付すだけです。

一番最初のてろてろした生地のスーツが最高に好きでした。あと「BJ」のときの横長ぶちぬきのモニター映像。純粋に錦戸亮ちゃんの顔の良さに死にかけていた数々の公演。ほほえみコンビの視線で笑うさまに敏感に殺されるタイプのオタクなので、バンド時に目線があんなに合うということにいろいろな意味で情緒を殺されてしまった。細かいことはツイッターで散々言い散らかしたので、このツアーに対するわたしの所感だけ述べておく。

オーラスでの錦戸亮ちゃんの挨拶、泣きそうだったとかそうじゃなかったとかは本人にしか分からないものだと思うし、つまりはこちらの知る由もないことであるのだけれど、なにかを考えていたことはたしかだろうとおもう、わたしは彼を見ながら、なにかを言葉にしたら泣いてしまうんじゃないかと思っていた。沈黙があんなに濃密であること、日常でそうそう思い知らされるものじゃない。彼が沈黙を沈黙のまま、かえって雄弁なもののままにしておけるような時代であればいいと強く願います。

そういえばあの曲間に叫ぶ異文化はいつになったら滅びるんですか? 

  

「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 "Strawberry"」

味スタ2公演。自名義が落選して絶望していたなか、心優しい方にお声がけいただいてなんとか参戦できたこと、きっと一生忘れないと思う。わたしのなかでは特に、馬鹿みたいに愛着を持ちながらそれでも馬鹿みたいに手放せなかった2011年の「脱退」が、なんでかこのタイミングでぜんぶ「あーーーもうぜんぶいいや!!!!!充分報われた!!!!!!」と思えた魔法のようなコンサートだった。きっともうNEWSのコンサートでもさみしくならない気がする。一生哀しいままかもしれない、と覚悟を決めていたにしては、あまりにあっけなさすぎるけれど、それでもいいと思えるくらい充分報われたという気持ちのほうが大きかった。時間に解決させてたまるか、と夜な夜な泣いていたあのころのわたしに、屈託なく自慢してやりたい、あのころには到底想像もできなかったような未来を彼らはこれからも手に入れ続けていくんだと。そうして、そこには、変わらずにあのころの歌がある。

4人以前の曲と4人での曲とをごちゃまぜにして組まれたセットリスト。一番良い夕暮れの時間に、4人でドームに立ったときに思いついたというそれぞれのツアーでのメンバーカラーの衣装を身に纏って歌われた「share」と「エンドレスサマー」。「特別」と思えることをたしかに共有してきたんだと実感した。15周年の記念の場で「脱退」という言葉は一度も聞かなかったけれど、それがすべてだろうと思った。充分だった。ただただ、とにかく楽しかった。本当に楽しいと満足する気持ちだけが自分のなかにあって、たまらなく幸福だったと、なんどだって噛み締めている。あのころめちゃくちゃ憎んでいた「フルスイング」を目の前でシゲアキさんが初めて見るくらいに全力で歌っていて、なにもかもがどうでもよくなった。好きだという感情以外もうどこにも残っていなかった。

隅から隅まで楽しいしかなくて、そりゃまあ6月くらいはいろいろ思ったけれど蓋を開けてみれば最高に楽しい夏のコンサートとドラマと主題歌が用意されていて、それがまあ、ほら、びっくりするくらい夢中になるほど楽しいコンテンツだったんだから、この「好き」を信頼する以外に手段がなかったわけです。「信頼」については上の項目でもすでに書いた通りなのでそちらを参照してください。

初日の開演前、洋服がびちゃびちゃに濡れて乾かなくなるほどに汗をかいて並んだグッズ列を経て(Tシャツは買えなかった)、開演前にスタバで開いたパンフレットに「あなたにとってNEWSとは?」という問いが載っており、それに対してシゲアキさんが「終わらない青春」とが答えていて、同行者と読んで絶句した。「永遠なんてない」という言葉が脳裏から離れない夏だったせいだと思う。そのあとの味スタ公演最後の曲、まだ発売されてもない、ラジオではラジオエディションとしてしか流れていなかった『「生きろ」』の二番の歌詞、小山さんが「終わりなき青春」と歌ったときの、あの、言いようのない激情。忘れられない。

「BLUE」で始まり未発売の『「生きろ」』で終わる、これもまた良いコンサートだった。 

 

「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」

「生きていてよかった」とあんなに素直に思えたのは人生で初めてだった。

前日の福岡公演で稲葉さんの声の調子がよくなく公演が中断したのを知っていたので、たまらなく不安な気持ちで博多に向かった。前回入った公演も、12月30日の名古屋公演、声の不調があった翌日だった。何の因果なんだろうとぼんやり考えながら猛暑のヤフオクドーム。開演が30分押した。ぐっと堪えて待つ、ただひたすら待つ30分だった。

B’zのことを話そうとするといつも自分の半生も振り返ってしまう。生まれたときからずっと聴いていたんだろうと思う、父親が運転する車中でずっと流れていた。おかげで昔は聞くとめちゃくちゃ眠くなった。いまもときどき寝れないときに延々と流して寝落ちたりする。ただ両親共にコンサートに足を運ぶタイプではなく(少なくともわたしが記憶している限りでは)、わたしにとってはB’zのコンサートは遠い世界のはなしだった。行きたいとも思ったことがなかった。それがまあ、すくすくとジャニヲタとして育つうちに「行かずに死なれたら後悔するのでは…!?」と思い(失礼な話だけれどだって二人ともわたしの両親より年上だったから)、親を誘って参加したのが2013年。あれから5年。半生のはなしはこの辺にして。

関ジャニ∞が6人になる未来をまったく想定していなかったので、このさきの未来なにがあってもおかしくない、と変に不安に思う思考がぐるぐるとしていて、そうした流れのなかでの30分は一人で過ごすにはあまりにもこわかった。

という冗長な前置きが、ね、全部馬鹿みたいに思えるほど、ただただ「最高」を思い知らされるだけのライブだった、というはなしなんですよ。実際は。幕が開いてみれば、もう全部が杞憂だったんです。4曲目くらいの「裸足の女神」まではたしかに全然声が出ていない箇所があって、そこはまあなかなかつらかったんだけれど、「裸足の女神」でめちゃくちゃ急加速していって、そこから終演までとんでもなかった。喉の不調は未来を憂うものでもなんでもなかった、声がどうであれ、惜しみない歌だったし、その惜しまなさはいままで見てきたものとなにひとつ変わらなかった。ステージの端から端までそれぞれが走り回って、魅せるものの持つ熱量が、変わらず最高だった。喉の調子が本調子でないことを謝りながら、本来ならこちらがみなさんに元気になってもらうライブという場で観客にパワーをもらっていることを改めて実感した、これからさき歌で恩返ししていく、と稲葉さんが話していて、最高な未来を約束されてしまったことに気が付いてどうしていいかわからなかった。変わらない安心感がやっぱりちょっとだけ、欲しかったんだと思う。大好きなものが変わらずそこにあることの大きな喜び。プレジャー。

あのときやあのとき、さまざまな瞬間に自分を支えてくれていた昔の歌が、ああして目の前で披露されるたまらなさをどう伝えていいのかわからないけれど、わたしはステージを観ながら「ああ、生きていて良かった」とただまっすぐそう思った。金銭的な問題や一番と決めているアイドルの現場とすさまじく被り続けていた公演日や転勤の関係、そもそも落選ばかりだったこともあって半分くらい諦めていたのだけれど、それでもどうにか参加できて、本当によかった。協力してくださったみなさまほんとにありがとう。おかげさまで最高な夜を過ごせました。あんなに最高な瞬間がこの世にあっていいのか。

はあ生きていて良かった、生きて稼いでB’zのライブに行けばあんなに最高な時間が過ごせるんだからこの世はすごい。「松本さんも稲葉さんも頼むから長生きしてほしい。頼むから長生きしてください。(24歳会社員女性)」

 

 

関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST in Taipei」

鬼気迫る日本でのそれとは少し違っていて、初めての海外公演を楽しもうという雰囲気で満たされていた公演だった。たのしかった。日本と台湾との違いに敏感になっているネットの気配はありますが、強いて言うのなら、丸山さんの一発ギャグにアンコールが起きたのが一番の違いですかね……。有無を言わさない「もう一回!もう一回!」の愉快なやばさを伝えたい。めちゃくちゃ笑ったので。あとはまあ、いつも通り楽しい関ジャニ∞ですよ。セトリは全然変わってない! 大幅変更とは! みたいなところあったけれど、まあ、関ジャニ∞ですからね。「ここに」が外周回る曲になってて泣いた。ぎゅってしててほしかった…。背中合わせすりすりするくらやすはちょうかわいかったけど、大倉さんとやすくんの身長差ってあんなにあるねんな…といつ見ても新鮮に思う。錦戸亮ちゃんの牛乳のくだりは全編可愛かった。お察しください。村上さんの「謝謝」には台湾中の可愛いが捧げられてた、2日目に村上さんが恒例の「子どもエイター!」「男エイター!」「おんなエイター!」の流れをしていたんだけれど、子どもと男には「謝謝」とお礼を言うのに女に対しては「謝謝」言ってくれなくて観客が「謝謝言って~~!!!!」みたいな感じでそれぞれが声を上げて求めるのに村上さん全然分かってくれなくて「おれにはおれの段取りがある」とかいって次の進行し始めたのは、思い出すと笑える台湾一の思い出です。あの場にいる客の気持ちがひとつだった(はず)。

「ズッコケ男道」で錦戸亮ちゃんが良い顔をして「横山裕~~~!!!!!!」と叫んだあの瞬間を思い出すと、おくちがもごもごしてしまいます。にやにやの間違いですね。あの瞬間に同行者と二人して崩れ落ちたのも台湾一の思い出です。まあどれもべつに「台湾」じゃなくても見られたと思う、ような気もするので、結局はどこだって関ジャニ∞がいさえすれば最高なんですよね。きっと。最高をこれからさき、いろんな場所でいろんな人に見せつけていけたらいいね。いろんな場所に連れて行ってくれ!!!!!!! 頼むよ。もちろんたくさん笑って生きていこう、長生きしてくれ。

 

 

 来年も再来年も笑って悔いなく「生活」と「趣味」をがむしゃらに生きていけるように、いつだって胸を張って好きな人に会いに行けるように、すこしずつ日々を頑張って生きていこうと思います。わたしの好きな人たちが好きでステージに立つことを選んでくれる未来が続きますように。この夏生まれ変わったような気持になりました。心機一転。改めて錦戸亮ちゃんが好きです。*1

宇多田ヒカルの「あなた」でも歌いましょうか?

