「Tokyoholic」の話

つい先日オーラスを迎えた、関ジャニ's エイターテインメントでの個人的な最大のサプライズだった「Tokyoholic」。錦戸亮の立ち上げたセッションが誰も想像していなかったかたちに進化して歌詞のある曲として披露された、札幌初日からの14公演を終えても、音源化が決まっても、ああだこうだ言うのが止まらないのでいっそブログに吐き出します。「ゲッツ出の新規」になりたい気持ちが止められない、げろげろに自担に惚れこんでいる、もともとない語彙をドームに落としてきた錦戸担の戯言ですので、ご注意。ポエムですらない。偉そうに聞こえたらごめんなさい。

 

とりあえず、「Tokyoholic」に関するツイートをざっと。

・初日札幌を終えて

(目的地は大阪。飛行機欠航のため列車で札幌から東京を経由して帰宅した)

・東京

・音源化が決まって(「錦戸亮作詞・作曲・編曲」と発表される)

・福岡

・大阪でのオーラスを迎えて

(これ=上記の「閃光スクランブル」のツイート)

 

案外ツイートしていないんですね。ネタバレ配慮していたからかな。もうツアー始まってから毎日ずっと「Tokyoholic」のことを考えていたので、100ツイートくらいしている気分でした。東京の2日目くらいまではタイトルも発表されてなかったから、「東京の歌」とか「セッションのやつ」とかって適当に呼んでいました、そしたらまあ、なんとも言えないタイトルで。錦戸亮っぽさが強くてちょっとだけ引いた。「うわあ」って。最高じゃないですか。錦戸亮みが強い。「うっわあ」ってなる。

そもそもセッションだけで最高だったんですよ、語彙が「最高」しかないのはもうドームに全部置いてきたからです。関ジャニ∞に奪われました。セッションの映像だけで最高にかっこよくて、錦戸亮関ジャニ∞というバンドに寄せる感情の大きさもなんとなく察していましたし、しったかしたいわけじゃなくて、錦戸亮ちゃんがバンド形態大好きなのはもうみんなが知っているレベルのことで、だから、あのセッションだって、好きなことができて楽しそうだ、とか、音楽のことは全然分からないけどめちゃくちゃかっこよくて好きだ、とかそういう感想を持っていたんです。顔が可愛いという感想ばっかり抱いていた節もあるんですが、新しいことをさせてもらっている、錦戸亮関ジャニ∞というバンドでやりたいことをしている、という感じがとてもあって、それだけでもう充分だったんです。顔も最高に可愛かったんですけどね。

でも、まさか、さあ、歌詞があるなんて思いもしなかったんです。

 

ファンには言葉にしなくてもわかってもらえる、多分、うまく言葉にできないこの、胸が熱くなる感情がそのまま分かってもらえると思う、あの錦戸亮ちゃんのパート。大本命。

「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」

このフレーズ。言葉にしてしまうことが勿体ないほどの、この、ぐっと込み上げる気持ちが、さあ、ファンにしか伝わらないのだとしたらファンでよかったと言い切れるよ。

錦戸担としてこの曲を聴くためにわたしは錦戸担になったんだと思ったし、わたしの短い錦戸担生活のすべてが報われたと思った、この曲を聴く前のわたしは錦戸亮ちゃんのことをどうやって好きでいたんだろうとさえ思う。この曲を作った錦戸亮ちゃんを知ってしまってどうやったら錦戸亮ちゃんのことを嫌いになれるのか、いつか興味を持たなくなる日がやってくるのか、分からない。絶対来ないと思った。このまま一生虜にさせられるのかと思うとちょっと怖い。「Tokyoholic」を聴いてから、今までよりも3倍くらい錦戸亮ちゃんのことを好きになった、どこまで好きになれるのか底が見えなくて怖い。

他の歌詞はちゃんと覚えてないんですが。やすくんのパートは「そんなはよ歩かれたら こっちも見失うわ」です。誰を見失ってるの~~~およよ。横山さんのパートが、担当楽器のせいなのか、それとも作った人間が横山さんに歌詞をあてることを恐れたのかは知りませんが、ないんですよね。なんでなのか説明してくれ。あとは、丸山さんのパートが半分アドリブっぽいところ、「もうあかんわ」が固定なところ、大倉さんのパートのリードギターが錦戸亮ちゃんなところ、東京への依存を歌うのが大倉さんだってところ、すばるさん村上さんのパートがそれぞれ一番と二番の対応する箇所だとか、村上さんの英詞がカタカナで書かれているところ、とか、もう、うろ覚えで良かったポイント挙げるくらいしかできないんですけど、あと2週間もたたないうちに歌詞カード見れると思ったらすごい。

そもそも「歌詞を書く」って、すごい行為だと思っていて。他者に自分のことばを歌わせるわけで、なんていうか、洗脳といえば聞こえは悪いけれど、そういう、思考を代わりに歌ってもらう、歌わせる、ってすごい行為だよなと普段から思っているので、関ジャニ∞にああいう歌を歌わせたのが錦戸亮だっていうところにドキドキしています。そして自分のパート。