 

 

 

歌いにじゃないけど、たぶんまた追記しにきます。

 

 

【追記】2018年10月7日

以下、わたしの心の整理がつきましたというだけのおはなし。

もう充分に報われた、と思う。あのときどうしたって哀しいとしか思えなかったのが夢のように、遠い昔のことだったかのように、なんとも充実した夏だった。いろんなことを考えて、それでもいまここにあるものがすべてだ、となんども思った。いまここにあるものがすべて、いま胸が躍るこれが、これだけが答えだろうと思う。わたしはわたしのペースで答えにたどり着いて、あの「脱退」から一歩抜け出せた。やっと。「報われた」って感情自体がそもそもなんなんだという。

情けないくらいにずっと引きずっていたんだ、とわたしは最近やっと思い知った。そのあまりの情けなさに。NEWSを好きでいるうえで2011年の「脱退」の文脈をなくして見ることができていなかった。意地でも手放したくなかった。誰もが忘れていっても自担が歌い踊った曲たちのこと、彼らの形容しがたい空気感さえ、ひとつも忘れたくなかった。いつかあの日々が「若いころの苦労」になったとしても、美化されていく過去にしかならなくなっても、誰にも言及されなくなっても、それが良いことなのか悪いことなのかはさておき。そうしたなかで、すばるさんの脱退が、わたしにとって、あれほどのものではないのかもしれないという実感を得た。こんなにつらいのに、あれほどじゃない、という実感。自担が、わたしの信じる人がはっきりと言及するのかどうかの差。言及する人としない人。

錦戸亮ちゃんがあのとき選んだ未来のさきにあるのが今年であり、あのときNEWSの4人が存続させた「NEWS」というグループのたどり着いた15周年が今年だった。今年以外の2018年はどこにもない。紛れもなく「最善」だった、といまだからこそ言える。言い切れる。言い切ってやる。言えるようなあの日からを彼らはたしかに歩んできた、と、ファンとして認めたい。そういう気持ちにさせてくれたのは4月15日からの関ジャニ∞だったような気さえする。たぶん、ほかのだれでもない錦戸亮ちゃんだった。

ここまできて、ここまできてもなお、それでも自分の脱退について明確に言及しない。時系列、感情、グループとしての在り方、メンバーとの関係性。なにひとつとして、自分のあの選択の正しさを示すように言及したり、くらべたり、しない。「永遠」。あのとき彼が選んだのは「永遠」だったのかもしれない。どうしたってその「永遠」を手に入れてほしかったなあとおもうと無性に悔しいし、すばるさんのことどうしたって、錦戸亮ちゃんのとなりからいなくなったこと、その一点においてのみ絶対に許せないと思う。けど、まあそれはそれで、彼だってあの選択が「最善」だったと思わせるような未来にいつか立つんだろう、といまのわたしなら思える。錦戸亮ちゃんがほかの「永遠」を手に入れられる日が来るのかどうかは、誰にもわからないけれど、それでも。

「時間が解決してくれる」なんて言い回し、大っ嫌いだし、あの日から時間になんか解決させてたまるか、と思っていた。そのうちに、時間はただ時間として漠然と過ぎるわけじゃなくて、そのあいだに、考えていく日々、積み重ねていく年齢や思い出とか新しい景色とかいろんなものをもたらしてくれるのか、と気が付くようになった。でもやっぱりそれは「時間」のおかげじゃない。戻らない時間のなかで表舞台に立ち続け頑張ってきた彼らのおかげに他ならない。時間は癒してくれないけれど、傷失くしては得られなかったような未来はたしかにある。2018年彼らが見せてくれたステージのどれもが素晴らしくて楽しくて覚悟に満ち溢れていて、もうそれだけで充分だ、と何度でも思った。

2018年15周年の味スタのセトリ。4人からの楽曲が鳴ったときの高揚と、相変わらずイントロが鳴った瞬間に息をのんでしまう4人以前の楽曲への言いようのない感情とが、交互に訪れて、笑っちゃうくらいわけがわからなかった。泣いて笑ってのアップダウンの激しさよ。ああでも、でも、あのセトリのおかげでたまらなくただひたすらに好きだな!!!! と気が付けた。楽しかった。楽しかったんだよ。 それに馬鹿みたいだけれど、15周年のあの場で2008年、10年前に自担の書いた歌詞が歌われたこと、すごくうれしかった。「信じてきたモノ」「譲れない部分」ただそれだけのはなし。*2 何度だって自担のあの歌詞に慰められているような気がする。2018年になっても。15年、わたしが見てきた一部だけでもたしかにいろいろあって、でも、もう『「生きろ」』のはなししか出来なくなるような、「夜よ踊れ」のはなししか出来なくなるような、形容しがたいエネルギーをもたらした公演を浴びてしまって、「脱退」と蹴りをつけよう、と決めることができた。それが必然であるかのように、あっさりと。多少の疲れはあったのかもしれない、続いていくグループのなかにいない姿を見てしまって傷つき続ける不毛さに疲れてないといえばうそになる。それならそれでも、もう、よかった。

揺らいできたこの数年間に感じたさまざまなこと、もう今では感じなくなったようなこともたくさんあるけれど、それらを全部経て、それでもファンとして食らいついていたからこそ、この清々しさにたどり着けたのだとちょっとだけ胸を張りたい。NEWSがすきです。いままでNEWSを、4人のNEWSを好きでいる理由の4割くらいを錦戸亮ちゃんがいたことを理由にしていたけれど、これからはぜんぶシゲアキさんがいるから、ってことにします。そろそろ「脱退」とお別れします。事実はなくならないこと、知れたので後悔はないよ。いままでありがとう。

まあ、第一週の金曜日の仕事終わり、18時を過ぎて西の空にほんのり明るいのが見えるくらいでそのほかはすっかり夜になった景色のなかを帰宅しながら、ぼんやり聴いていた全曲シャッフル機能が「秋の空」を流したので、さすがにたまらなくなって、というかそこまで考えるまでもなく「7年」と思い出してただ泣けてきてしまってどうしようもなかったので、そうはいっても、このどうしようもなさはきっと続くんだろうと思う。

「君の未来に幸あれ」と、何度でも歌って祈りたくなるような未来が続くことを、祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:そういえば、台湾でスタンド最前の人や目が合った人に対して、フランクに手を差し伸べたり握手したり感極まる様子をみて「どしたん(◞‸◟)」みたいな顔をしたりする錦戸亮ちゃんを観ながら、これからもああいう気安い立ち振る舞いをしてもらえるような「ファン」でいたいなあとぼんやり思いました。ファンサということではなく。「ファン」という距離感として失望されたくないよなあ…。

*2:このタイミングで聴く15周年メンバー作詞曲「Strawberry」はさすがに笑えるくらいたまらないので、わたしは「Strawberry」を聴いて改めて「最善」だったと言いたくなった。いやまあ「最善」はあれかもしれないけれど、「Strawberry」を「最高」と噛みしめているのは事実

夏の遠征費のまとめ/台湾を含む2018年「GR8EST」たち

 夏だツアーだアニバーサリーだ!! とはしゃいではくたばって、泣いて笑って忙しない日々を駆け抜けているあいだにいつしかすっかりと秋になりましたね。ダイスキな関ジャニ∞、NEWS、そしてさすがに彼らなしではいまのわたしはないだろうと痛感しているほどに敬愛するB'zと、3グループともが現場を持つ、わたしにとってほかにない特別な夏でありました。

感想込みのブログは別に書く予定なので、ここではお金の計算をします。

お金があろうがなかろうが、どんな事情があろうが結局は、公演に入っていたか/いなかったか、でしかないのだろうと思う日々です。入るにしろ入らないにしろ入れないにしろ、自分が選んだ選択こそが自分にとって正しかったと思えるようにオタクとして年月を重ねたいですね。人生なにを優先するかは自分にしか決められないわけですから。というわけで、我慢できなかった欲望さえも全肯定のお時間です。 

 

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 ↑去年のツアーの遠征費のまとめです

変わった点

・手取りがざっくり7万くらい減った(やば)

・愛知県から広島県に転勤になりました

・生活がままならなくなったので軽自動車(新車)を購入しました

 

平成が終わるまでにいくらかは貯金をしたいと思っている社会人二年目ポンコツの遠征費まとめです。現地交通費の計上は適当。

関ジャニ∞が3大都市計6公演と台湾2公演、NEWSが2公演、B'z が1公演。すべて県外です。

 

 

◎札幌公演(7/15~7/16)

・チケット代           8,500円

・伊丹⇔新千歳 飛行機代   49,900円

・大阪までの往復交通費    17,400円

・宿泊費          8,100円

・交通費          3,000円

(・駐車場代        2,500円)

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             86,900円

 

▽雑感

いま計算して「えっ!?」と声を上げてしまった。観光シーズン真っ只中の三連休というに北海道地獄のような日程(のおかげで参加できた社会人ですが)、当日入り翌日昼便の最安値で押さえてこの値段。ツアー発表が転勤になる辞令発表前だったため、てっきり大阪近辺には帰れるだろうと勝手に判断して伊丹からの飛行機を取りましたが、まさか広島に配属になるとは思いもしていなかったので(最寄りの駅前で連泊させた駐車場代が2000円くらい掛かっていたことをいま思い出した)、大阪までの交通費がじわじわと効いてきます。伊丹と新大阪の移動はバスでするべきですね。

個人的に当日入りは余裕がなさすぎるので、来年は日程次第では宿泊費を計上したとしても前日入りをするべきかな…と思ったりした。悪天候だったかなんだかで着陸が1時間くらい遅れたので。結局24時間も北海道にいなかった。

 

◎名古屋公演

大人しく働いていました。

 

(◎NEWS 8/10、11)

 

◎大阪公演(8/24~8/26)

・チケット代(3公演)  25,500円

・大阪までの交通費     11,800円

・現地交通費        3000円

(・駐車場代       2,500円)

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             40,300円

▽雑感

大阪には実家があるので最高ですね、しかもドームまで片道500円くらい。予約制で広島新大阪間の安いプランがあることを知り、ひとつ賢くなります。23日の晩から帰ろうと画策していたところ、23日はご存知の通り台風だったため予約していた新幹線の運休が決まり、格安チケットをどぶに捨てる勢いで一本前の終電に乗るも、そもそも新大阪から地元までの電車も運休しているんじゃないかなど、てんやわんやでした(結局普通電車のみ運行していましたので帰れました)。

 

(◎B'z 9/2)

 

◎東京公演

さまざまなひとのレポによって生かされていました。

 

◎福岡公演(9/15.16)

・チケット代(2公演)   17,000円

・博多までの往復交通費   21,140円

・宿泊費          8,000円

・現地交通費        2,000円

・コインロッカー代     1,000円

(・駐車場代        2,500円)

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             49,140円

▽雑感

広島だけれど広島じゃないのはもうすでにお察しかと思いますが、うかうかしていたら博多までの予約制格安プランが売り切れていましたので定価。反省点。駅のコインロッカーでも始発終電という換算ではなく日付が変わると料金加算されがちなので留意されたし。(実際はオーラス終演後帰る予定だったが友人の友人宅に泊めてもらったため、実際とは多少異なりますが、まあそれは計上しなくていいか)

 

◎台湾公演(9/22~24)

・オフィシャルツアー代金   155,390円

・9/22現地手配チケット代   10,548円

・広島名古屋往路       12,960円

・名古屋広島復路       10,270円

・Wi-Fi代(5280円÷2)    2,640円

(・駐車場代         2,800円)  

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              191,808円

▽雑感

オフィシャルツアーは9/22のセントレア発のコース。台湾の空港は桃園空港。往路9時55分発(集合時間は2時間前)。復路21時着(30分ほど搭乗が遅れた)。現地手配チケットは2800席。どちらも自名義&自力。観光なし。

前日の夜仕事終わりに大阪まで新幹線で移動、同行者の家に泊まって始発の新幹線でセントレアに向かい、復路はセントレア到着後(新大阪より先の終電には間に合わないと申し込み時から分かっていたので)名古屋発の夜行バスで岡山まで出てそこから新幹線を使って最寄りまで戻り、停めてあった車でそのまま出勤しました。

オフィシャルで申し込めるのなら申し込むべきだと思いますが、主要都市以外からの参加のハードルが高いのが難点(と思ったけれど、昼発昼着ならわりと健闘できるのでは?)。あと、1公演しかプランになかったのが残念(今回はプランによっては初日に間に合うものがあったのでよかった)。Wi-Fiは探せばもっと安かったはず。オフィシャル参加で元が取れてるとか損得がどうとか個人手配の場合とかも一切考えなかったので、相場としてどうなのかは不明。なんにせよ台湾は初めてだったので、航空券やホテル、チケット、空港からの移動手段、もろもろ手配してもらえていたのはとても楽だった。ただ出発の2週間前までホテルも往復飛行機の時間も会社も、当日の集合時間もわからないので、そのあたりに不安を抱くひとには不向き。オフィシャルツアーといっても団体行動はほとんどなく、ツアーデスクに都度頒布物やチケットを引き取りに行く、行きと帰りの集合時間を守って集合したら目的地まで移動するだけ、だったのでほかの参加者が気になるようなこともあまりなかったです*1。自由度高くてよかった。オフィシャルだからといって座席が優遇されているわけでもなさそうだった。そのあたりもいつも通りといえばいつも通りだけれど、今回に限っては一般販売が座席エリアごとの販売だったため、良し悪しがあったかもしれない。と将来のわたしのためにメモしておく。

 

 

・札幌1    86,900円

・大阪3    40,300円

・福岡2    49,140円

・台湾2     191,808円

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    合計 368,148円

 

 

◎「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 "Strawberry"」(8/11~8/12)

・チケット代  18,000円

・往復新幹線代 33,160円

・現地交通費    3,000円

・グッズ代     6,000円

・駐車場代(5泊)4,000円

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        64,160円

▽雑感

お盆の連休をまるまる東京で過ごしたため(宿泊は友人のところに転がり込んだ)、駐車場代がそこそこ嵩んでいますが、往復の新幹線は往復割引で多少安い、多少ね。スマートEXの早割が取れればよかったんだろうけれどだめだった。現地の交通費はもう少し掛かったかもしれない、公演後の味スタからの道のりの長さは異常。

 

◎B'z 福岡公演9/2

・チケット代  10,446円

・往復新幹線  18,000円

・現地交通費   600円

・がちゃがちゃ   500円

(・駐車場代   700円)

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        29,546円

▽雑感

日帰り。往路のみ格安プラン。復路は売り切れでしたが、結局開演が30分押したので買えていたとしても乗れていたのかは不明。ガチャガチャがコイン引き換えだったので固い意思で1回のみにとどめることができたのでよかった。S席。スタンドだった。ほとんど最後の先行抽選でのチケットぴあ当選分。

 

関ジャニ∞   368,148円

・NEWS      64,160円

・B'z       29,546円

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    合計    461,854円     

 

 

▽まとめ

今夏おつかれさまでございました。

私の熱量だとアニバーサリーが全部被っても最低限なら50万あれば足りるということですね。円盤買えばちょっとはみ出るけど。

正直台湾は金銭的な問題で発表時よりきっぱり行かない予定にしていたので、家計は火の車どころか自転車操業も良いところで、カードでのありとあらゆる支払いが5回払いになっています。そもそも貯金額がほとんど「ゼロ円」のところからの申し込みだったので…かろうじてB'zのチケットだけが4月末の引き落としでどうにか払い終わっている…というような状況。ネットで購入した新幹線代をすべてあとから分割払いにするほどのカツカツさです、現状。すべての原因は、車の頭金。頭金にしては少ない金額しか払えなかったけれど、あの金額さえあれば5回払いじゃなくて3回払いくらいで済んだような気はする。けれど車なしで駅まで行くことや会社に通うことはほとんど不可能だったのでしょうがない…いや台湾よ……。よく行こうと思ったね申し込み時のわたし、馬鹿だね、めちゃくちゃ感謝します。

関ジャニ∞は初の海外公演、の前に、初めての6人でのツアー。NEWSは15周年。B’zは30周年。なにひとつとして諦められなかった。金銭的な面ではもちろん諦めるべきだろうとは分かっていたけれど、だからって、ひとつでも諦めたら絶対に後悔することはわかっていたので、「最低限」を生活でも公演数でも何度も何度も自分に問うて心がけ、この平成最後の夏を終えました。馬鹿ゆえに生活費を考慮していなかったのであまりに浪費っぷりに打ちひしがれたり(9月初旬に限界を悟ったので社会人になって始めた定額貯金をそうそうに下ろすことに決めました)そもそも給与額の減り方に絶望したり、体力的にままならなくなったり、ものすごい情緒不安定だった自覚はあるけれど、こうして終えてみて思うのは、「どの公演も入れてよかった!!」とただそれだけです。

現金が異様になかったので割り勘時に「頼むからクレカ切らせて…」とお願いしても快く了承してくれたり、台湾の支払いもお金のなさを考慮してくれたり、そもそもこれだけお金がないと公然と絶望しているにも関わらず現場に向かうわたしを止めないでいてくれたりしたさまざまな友人にはものすごく感謝しています。ありがとう。結局は人の縁なんだなと痛感する夏でしたね。

何度も何度も異様にお金がないことを痛感する事案に遭遇しては、その都度自分の金銭感覚を恨んだりしたわけなんですが、あまりのやばさにたまらず母親に電話をしてしまうことがよくあり、そのたびに「お祭り行くために働いてるんやろ」*2 と諭されては「まあ…そうなんですけど……」と納得するばかりでした。

こういう大きな金額の必要となる初めての公演を経て、いろんなことを考えました。それでも行くことを選んでわたしはよかった、と思うし、さまざまな運の良さが重なって社会人として恥ずかしくない状態でいられたことは本当に、あえてはっきり言うけれど、「偶然」だったのだと自戒をもってこれを書いています。お金や時間、自分の体力面などなど。チケットもそう。

「お金を出した人が偉い」「(のもわかるけれどあまりにも暴論では?)」というような文言を台湾公演あたりからよく見かけるようになった。なんなんだろうなとおもう。お金を捻出した人も偉いし、生活のために欲を堪えられる人もめちゃくちゃ偉いよ。ちゃんとみなさん分かっていますか? この世には「生活」や「仕事」と「趣味」のだいたい2つがあって、みんなそれぞれにそれぞれのバランスがあって、どちらにも費やせるお金時間体力の限度があって、そのなかでどうにか生きているわけですから。24時間。定数のあるチケット。「生活」を投げ打ってから「ずるい」と言うならまだしも、ねえ。「生活」も「趣味」もどちらも尊いんだということを考えもせずに、前者だけを「ずるい」と呼ぶのはどうしてもいい加減にしてくれと思ってしまう。大人になって選べるようになったからこそ、どちらもめちゃくちゃ偉いこと、わたしはちゃんと知っていて、ジャニオタをしていたいなあと思う。「行かない」という選択の重みがどれほどなのかを社会人になってから日々痛感しています、感じたことありませんか? 労働のなかにいて改めてその「偉さ」に思いを馳せたりします、週末遠征後の週明けの言いようのない睡魔と戦いながら。そういう意味ではわたしはまだまだ軽すぎる。なにも考えずに行くのが一番欲望的には楽チンだからね。すり減るけど。まあ、お金を出すのもタダじゃないわけですからね。

 

いまのところ、あとは平成が終わる前にへいせいじゃんぷに一度お目にかかりたいぐらいで、それよりほかはおとなしく慎ましく、この夏の思い出を胸に抱いて働くだけです。

最高の夏でした。わたしを生かしてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

*1:時折悪態が目立つ参加者がいて驚いたりはしたけれど仲良くする必要はなかったし

*2:味スタ情報解禁時に「まさか8月東京行きませんよね」「行くに決まってるやん」「お盆は墓参りですよ」「シゲアキさんがNEWS見てから墓参り行ってって言ってた」「ガーン。やっぱりね。ではお仕事がんばって」という会話や「あなたの妹は地元のお祭りに行きました」「わたしも来週お祭り行くよ」「どこの?」「味スタ」などという会話から、コンサートのことを「お祭り」と母が呼ぶようになり、アニバーサリーだしあながち間違いじゃないよな…と思ったりして気に入っています

「脱退」の泣き言を赦してほしい

ブログにもフォロワー限定公開があればいいのにね。お目汚し。

すっげえ暑いね、夏のツアーどうにか様々対策をしながら無理せず乗り切りましょうね。

楽しいのとさみしいのは全く別物で、どちらかの感情を否定しなきゃそれぞれ成り立たないものでもない。って、つくづく思う。たのしいけれど、すっごいさみしい。さみしいし、手放しで喜べる日々じゃないけれど、でもとってもたのしい。たぶんきっとそういう夏になるんだと思う。わたしの平成最後の夏。エイトもNEWSもアニバーサリーです *1

 

GR8EST初日公演の札幌公演に入ってから一週間が経って、名古屋公演のレポをツイッターで読みながら、どうしても泣けてきてしかたがなかった。どうしてこんなにいまさら、と思うほど泣けてきて、哀しくて、そうして今回めちゃくちゃ「引っ張っていく」と明言したのを体現しているかのようにたくさんの挨拶を任されていた、自担のことばをこわがっていることに気が付いた。

ツイッターのレポなんてその人の主観でしかないし、逆に言えばその主観こそが尊いものであり価値のあるものなのだけれど、声じゃない文字として、その声を聞いていない人がああだこうだと断定して理解しようとするのはとっても恐ろしいことであるのは承知の上ですので、錦戸亮ちゃんがどういう発言をしたとか、わたしがその発言に対して疑問を抱いた、とかそういうことではなく*2、ただひらすらに、こわい、とおもう。どんなことばでもこわい。すばるさんのいないコンサートに参加しているすばるさんのファンに向けたことばが、そっくりそのまま、わたしに刺さってくるような錯覚に陥っている。もう5、6年くらい経つけれど、あのとき必死にNEWSと乗り越えたと思っていた痛みに、とつぜん消毒液をぶっかけられたような感覚。気が付けば随分と前のことなのに、ふいに思い出されて、ばかみたいに全然つらかった。2018年のことばが2012年からのわたしに刺さってくる。いま、関ジャニ∞とNEWSとを比べたいわけじゃないし、それぞれの脱退を比べるつもりはひとつもないのに、どんどん自分のなかでそれぞれの脱退のつらさが混ざってきていて、時間が経つにつれ、このさみしさは、なんのさみしさなんだろう、とぼんやりしてしまう。なんだかよくわからないけれど、めちゃくちゃ苦しいなと思って考え込んでいるうちに気が付いた。ああ、たぶん、錦戸亮ちゃんが言っていること、それぜんぶ、わたしがあのとき誰かに言ってほしかったことばなんだろうね、きっと。誰かって、ほかでもないあなたに。

だから、錦戸亮ちゃんのことばを前にして、ふ、とわが身を振り返ってしまう。刺さってしまう。こいついつまで脱退引きずっているんだろうね笑うね。笑ってね。全部大好きなんだよ。

去ってゆく人がなんにも言わないように、グループを存続させていく側が、たくさん寄り添うような*3ことばを掛けてくれるから、さみしさに泣く人たちも、ときどき笑顔になれて、なんとかさみしさで潰えてしまったりしないのかもしれないなあと思った。改めて、そういう風に気遣って、支えて、引っ張っていってくれる彼らの優しさと強さを思い知った。彼らだって同じように受け入れてきたんだろう、と思えばなおさら、ファンは随分と甘やかされていると知る。

札幌公演が始まる前、飛行機が遅れたりグッズが買えなかったりでいろいろバタバタしていたのだけれど、公演前に座席に座って双眼鏡を用意しているときに、これが始まったらもう7人には会えないのか、とふいに実感してしまって、もうすばるさんはいないのか、と思って、急にたまらなくなって声を上げて泣いてしまった。本当にもう、正真正銘の「6人の関ジャニ∞」なのか、と思ったら、「戻れない」という感覚のとてつもなさに怖くなった。まだもうちょっと未練があった、いや全然めちゃくちゃ未練ならあったけど、これからさき、一瞬だって「7人」には戻れないのかと思ったときにこみ上げる異様な喪失感の対処法をわたしは、まだわからないでいる。それはこれからさき、身に付けることができるものなのだろうか。一瞬だけでも戻れるのなら、それを知っていたら、きっと泣かずにいられたんだろうけれど、時間は不可逆だからできないんでしょうね。どうしたらいいんだろう。わっかんね~~~~。

たくさんの曲たちを、殺さず生かしてくれてありがとう。いつもなんでか、立ち返るのは、そういうところだったりする。「HappyBirthday」の歌いだしの錦戸亮パートを歌いたいと立候補したことを話してくれたシゲアキさんの覚悟、なんでかいまになって身に染みて実感したりした。あのときのわたしは、ただひたすらに嬉しいだけだった。覚悟。気概。ありがとう。

 

 

ねえ錦戸亮ちゃんあなたの脱退から何回泣いても、何度泣いても、全然さみしいままなんだけれど、どうしたらいいかな。「4人のNEWS」は受け入れられても、あなたがもう二度とNEWSの曲を歌わないことにいつだって絶望しています。永遠に戻れない、過去にしかない不可逆な存在だからこそ、NEWSの錦戸亮にこれだけ焦がれるのかもしれない、と思いながら、でもやっぱりその喪失感をうまく諫める方法をわたしはまだ見つけられていないのでどうしようもないです。NEWSのコンサートにあなたの面影を見つけることが難しくなってきてしばらく経ちますが、なんでかいまだに、あ~~4人だ、と思い知って打ちのめされることがあります。これがあなたがNEWSにいた証拠であるのなら一生打ちのめされていたいけれど、4人のNEWSとの思い出が増えていく以上はそういうわけにもいかないのかな。どれだけ泣けば整理できるんだろう、錦戸亮ちゃんの懐の深さを思い知らされては惚れ直すばかりです。青春なのかな~~~。昔のことばっかり輝いているような、そんな毎日はいやだ~~と思うけれど、でも正直はっきり言って、2018年の錦戸亮ちゃんはわたしにとってこの世に生きとし生けるもののなかで一番最高の存在なので、いつだって毎秒錦戸亮ちゃんが世界一だよという気持ちです。いやまじで。わたしの好きな彼らの容姿の良さってほんとうに、ときどき暴力的でさえあるよね、どんな場面においても顔の良さが際立って仕方ない。わたしはわたしの好きな「顔」を信じますね。

「わかる」なんて絶対言わないけれど、わたしがNEWSのコンサートでときおり感じる「さみしさ」とか、なんでここにいるんだろうという我に返る瞬間とかを、これからさき、すばるさんのファンが感じるのかもしれないと思うと勝手に苦しい。大好きなグループに大好きな人がいないさみしさ、立ち直れないわけじゃないけれどまっすぐ前だけ向いては歩いていけないうしろめたさ、みんなで大事にしていけたらいいなあとおもう。そういうおぼつかなさも彼がいた証拠なんでしょう、きっと。

わたしも勝手にいつまでもときおりぐずぐず言いながら、それぞれの彼らが歩む夢の終焉まで一緒にいたい。さみしいさみしいと言いこそすれ、彼らが魅せてくれるであろうこれからを疑う気持ちはひとつもない。うれしいやらさみしいやら、よくわかりません。すきです。これからさきもネット上で度々泣き出してしまうかもしれないし、いつまで経っても泣き言を言うかもしれないけれど、「いま」を否定したいわけじゃないから、なるべく笑って許してくれるとうれしいです。

 

 

 

 ※え~い、と勢いで公開します。GR8EST BEBYは成長しませんがこのブログは変容し続けます。いつのまにか加筆修正されているかもしれません。悪しからず。

 

*1:厳密に言うと違うけれど別に厳密に言う必要もたぶんない

*2:そういう意味で言うのなら全面的に言葉に含まれた優しさ気概かわいらしさをまず肯定して賛美している。やっぱりめちゃくちゃ「可愛い」人だとおもうので

*3:錦戸亮ちゃんのあれを寄り添うというのかは知らないけれど、けれどあれだって歩み寄りでしょう)

平成最後の夏を迎えるにあたって / 「NEWS ARENA TOUR 2018 EPCOTIA」

 

 

なんでもそうだけれど、終わりがあると知りながら生きるのって当たり前だけれどなかなかつらいことですよね楽しければ楽しいほど終わるのがさみしい、ってツアーが始まる度に言っている気がする。今回も例にもれず「EPCOTIA」ツアーがもう終わってしまったことまだ上手く受け入れられずにいます。最高のツアーだった、最高のアルバムだった、最高だったよ増田さんあのシゲアキさんの二着目の衣装につけてくれた紐!!!!!!!!

「TWINKLE STAR」の良さがどんどん日を増すごとにわたしを覆い尽くしてきて、いまではもうずぶずぶです。あの衣装。あの立ち姿。あのさあどんだけ好きにさせるの!? 信じられないくらいNEWSかっこよくて、信じられないくらい信用しきってしまっている自分に笑えてくる。ずぶずぶがすぎる。もう無理じゃない? NEWSを知らずに生きていくなんて無理じゃない?

いままで見たことないくらいに、踊って、動いて、汗まみれになってもずうっと笑っているNEWSのあの笑顔見たら、わたしの信じたいものはたしかにここにあったんだなあ、としみじみ実感するしかないわけです。口で言うだけなら簡単かもしれないけれど、週末土日の三回公演。あれでも全員30歳を過ぎて、もう体力的にも誤魔化しだけではやっていけないだろうことは、つまり彼らのきちんとしたコンサートへの意気込みを証明することになるわけで。いやまあそんなことどうだってよくて、裏側に敬意はもちろんあるけれどコンサートのかたちとして見たあの光景がどれだけわたしの心を打ったか、それだけなんですが。盲目だろうが頭が沸いていようが、わたしはわたしがコンサートで感じた気持ちだけを信じて生きていくと決めているので、自担がいないことを自分がどう思うのかよくわからなくて、毎年薄まっていく自担の気配を寂しがったり一方で安心したり、「いない」こととか「かつてはいた」ことを思い知らされたり、しながら、やっぱりそれでもNEWSが好きだということをそのたびに実感させられて、どうにかこうにか、5年くらい。

シゲアキさんってあんなに屈託なくファンに笑いかける人だったんだなあ、というのがわたしの「EPCOTIA」ツアーの最大の気づき。すっごいかわいい。もうこの世界で多分一番屈託のない笑顔だった、知らなかった。わたしは全然何にも知らなくて、あんなに綺麗に踊るのも、全然知らなかった。めちゃくちゃ好きだと思った。

錦戸担なのでシゲアキさんを選ぶのは自明でしょう? という論調もわかる、わかる、とってもわかる、惹かれる要素の共通項をたしかに持ちすぎている、けれどこちらは四分の一を選んだわけじゃなくて、他の三人と並べて「錦戸担なら」と選んだわけじゃなくて、自担以外のすべてから(別に誰かを選ばなくてもいいのにそれでも)、彼を選んだんだった、それがたまたまかつて同じグループだっただけで、と、思ってはツアーの移動中泣き出しそうだった。びっくりするくらい惚れている。ツアーの感想言う気がなさそうなブログですね。ツアーに入っていないひとにはなんのことだかさっぱりの熱量しか伝わらないであろう文章が続きますので、各位判断してページを閉じてください。錦戸と加藤のユニット曲がないまま、平成が終わりそうです。

 

 わたしの敬愛する作家の小川洋子さんが、以前トークショーで「小説において愛というものはそれほど重要なテーマなのか?」という風なことを冗談交じりに話していたことがある。詳細なことは覚えていないけれど「印刷された言葉は歌に負けるのでは」と先生が話したことだけはっきりと覚えていて(胸に迫る「愛」のようなものは歌であるとかそういう身体的なもので伝えることがもっとも効果的なのではということ)、最近のシゲアキさんの見るたびにそれを思い出したりする。歌、声、肉体。シゲアキさんが活字という「静」を深めていく一方、血の通った肉体や歌声が切実に訴えかけてくるような気がしてたまらなくなる。「静」だけでなく「動」をああまで手にしたシゲアキさんの無敵さ、さいこうでしょう。打ちのめされたくなるでしょう。

「EPCOTIA」ツアーの良さ、わたしが事細かにレポしなくたって、もう充分に言いつくされているだろうし、「好き」が高ぶりすぎて正直なところあんまり覚えていないのが実情。ここがああよかったとか、ここが最高だった、とか、わざわざひとつひとつ掬い上げていく必要もないくらい、すっごいよかった。本当によかった。「よかった」と言うだけで察してほしいくらいの「良さ」だった。はやくDVDで観たい。きっともっと良い光景が見られる気がする。

ただひとつだけ言うなら、アンコールは叫ばせて、手放せないペンライトを持たせておいて手を繋がせないで、あなたたちに直接訴えかけられないレスを求めないで。ひとつじゃなかった。でもこれくらい。魅せるばっかりじゃない、一方通行じゃない、でももっとしっくりくる方法が見つかればいいなあと思う。

ツアー期間中にぽろぽろいろんな仕事の情報が解禁されていくなか、肝心の彼らによる15周年イベントにあたるものがなかなか発表されず、あらゆる会場のスケジュールを検索しては可能性を探したりしていたけれど、オーラス昼公演で、15周年コンサートの開催を知ったとき本当にうれしかったなあ、といまだに惚けてしまう。エモエモのエモ、彼らの15周年という長さがもたらすような楽曲のエモさを徹底的に排除して、世界観の構築に臨んだ「EPCOTIA」があまりにも良すぎたせいで、ステージ上でセトリどうしようかなどと話すNEWSを見ながら何度目だろうかああ自担がいないなあと気が付いて、いまのNEWSが好きな気持ちとかつてはここにいた好きな人を惜しんでしまう気持ちとでぐちゃぐちゃだった。15周年。自担がいたのは何年なんだろうか。たった数年。10周年からたった5年。ものすごく、ただひたすらに、味の素スタジアムが楽しみです。NEWSちゃん、絶対に来てね、というからには呼んでください。たのむね。

 

身体ひとつ、あれば、なんでも。とおもう。ああまで楽器を持たないグループもいまどき珍しいんじゃないの、とときどきおもう。本当はちゃんと感想言いたいけれど、なんでかポエムしか生成されないのが悔しいのでポエムだけ生成してみている。楽しくて楽しくて、そうしてメンバーのことが可愛くて可愛くて仕方ない!みたいな立ち振る舞いをするNEWSのみなさんのそれが、たとえ幻影だったとしても幻影として存在していることにたぶん感謝するレベル。ちょーかわいいんだもんだって。えへへ。ほんとにかわいい。あほみたいにかっこいい演出ばりばり演出かとおもいきや、きゃっきゃかわいいカメラ独占芸チャンカパーナ見せられてどうせえっちゅうねん。えーんかわいい。「NEWSは完全に無重力状態です」を増田貴久が言うのだって最強におしゃれでしょう。

「メガロマニア」でシゲアキさんが急に不敵に笑って踊るの、めちゃくちゃよくなかったですか。「EROTICA」の寡黙な感じもめちゃくちゃよかったし正直めちゃくちゃ好みだったけど、「メガロマニア」にはとくに度肝を抜かれた。あとは「TWINKLE STAR」の肩! と友人に言われていたのに全然分からなくて、次の公演で「これか!」となったあの肩の動きとか、「AVALON」で桜を拾って吹く仕草のオシャレ野郎感に絶叫したのとか(大阪5日公演ではラストの挨拶でキャップを無駄にオシャレに取って挨拶していて絶叫した)、「U R not alone」で全力で歌い上げる姿とか、見ようと思っているわけでもないのにシゲアキさんから目が離せなくて、他のメンバー全然見られなかったのが心残り。ときどき視界に入るてごにゃがどえらい可愛い顔で笑ってて思わず「えっ!?」となったり、増田さんがこの世のすべてを慈しむかのような笑顔でこちら側に手を振ってきたり、小山さんに関してはソロで脱ぎ過ぎるのをもっと出し惜しめよ!!!なんであんなに脱ぎ散らかすねん!!!!!!と勝手にブチ切れたり誕生日の小山さんのことは忘れられないなあと思ったり(「誕生日ずらせば?」発言ちょー愛でたい)、もっと見られればと思うところはたしかにあるんだけれど、まあしょうがないね。焦点ひとつしかあわないし。

あとは、キャパの問題で年々厳しくなっていっているなか、知り合った年下の友人にコンサートにお誘いいただいて初めての会場に連れて行ってもらったりした、ありがたいなあとおもうし、うれしいなあとおもうけれど、やっぱりなによりたのしかった。うーん、たのしかったに尽きる。来年こそは京セラドームを埋めるNEWSが見たいね。全然知らない地方都市から各地に行くのわりと大変だったし金銭的にも負担は大きかったけれど、今後の人生を思うと慣れていかなきゃなあと思う、ので、がんばります。夏。夏まで。

 

 

「平成最後の夏」なんですってね。

すばるさんがいなくなって、NEWSが15周年を迎えて。そうかあ、平成も終わるようにいつだってどんな時代だって終わっていくんだもんな、と思えば、なんだか心が凪ぐ。ような気もするし絶望するような気もする。いつまでと我ながら馬鹿みたいに思うけれど、自担の脱退のことまだまだ思って泣き出したくなる日もある。音が一つ減ったり、するのを自担が実感するように、自担の声がしないなあと思ってしまう曲がある。「時間が解決する」というのはやっぱり正しくない、正しくは「これからの経験が解決してくれる」だし「解決しなくても生きていけるように心が整えられていく」だとおもう。かつての感傷を閉じ込めている分厚い蓋があってそれを完全に開けられるほど、いまのわたしには体力がなくて、それはたしかに時間のせいかもしれない。けれど、それは「解決」じゃない。でも、でもたしかに、たのしい。心の奥底に潜んでいる感傷を気遣いながら、交わらない世界線に絶望しながら諦めながら、それでも、わたしの好きな人たちがそれぞれ頑張ってそれぞれに仕事をして生きているのを知っているのがうれしい。同じ時代に生きている。わたしはそれを知っている。わたしの平成が終わるのなら彼らの平成も終わる。そうしていつか新しい年号にすっかり馴染んでしまったころ、平成最後の夏を思い出すことがあればわたしはなにを思うんだろうな。

それはともかくラストフレンズから10年ってやばくない? 

 

 

【追記】

お題「NEWS ARENA TOUR 2018 「EPCOTIA」宇宙旅行記」

素敵なお題があったので参加させていただくことにする。

あわせて最近読んだ小川洋子「口笛の上手な白雪姫」という短編集に収録されている「一つの歌を分け合う」という短編がめちゃくちゃ自分に刺さったのでどうしても言及したくなった。ので、追記として書きます。

レ・ミゼラブル」という舞台をテーマにした作品で、ざっくり説明すると、主人公の伯母が息子を亡くした悲しみを人知れずずっと抱えたままでいるうちに「レ・ミゼラブル」の主演役者のことを息子と思いこむようになり、主人公は息子(主演役者)の姿を観に行く伯母に連れられ、共に舞台を観劇することになる、というおはなし。伯母の姿を自分と重ねた、というと陳腐だけれど、陳腐なのだけれど読んでいてたまらなかった。

伯母は役者のことを息子だと思って見ているけれど、実際はもちろんそうではなく、けれど、それを誰かに咎められることもない。舞台のこちら側とあちら側。あちら側にも物語があり、こちら側にも物語がある。それらはけして交わったりしない、けれど、ときどきかすかに交じり合うときがある。

ここ数年ずっと「同じ星」という言葉の持つ解釈に悩まされてきた。もしかして、あちら側が「同じ星」を観るとき、こちらは「一つの歌を分け合」っていたのかもしれない、と思ってみたら、なんだか急に、わたしだけではないたくさんいるこちら側のひとたちの心境をさまざま考えてしまって胸がいっぱいになった。抱えている感情や事情、あちら側に向ける感情、なにからなにまでひとつずつそれぞれ違っているのかもしれないけれど、あの空間にいたとき、たしかにわたしたちは同じ一つの歌を分け合っていたんだろう。きっと。

 

 

 

 

 

 

出会いの季節別れの季節

 


お元気でいらっしゃいますか。
こちらは宇宙旅行の順番待ちです。

社会人になってようやく一年が経ちました。早いですね。春です。
自分の仕事のはなしと、わたしが大好きな人の仕事のはなしをします。

 

▽「脱退」のはなし
いくつかの報道で彼らが「脱退」という言葉を使わなかったとありましたが、どうしたって「脱退」です。文字列を打ち込みながら泣き出しそうです。「脱退」。わたしが、いわゆるファンとして(傍観者とも当事者ともつかない立場で)それを経験するのは二度目でした。2011年のあの自担の脱退以来。比べたいわけでも比べられると思っているわけでもないけれど、どうしたって脳裏にはあの日のこと、あの日からのことが過ぎるわけでつらいね。
木曜日の晩、週刊誌の報道を知って、うそだろうと否定をするのは容易かったけれど、どうしてもできなかった。週刊誌の語る理由自体はともかく、可能性がないなんてこと、絶対に断言できるかって考えたらできなかった。そうじゃなかったらいい、日が経って、そういやあれしょーもないデマだったな、とこっそり胸をなで下ろすくらいがいちばんいい、と思ったのに、思ったのになあ、できなかったなあ。心のどこかで週刊誌の言うことが事実かもしれないって怯えながら、それでもやっぱりデマだと思ってた、思いたかった。

でも、いつか、こういう日が来ることは知っていた。知っていた、知らないわけなかった。みんなだってそうでしょう。
こういう、関ジャニ∞が7人から減ってしまう日が来ることを、それが何年先なのかどういう事情によってなのかは想像できなくても、それでも確かに来るということだけはちゃんとわたしだって知っていた。だって、あのひとたちだっていつかは死ぬんだぜ。親も推しも、自分も、兄弟も、いつかは死ぬんだぜ。人間の寿命と、アイドルグループの寿命ならきっと(というかどう考えても)、アイドルグループの寿命のほうが短いわけで、それはもうこの世の理じゃないですか。だから、わたしはちゃんと知っていたんですよ。いつか関ジャニ∞が離別を経験することになるって。
それがまさか、こんなにすぐで、こんなかたちとはおもわなかったけれど。

ふざけんなよっておもう、やっぱり。多分ずっと思うと思う。
そういう決断のこともそうだし、関ジャニ∞の嫌いじゃないくせに大事なくせにその事実をファンに知らしめた上で出ていくこととか、引き止められなかった関ジャニ∞のメンバーが最終的には背中を押すしかなかったこととか、だってどう考えても尊重するやんあのひとらならそれを知らないおまえじゃないだろうすばるさん、全部自分たちの言葉で話してだからこそまだ受け入れきれてないメンバーの顔をメディアに晒すはめになったこととか、彼らがいままでやってきた「関ジャニ∞」でいるための努力とか表に出てきていない存続の葛藤とか、関ジャニ∞でいるために諦めたこととか、なんかもう、いろいろ。いままで散々言及した、「関ジャニ∞の将来」とか年を取ったあとのはなしとか、全部うそにされたのがかなしい。はっきりと言うけれど、裏切りですよね。別に全然裏切ってもらっていいけど。だって、悪くない、すばるさん全然悪くない、知っているよそれは。けれど、わたしはこの脱退を、責任をもって「裏切り」と呼ぶ、でも錦戸亮ちゃんは「門出」と呼べばいいし、錦戸亮ちゃんが「門出」と呼ぶ以上は「裏切り」ですらないんだとおもう、ので。
怒る気持ちはひとつもないのに、でもやっぱり、ふざけんなっておもう。ほんとうは、めちゃくちゃさみしくて、ひたすら寂しくて、ずっと一緒にいてほしかった、ただそれだけなのかもしれない。さみしい。

でもね、わたしの大好きな人から、共に歩んでいく大好きなメンバーをひとり奪ったこと、ぜったいに許さないよ。

 

個人的には定期的に浮上する話題だったんじゃないかとおもう、そのたびに説き伏せて、なだめすかしてここまでやってきたのかもしれない、そういう気配はするけれど、そういう気配さえさせなかった、「ずっと」のむずかしさ、きっとわたしたち以上に彼らが知っていて、それでもここまでやってきたんだろう、とおもえば、これからだって願わずにはいられない。「関ジャニ∞」が続く限り、続く限りでいいから、わたしたちに楽しい景色を見せてほしい。たのしい時間を共有させてほしい、楽屋とか、全部とはいわないから。

 

▽「脱退」ということのはなし

「自分の経験した脱退で他人の脱退を語るな」を自戒のために掲げていたけれど、ちょっとだけ「自分の経験した脱退」で今回の脱退のはなしをさせてください。「自分の経験した脱退」に対してどういうスタンスでいるかを決められるのは自分だけなので、他人の意見を受け入れる必要はないことだけ肝に銘じてほしい。同様にわたしのブログに対してもよろしくおねがいします。
ところで、あのときも4月だったそうです。すばるさんが脱退の意思があることを最初に伝えた2月15日は、加藤さんが事務所の人のすすめで処女作「ピンクとグレー」の執筆を開始した日でした。あのとき、出ていった側の錦戸亮ちゃんが誰かを見送ることになって、「門出」と言う。あのとき見送った側の加藤シゲアキは、会議室から出ていくふたりの背中を一生忘れない、と言う。

いろんなことが過ぎって、過ぎっていくけれど言葉にするにはさいきんいろいろとサボり過ぎていたので、どうにもいかない、たくさん泣いて泣いて、ああ、引き止めることが叶わないつらさをどうしてわたしの好きな人たちは知ってしまったんだろうと嘆くしかできない。加藤シゲアキにとっての錦戸亮錦戸亮にとっての渋谷すばる。憧れ。くやしいなあ。と、言葉にできて、これくらい。

錦戸亮ちゃんのもとから人が去る、ということだけを考えてもとてもつらい、しかもそれがオタクに知れるところだから避けようがない。さみしい、さみしくさせないでくれ。

いろんなことを思うけれど、きっと「6人」の姿を見ていくうちにいろんな感情が変化していくんだろうと思う。わたしは、それを少しだけ楽しみにしている。たとえ、今日感じていることと全然違うことを思うようになったとしても、その都度その都度自分がきちんと感じたものなら、こわくない。未来も。

関ジャニ∞も、NEWSも、その物語を終えて閉じられていくとき、それがどんな終わりであれ、それを見届けて、わたしは自分のファンとしての人生を閉じたい。

 

 

▽自分の仕事のはなし

簡潔に言うと転勤で実家に帰れなくて4月の初めからほとんど毎日泣いている。に加えてなんかすばるさんがジャニーズ事務所辞めますとかいうので、涙腺が死んでいる。入社時と二年目のタイミングでそれぞれ配属が知らされるんですが、初年度は東海、今年度は伏せるけれど地方都市。共に実家から公共交通機関で2.3時間。そんなに遠くはない、けれども、通える距離じゃない。辞令が出て、しばらく経ってからじわじわと悲しみが押し寄せて、昼休憩ずっと泣いていた。親や職場の先輩に執拗に慰められて、余計に悲しかった。実家でもなく、ここでもないところへ行くのかと思うと、心が塞いで仕方なかった。夜通し泣いて、泣けてきて、自分でも思っていた以上にどれだけ実家に帰りたかったのか、思い知ったようだった。

あのね、ほんとうに実家に帰りたいの。社会人になってみてかえって「自立」の必要性を疑うようになった。「親孝行」と「自立」の境界線ってたぶんひどくあやふやで、実家に顔を見せるのが「親孝行」と言ったりするじゃないですか、じゃあ住めばよくない? 住んだら「自立」じゃなくなるからだめなの? なんだそれ。「孫の顔を見せるのが親孝行」と言われても、赤の他人に言われれば、ああ時代錯誤ですね、で内心唾を吐いて終えられるけれど、親に言われれば、わかりました検討します、となる。親が望むなら、転勤の可能性がある仕事、選ばなかったかもしれない。まあ最終受けるときには受かればここに就職すると決めていたので、内定出た後に「この業界で就活していました、ここに就職しようと思っています」と報告したけれど。あーーーかえりたいなーーーーーーーどこやねんここ、何県ですか? 大阪府ですか!? 違うんですか!? まじかよ! 仕事はクソなんですが、実家から通えるのならクソでも頑張れる、と思っていたから、実家から通えないとなると頑張れないですよね。ふつう。薄々もう帰れないかもしれないなあ、とも感じていて、えっもう帰れないって永遠ってこと? わたしがずっとこの会社で働いている限り? お母ちゃんのご飯毎日毎日食べれる生活がもう過ごせないってこと? きちんと家を出る覚悟をしなかった分しんどくて、実家出なくても就職できるような仕事たくさんあるのわかっていて、でも、いまの仕事辞めれるかって言われるとまだこの会社でこの業界の行く末を見届けていたくて、結局そういうのばっかりやん、っておもうわけです。仕事はくそです。くそだし泡のようだし理解もあんまり得られないし、でも、それ以上の果てしなさがある。でもやっぱりくそなんですよね、会社も、仕事も。だから、くそじゃない仕事をするために決断するさまざまなひとのことを、わたしは、尊敬する、だってそういうひとは仕事をくそとか言わないでしょう、すごすぎる。仕事のためにあらゆる決断ができるひとの覚悟を、それがどんな仕事のひとであれ、敬意を払うし、憧れる、でもわたしはそっち側にはいけない、し、何度生まれ変わってもいかないんだろうとおもう。仕事のために生きれないか弱いオタクは、オタクであるがゆえにときどき生きにくさに殺されそうになりながら、それでもオタクだから働くわけですよ。実家は京セラドームまで500円。現状最寄りのドームまで1万円とちょっと。オタクとして生きるために仕事をしているはずなのに働くことへの興味を求めようとしたらオタクとしての生きやすさから離れていく二年目。

わたしでさえ、家族という共同体からやりたい(ような気がするから選んだ)仕事のためにぬけたくもないのに半分抜け出してしまっているんだから、こんなに帰りたいのだから、と思うと、さみしい気持ちが増幅する。めちゃくちゃ良くしてもらった転勤前の職場でありとあらゆる人に「がんばって」「とにかく頑張ればいいことあるから」と励まされてしまったので、友達もいないような土地でも頑張らないわけにはいかないんですよね。

 

札幌? 行きますよ。

そのまえに宇宙にちょっと用事が。

 

 

 

錦戸亮主演「羊の木」/ぼんやりとした感想ネタバレあります

情報解禁日から一年半、完成披露試写会で観てから一ヵ月半、ついに劇場で「羊の木」を観ました。

「2018年公開」という果てしなく遠い未来のようだった映画公開の日が、ついに訪れて、当時よりいまだに変わらない熱量で錦戸亮のオタクをしている自分に呆れたり感慨深くなったり胸をなで下ろしたり、さまざまです。どんどん「好き」が増していくばかりで恐ろしい2018年です。

12月に行われた完成披露試写会で司会進行の女性が、舞台挨拶終了後、上映が始まるまえに一言挨拶してくださったなかでおっしゃった「この映画の意味がわかるのが3年後か、5年後かはわかりませんが…」という一言の意味を、わたしは映画を観終えた後に思い知ったのでした。この映画の解釈について答えを出せないまま長い間考え続けるに違いないけれど、それはきっと将来何かのタイミングであっさり解決されてしまうんだろうという予感。わからないと頭を悩ませていればいつの日か、「あ、こういうことだったんだ」と悟る日が来るのだろうという気配。「羊の木」にはそういう気配がある。

 

以下ネタバレを含みます、自分のメモのような感じです

まともな感想ブログだと思ったら痛い目を見ます

 

 

▽完成披露試写会

12月13日の完成披露試写会は、上映前に舞台挨拶がありました。今思い返せば、初めて一般のお客さんが観る、ということ、上映前に舞台挨拶があったということ、どちらも結構映画を観るこちら側の心境に影響を及ぼしてたんじゃないのかなって。錦戸亮ちゃんがのちのインタビューで何度も語った「全然笑うようなシーンじゃないのに笑い声が上がったシーン」、とか、多分観る側の心が開いていたからでは? 上映前の役者さんのコメントの時点で、もうすでに彼のことを赦してしまっていたんだろうと思う、わたしは。わたしは全然笑えなかったけれど(顔がめちゃくちゃ良いとは思ったし、そういう意味で悶えた人も一定数いたと思う)。だって酔っぱらってあんなに乱暴になる人だとは知らなかったし。

舞台挨拶の雰囲気めちゃくちゃ和やかだったんですけれど、時折つまずくんですよね。「衝撃」という言葉に影響されないでほしい、というコメントだったり、「おかしみがある」という監督の言葉だったり、そういう柔和なコメントの一方、あの役は自分のことだと思った、というようなぐっさり刺さるコメントもあったりして。それでも和やかだったんです、ファンクラブで当選した人間はいつも通り盛り上げてくれと指示も受けましたし。

どのあたりからだっただろう、「どちらから?」「新幹線で来ました」の噛み合わない会話や、宮腰が「小躍り」するシーン、月末が父親に「まずい」と言われるシーンで上がっていた笑い声が、すっかり止んでしまったのは。不穏な気配のなかでも笑っていた気丈さが、ついに見えなくなっていくあの会場の雰囲気は独特で、きっと初見の人が醸し出す緊張感が周りに伝播していったんだろうとおもう。喉の奥がひりひりして、たまらなくて、こわくて(これが「こわい」という感情なのかもわからなかったけれど)、観終えたあと、何も言えなかった。もう二度は観られないかもしれない、とも思った。明るくなった会場から言葉数少なに出ていく観客のあの何とも言えない疲労感と、「なんだったんだろうな」と心のなかで唱えていたあの日を思い出します。

 

 ▽「DEATH IS NOT THE END」

「死は終わりではない」ってどの「死」のことを指しているんだろう。「殺人者の歌」というアルバムに収録されているらしいけれど、これを歌っているのが殺人者であるのなら、新住民の彼らであるのなら、その「死」は、彼らが殺めてしまった人々の「死」ということになる。でも、本編で最後に「死」ぬのは、宮腰だ。

宮腰にとって「死」は救いだったんだろうか、とずっと考えています。「死は終わりではない」と歌われるのだから、死んだところで宮腰にとっての苦悩は続くのではないのか、とか、じゃあ、「死」は救いではなかったんじゃないか、とか。輪廻ってそういうものじゃなかったっけ。けれどそれでは、あまりにも報われない。

でも、そもそも殺しておいて「死は終わりではない」なんて、そんなのおまえの理屈なだけだろ、みたいなことも頭を過ぎったりして。(杉山は「死んだら終わりだ」と言いそうですね)でも、多分きっとそういうことじゃないんだろうなあとは思う。殺してしまったけれど「死は終わりではない」、そう歌うのは、主張や言い訳じゃなくてきっと祈りなのだろう。暴力を振るう恋人を殺した栗本が埋めた死骸から芽が出る。二尾の魚を購入して一尾だけを食べ、もう一尾は土に埋める栗本の行為が、わたしには死んだ恋人に捧げた供物に見えた。「死骸」はそれ自体を埋めて弔ったのだと思うのだけれど、あの魚だけは恋人への弔いだったのだろうと思っている。「さよならじゃない」、生まれ変わってまた新たな命へと育っていく。殺しても殺したという事実から逃れられはしない。弔いの先の希望。映画を観てからしばらく経ってようやく、宮腰にとって自分自身もそうだったのかもしれない、と気が付いた。

 

▽月末さん

月末さんの顔が最高に良い。そりゃあ顔が錦戸亮なのだから当然、映画だってもちろん真剣に見ていました、見ていましたよ、でも顔に惚れている人間なので顔のことだって言わせてほしい。カミソリのシーン。宮腰と同じ部屋で眠ってしまうシーン。無駄に顔が良い運転中の横顔のシーン。パトカーを追って港まで来たあのシーン。あれぜんぶ2016年の錦戸亮の顔です。たまらんね。前髪分けている公務員スタイルに慣らされたかと思えば急にベースを前髪下ろして弾くんだからもうさあ、しんどいよ。しんどい。「自分、顔が錦戸亮なのわかってる!?」と月末さんに詰め寄りたくなった。ベース弾いてるとき文の方を見る目に熱が籠ってるのとか、須藤に文と宮腰が付き合っていることを暴露されたときの顔とか、バンド終わりにコードを後ろ足で蹴り上げるのとか、普通にもう好きしかない。映画の内容の濃さに没入するような心地もあれば、時折「そうはいっても顔が!!!」みたいな我に返る瞬間があって非常に感情がいそがしい。

 

 

▽宮腰と月末

宮腰のセリフで一番印象的なものが「のろろ様、怒ってるんですかね」と囁くあのセリフだった。どことなく、のろろ様が怒るのは当然、自分が怒らせるようなことをしてしまった(してしまうに違いない?)、とでも言いたげな風に感じて、宮腰の底知れなさにこわくなった。

終盤の宮腰に対して、クリーニング屋での「人が肌で感じることはだいたい正しい」という言葉を思い出したりしたけれど、文が宮腰に触れられたのをやんわり拒絶したときになにかを肌で感じたのだろうと想像がつく。人を殺した気配とか、そういうもの、たとえば、「どうせ死刑」みたいな諦めとか。そういうのを月末はいつ感じ取ったのだろう。少年院に入っていたと知ったのに、同じ部屋で眠るの、って、どういうことなんだろう。あのあたり本当に心臓がひりひりしてたまらない。宮腰の「好きだって知ってたら付き合わなかった」「ずっとまえから月末くんと一緒にいるみたいだ」とか、ベースじゃなくてギターを始めるところ、なんだか宮腰の月末への執着のように見えたりして。

「それ、友達として聞いてる?」

わたしは、月末が文に、宮腰が刑務所にいたと暴露してしまったあと我に返って「だれにも言わないで」と懇願するところは、友達としてじゃなくて市役所に勤める人間としての発言だったと思っている。けれど、そのあとすぐに宮腰に電話をして謝罪をする、あれはやっぱり月末が宮腰に言った通り、「友達として」だったんじゃないかな。たとえ、月末があのときに初めて宮腰のことを「友達」と認識したのだとしても、それまでの「友達」という言葉を否定できるような空気じゃなかったとしても、あのとき友達だと答えてしまったのだからもうそこからはきっと友達だった。人を殺したことのある友達。

宮腰はどうして人を殺すんだろう。「正当防衛」なんだろうか。行き過ぎた正当防衛。自分のことを脅かす存在への恐怖が衝動なのだろうか。文のことを本当に殺そうとしたのか。

そうして宮腰のことをどんどん考えていくと、宮腰にとって月末はなんだったのか、ということを考えないわけにはいかなくなる。なんだったんだろう。「どうせ死刑」の裏側に「どうしたって月末のようにはなれない」という絶望があったのではないか。「人殺しだよ、今までも、昨日も今日も、そしてこれからも」ちゃんと分かっていて、それでも乗り越えられない絶望。絶望のまんなかにいた宮腰にとって月末はなんだったんだろう、救いだったんだろうか、希望だったんだろうか、可能性だったんだろうか、それとも、トドメだったんだろうか。もしかすると、そんなに大層なものではなくて、ささいなきっかけのひとつにすぎないのかもしれないけれど。

正直、宮腰と月末の完成しなかった関係性にロマンを抱いてしまっていて、そのあまりの哀しさに打ちのめされたままで、まだまだ解釈がおいついていない。けれど、宮腰が「死」を選んだことにきっと月末は関係しているだろうから、と思うと頭を抱えてしまいそうになる。しんど~~~~~~~~。オタクとしてのわたしが悶え苦しんでいるので答えを出すのはもうちょっと先にしたい。

 

▽「羊の木」という理

↑フォロワー限定公開だったのでこちらに→*1

ひとつ大きな自然として「羊の木」があって他の受刑者は、その理のなかで更生するのだけれど、宮腰だけはその理から外れて、放り出されたんじゃないか、と自分のなかで思ったりもしていて、うまく言えないし、解釈として歪だとも理解してはいるけれど。殺されることに意味はないから殺された人も理に自然と組み込まれていくなかで、宮腰はその大きな流れから振り落とされた感じ。のろろ様みたいな大きい存在によって。宮腰は、のろろ様みたいなものに怒られたかったのかもなあ。

と考えながらも、エンドロールが上から下に流れていくのを見て、二人だって崖から落ちたのだし、光も空から地上に差し込むわけだし、どうなんだろうなあとぼんやり想像してみたりもします。

と、お察しの通り適当な言葉を並べながら統合性なんて気にせず仮説だけどんどん立てては、結局宮腰のことばっかり考えている。あんだけ何にも考えずに人を殺したくせに、ずるいね。

 

 ▽さいごに

思うまま感想を書いていったら、自分のなかで思ったよりまとまっていないことに気が付いたので(書けば考えも整理されるかなとおもった)、とりあえずもう一度観に行ってから考えようと思います。思いがけない人から一緒に見に行こうとお誘いいただいたり、友人から観に行ったよと連絡もらったり、たくさんの様々なひとが興味を示している映画なんだなーと実感して、オタクとしては大変うれしい。錦戸亮ちゃんの演じる「普通」が醸し出す良さを、ここまで映画のなかで大切にしてもらえるとは思ってもいなかったし、監督にも評価してもらえていて、たまらなくうれしい、ほんとうにうれしい、と噛みしめてしまう。ずっと、こういう映画らしい映画に出てほしかったし、ましてや主演だし、いままでの仕事を観てのオファーだって知って、なんだか勝手に報われたような気になった。にしたって2016年にこんな映画撮っておいて、しれっと「足を運んでください」とか「いったん忘れてもらって」とかやってた錦戸亮ちゃんほんっとにいい加減にしてほしい、爆弾抱えすぎやろ、もう。挙句、「羊の木」撮影期間中に「Tokyoholic」つくってたって、錦戸亮という人間の底知れなさに思わず笑ってしまう。天才かな???? 知ってたけど!!

錦戸亮ちゃんが出ていなかったらもしかしたら観ていなかったかもしれないような作品のまんなかに、主演として錦戸亮がいるのがめちゃくちゃ嬉しいの、分かってもらえますか。

前売り消費しながら毎回ちゃんと考えたいなあと思う。パンフもまだちゃんと読めてないので読むぞ~~、と思いながら、こうしていろんなひとの「羊の木」に対する考察解釈感想に触れながら自分と違う見方を受け入れていくことが、もしかしたら、いちばん大切なことなのかもしれない、と考えてみたりしています。

こうしてオタクみんなでうんうん唸るような映画を、わたしたちに見せてくれてありがとう。という気持ちでいまはいっぱいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:宮腰があの「羊の木」という理から逸脱しているとする捉え方だったけれど逸脱していないと捉える見方もあったことを

遠征費のまとめとまとめ/関ジャニ’s エイターテインメント夏

 

「ジャム」オーラスからまだ一ヶ月も経っていないとは思えないほど、すっかり秋めいてきて、あの夏が夢のようです。あ~~~~たのしかった~~~~~~~~と惚けるついでに、現実と向き合って反省するためにも、遠征費とツアーの感想をまとめておきます。夏のドームツアーという初めての経験と、自分の初めての環境で、バタバタしていた夏。コンサートに行かないなんてなかった。

 

moyashi1984.hateblo.jp

 ↑ 前回のツアーから春を迎えて環境が変わりました

・就職しました(基本土日休み)

大阪府在住から愛知県在住になりました

 

 

◎札幌公演(7/15~7/16)

・チケット代          8100円

・中部→新千歳 飛行機代  21315円

・新千歳→中部 飛行機代  10600円

・宿泊費             7000円

・交通費          3000円

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               50015円

 

▽雑感

今回はツアー発表からしばらく経ってから航空券を予約した、5月とかだった気がする。そもそもどの土地に配属されるのか分からない状態だったので予約なんてできるわけもなく、候補地からの航空券を検索しては、北海道の夏・三連休の高騰っぷりに相当慄いていた。飛行機が飛ばない怖さが航空券の安さに表れていたんだな、と札幌遠征をするようになって数年、初めて知る。

 

 

◎大阪公演(7/20、7/22~23)

・チケット代(3公演)      24300円

・7/20 愛知⇔大阪 交通費     10000円

・7/22.23 愛知⇔大阪 交通費   14000円

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               48300円    

 

▽雑感

なぜかタイミングがたまたま重なり、奇跡的に公演日にお休みがもらえたので急遽増やした平日公演。20日は往路が高速バス(2500円)で復路が新幹線(約6000円)、22日はどちらも新幹線の利用。絶妙に近くて良いですね。絶妙にしんどいが。開演ギリギリにドームに行くまでは主に実家で寝ていました。札幌公演から一週間経たない大阪公演のスケジュールに「体力勝負」という言葉が脳裏にチラつきながらも、勢いで乗り切った、金曜日は仕事で入れなかったけれど楽しかった、入ってよかった、と振り返って思えているのでよかった。

 

 

◎名古屋公演(8/5.6)

・チケット代(2公演)    16200円

・交通費           4000円

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                20200円

▽雑感

名古屋公演の際にかつて夜行バスを逃したことがあるのだけれど、今回は絶妙に乗り換えをするための終電を逃して、結局2駅分くらいタクシーを使うハメになった。1500円くらい損しているわけですが全く反省していないという点をどうにか反省したい。家があるのに帰れない事態に陥るところだった(でも帰れたしいいだろうという甘さ)。名古屋は大阪に比べるとドームの中は涼しかったけれど、外が暑かった。昼過ぎに家を出てコンサートを観て帰るだけの慎ましい名古屋。体力の限界っぷりがここでもわかる。平日公演の存在を忘れ去ることに成功しだした名古屋。同時に社会人のせつなさを知り始める。

 

 

◎東京公演は行きませんでした

    (実家で寝てました)

 

◎福岡公演(9/9)

・チケット代         8100円

・中部⇔福岡 飛行機代往復  21400円

・宿泊費           2000円

・交通費           3500円

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                35000円

▽雑感

ツアーが始まる一週間くらいまえ、不意に「えげつないが数回しか見られないのやばくないか、耐えられない」と(具体的には東京行きの新幹線の時間を検索するなどして)狼狽えていたら、友人が「福岡土曜日」と悪魔のような勧誘をしてきたのを、「いやいやいやいや」と笑って断ろうとしていたらいつの間にか航空券を購入していました。恐ろしい。オーラスは当日中に帰ってこられない(朝一なら帰れた)ので、万全を期して諦め、諦めて土曜日のためだけに福岡に飛ぶのもいかがなものかとは思うのだけれど、まあ結局、行ってよかったの一言しかない。持つべきものは友人である。

オーラス福岡の地に長居したくなさすぎて、ホテルを予約しなかったことだけは反省してほしい。

 

◎グッズ代

・うちわ  ×2

・ワッペン ×3

・パンフ

・クリアファイル

・フォトセ

・ポーチ

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      8100円

▽グッズ雑感

札幌のワッペンが当日会場に着くまでの間に売り切れていて買えなかった。諸事情によりイチゴモチーフがあるものは購入できなかったのが残念。その他かわいいとは思うが好みではない、でもかわいいので良い、ただ好みではない、と自分に言い聞かせ選んだ。複数会場に行くと「次買えばいいや」を繰り返して、購入する量が控えめになるのはあるあるなのかもしれないなあと思う。ポケモンセンターのご当地ピンバッジのガチャガチャは北海道愛知大阪福岡と優に10回(1回300円)以上回したので、関ジャニ∞もピンバッジを作ってほしい。

 

◎総額 公演数 7/14

・札幌   50015円

・大阪   48300円

・名古屋  20200円

・福岡   35000円

・グッズ    8100円

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       161615円

 

   

 ▽遠征まとめ

前回 11公演4都市 186,730円

今回   7公演4都市 161,615円

 準備不足の一言に尽きるツアーだったかな、という印象。遠征先の土地に長居しちゃいけないという気持ちのせいなのか、今回ホテルをひとつも予約しなかった。新入社員としてのバタバタと右も左もわからない土地での生活でいっぱいいっぱいで、ツアーの計画を立てる余裕がなく、それでも行けるだけ行かなければ一生後悔すると思った原因の「えげつない」。「えげつない」のせいです。

学生時代と比べて毎月の収入がざっくり10万円増えたことで成り立っていた、雑なお金の使い方だった。反省。来年からはもうちょっと倹約に努めようとおもう。無駄が多すぎる。でも、がんばった! たのしかった! 「新入社員としてのバタバタと右も左もわからない土地での生活」をなんとかがんばれたのは、夏にこうして活力を与えてくれた関ジャニ∞のおかげだった、とつくづく実感している。お金こそ使うけれどオタクでよかった。

 

▽「ジャム」雑感

 ときどき愚痴も混じるけれど読み流してください。

 錦戸亮ちゃんの顔の可愛さに慄くばかりの初日だった。ポエムスイッチが常時オンになっていて狂ったようにポエム生成マシンに成り下がっていた。「錦戸亮ちゃん激烈かわいい札幌ドームだった」とか「この可愛い32歳の錦戸亮ちゃんを札幌ドームで見るためにファンになったんだと思う」とか「かわいいが溢れかえっていてもう自分のなかから零れ落ちていくのを感じている」とか「こんなにかわいい錦戸亮ちゃんをありがとう2017年」とか血管が切れたかのように、頭の悪いツイートを繰り返していて、我ながら幸せそうでなにより。ただ、わたしだけでなく会場全体が、錦戸亮ちゃんが喋るたびに「ざわ……ざわざわ…かわいい………ざわざわ」とざわついていたのだけはきちんとお知らせしたい。錦戸亮を愛でるような時代になったのだと思うと、感慨深い。

「えげつない」のために遠征増やしたオタクですが、コンサートでさらに化けやがって頭抱えるしかなかった。振り。サイコー。岡崎体育さんにはやはり頭があがらない。福岡で、周到に用意されていた替え歌披露してきた錦戸亮ちゃんのことをわたしは一生許さない。どれだけ虜にさせる気ですか。

コンサート初日から一縷も疑うことなく「楽しい」コンサートツアーだった、と、おもう。個人的にはあの嫌悪しか抱かせないマナー喚起動画が2度も流れるのは地獄だったけれど。まあそれを差し引いても良いコンサートだった。「需要と供給の相互理解」だとこのツアーに関して印象を抱いているのだけれど「相互理解」これに尽きるんじゃないかと思う。関ジャニ∞はもちろん関ジャニ∞のことを愛しているとおもうけれど、ファンだってきちんと愛されているんだろうなと、実感した。新しいかたちをとるときに「こうしたら喜んでもらえるんじゃないだろうか」と考えてくれたのだろう、とこちらが理解してその姿勢にうれしくなる、相互理解、尊重というのかもしれない。ノスタルジアの衣装はださかった。ノスタルジアの衣装のダサさとマナー動画のダサさは、ダサさの種類が違う。前者が「あ~~~~だっせえええええええ」と笑っちゃうようなそれだとしたら、後者のダサさは「見るべきじゃないな」と身体が判断するダサさ。どうにか、あのファンの人権を侵害しかねない動画が改善されますように。ばかにすんな。

と、明確に不満も言葉にできるほど、限られていたんだろう、と思う。不満なんて数えるくらいしかない。

「良いコンサートだった」とそれしか言えないので、どう伝わるのかわからないけれど、ほんとうによかった、たのしかった。前半をまるっとバンドにするって動きがないようにも思えるけれど、名古屋で覚醒したと村上さんから言われたように、ああいうちょっとした遊びがあればバンドのほうが楽しみに感じたりして、つくづく関ジャニ∞が好きなんだなあと思い知らされた。なんでも肯定するわけじゃないけれど、それでも好きなものを肯定できるってうれしい。

 そういえば、V6のファンの方のはてなブログを拝読した。「銀テープを譲り合うV6のファンが素晴らしい」というような内容の。しょうじき、どうしてそんなに心が優しくいられるのか、と疑問でしかない。関ジャニ∞のファンには絶対に無理。少なくとも私には。自分は、数本知人におすそわけしてもらっていたうえに、何公演目かでアリーナの通路横の座席を引いたとき、有り余るほどの銀テが取れたので、銀テ難民にはならずに済んだ。さて、わたしの手元には自分の分を差し引いても余る綺麗な自担色の銀テープがありましたが、これを会場のそと(会場内近くにいた人たちはみんな充分なほど手にしていた)にいたファンにあげようと少しでも考えたでしょうか。あなただったらどうしますか。わたしはね、死んでも嫌だと思った。会場のそとに出たら待ち構えている「銀テープ譲ってください!!」と大声を張り上げて「銀テープ譲ってください。何色でも構いません」と書かれたスケッチブック(おうちから用意してきたのかな?)を持って立つ、せいぜい中高生くらいのファン。酷いと50人くらい並んでいる。係員が「立ち止まらないでください」とアナウンスしていても気にも留めずに我こそはと叫ぶ、そんなに叫びたいのならダブルアンコールで叫んでくれた方がまだ報われるんじゃないだろうかというくらい。あんな露骨に下品な集団に、運よく手にした銀テープをあげたくなるひとが果たしているんだろうか。騒がしい上に通行の妨げになるような人にあげるのなら、もうすでに持っているかもしれないツイッターでお世話になっている人たちに渡したほうがよっぽどいい。V6のファンはきっと「銀テープをあげたくなるようなファン」がたくさんいるのだろうと思うと心底羨ましかった。

オーラスしかダブルアンコールがない現状は、「慣習」と言ってしまえば聞こえはよいけれど「甘え」だよねえ、と思ったりもするけれど。でも、なんだかんだ本編で充分満足だったし、例年のアンコールでのシングルぶつ切りメドレーではなく、浴衣で披露する「純情恋花火」だったのでさらに大満足だった。「なんでこんなにたのしかったんだろう?」と首をひねらずにはいられないほど、満足度が高くて、不思議なきもちです。これで次のツアーのセトリが、どうしてこうなった?と思わずにはいられないような頓珍漢なものだったとしても愛せるかもしれない。関ジャニ∞がなりたい関ジャニ∞になるために駆け抜ける道の、先をファンはどうしたって見れないけれど、その軌跡はいつだって見せてくれるの、たのしくてたのしくて、そうして、たのしみで仕方がない。

それでも、やっぱり錦戸亮ちゃんのかおがかわいい。たのしい。これに尽きる。

 

 

 冬の予定があるのならはやめに教えてください、ませ。今度こそ貯めてから臨みたい。