「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」

多分、みんな、錦戸亮ちゃんのこういうところに惹かれてたんだ、どんな錦戸担も他担もそうなんだろう、と実感した。

錦戸亮なんて、努力の人か才能の人かでいえば、圧倒的に「才能の人」だと私は思っていて。けれど、その「才能」は努力に裏付けされたものだろうということにも薄々気がついてはいて。錦戸亮ちゃんは常々「頑張る」とは口にしてくれているけれど、それでも、その「努力」を実際に彼があんまり公にしないから、素知らぬ顔をしてこちらの予想を上回る最高の仕事をしてくれているから、「努力」が公にされない限りはそれらを「才能」の賜物だと思って、錦戸亮ちゃんのその「努力」にこっそり感謝しながらすべては彼の生まれ持った「才能」のために成せたことだと、そう信じることが彼への敬意だと思っていました、ずっと。万能の天才じゃないことには気が付いているけれど、「天才」だと思って好きでいることが、「努力」への礼儀だとすら思っていたところがあったんです。

それなのに、そんな風に好きでいたところに現れた「必死」ということばが、ここまで胸に迫るものを呼び起こすとは思ってもみなかった。この歌詞に難しい言葉なんて何一つないのに、小学生で習う漢字しかないのに。

私の語彙と文章力じゃ、「Tokyoholic」の良さを3%も伝えきれないので、悔しい。「錦戸亮ちゃんって天才なんじゃないかな!?」とツアーが始まってから毎分思い直しています。いつかの錦戸亮ちゃんが母親の後姿を見て泣いた、東京。村上くんに「一人暮らしって何食べたらええん?」と電話した東京。そうして、もうすっかり一年のほとんどを東京で過ごすようになって久しい今。ずっと「東京は仕事をする場所」だと話す関ジャニ∞が嘘をついているとは思っていなかったけれど、それでもまさかこの2016年に、あんな唄を歌うほどの感情を東京に抱いていたとは露ほども思わなかった。「東京」でもそこそこの地位を得たように見える彼らが、彼が、東京の地で「上から見んなや」と思っている誰かがいる、「必死」だと認めて、歌っている。必死なん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(´;ω;`)(´;ω;`)言葉になりませんでした。

 

東京ドームで聞いた「Tokyoholic」が忘れられない。

大阪から夜行バスで東京まで移動して、何度も訪れていたから近い近いと思っていた東京だったけれど、4日間も宿を転々として滞在していたら自分の家が随分と遠いところにあると気が付く。電車に乗っても、ご飯食べてても、周りから聞こえてくる会話のアクセントが、なんだかちょっとずつ心に溜まってすっきりしない。そういう、地元じゃないストレスがちょっとずつ蓄積して、あ、帰りたい、と思ったころに聴いた「Tokyoholic」だった。

自分がいまいるのがまさしくその「東京」なのか、と思い知らされて、聴いた「Tokyoholic」の次の曲が「象」だった。サビの「10年後またここで会おうよ」の「ここ」が東京ドームだと考えて、思わず泣いた。10年後、東京ドームに自分はいるだろうかと。だってもうすぐにでも大阪の実家の布団に潜り込みたいくらい疲れ果ててた、し、10年後関ジャニ∞が東京ドームでコンサートしてくれているのだろうとふと考えてしまって、それでも関ジャニ∞がかっこよかった。

「上京」ってそれだけでもう、語り尽せないほどの切なさをもたらすのは他のどんな唄だってそうなんだろうけれど、斉藤和義の「郷愁」とか、でも、それでも「Tokyoholic」のように「よっしゃ~~~~~~~がんばろう」という気持ちにさせてくれる関ジャニ∞が私にとっていちばんだよ。あ~~~~~~~~~私も頑張ろう、上京する気も大阪離れる気も一切ないけど、錦戸亮ちゃんの頑張りには三分の一も及ばないけど! 関ジャニ∞だって、錦戸亮ちゃんだって「上京」ということばにあっさりカテゴライズされてしまうんだ、って、もしかしたら初めて気が付いたかもしれない。上京した人が普通に抱えている感情を彼らも持っていて、アイドルだからとか、関ジャニ∞だからとかそういうことは関係なく、郷愁の感情を持っていたのかもしれないと思うと、なんだか不思議な感じがして、ここにきて大阪アピールがやめられないのは、そういうせいなのかなってちょっとだけ思った。大阪でしか生きてきていない私にはさっぱりわからない感情だけれど。

そういう、自分では絶対に体験しない(と捨てた)ものを、関ジャニ∞が見せてくれるから、関ジャニ∞越しに自分のものじゃないけれどなにか「夢」を見ていて、ただのファンなのに大きなものの一端に触れているような気にさせられて、東京ドームで泣いたりするんだろうね。上から見てるくせに勝手だね。

 

22歳のときの休みが3日しかなかった、と雑誌のインタビューで答えているのを読んだ。2016年は怠けてた、って。彼独特の謙遜だって含まれているだろうけれど、22歳のときをわたしは知らないけれど。でも、「Tokyoholic」を作った2016年、32歳の錦戸亮がどの錦戸亮よりもきっといちばん素敵だと思う。去年は、「元気が出るSONG」を作った錦戸亮はどの錦戸亮より 天才だと思ったし、「バナナジュース」ではいつのまにサックス習得したんですかさすがですねって誇らしい気持ちになったし、でも錦戸亮だからぜんぶ当然だとも思った。今年は、それが当然じゃないんですよね、って認めて素直に、その才能に惚れ直した。前髪があろうがなかろうが、本当はどうだっていいように、その才能が天性だろうが努力だろうが、私にとってはどうでもいいことなのかもしれない。生み出してくれたものこそが、見せてくれたものだけが、すべてなのかもしれない。でもさーーーーーーーーーーーーーーーー、でもさーーーーーーーーーー、「Tokyoholic」超いい歌じゃないですか、もう一番好き、この世にある歌のなかで一番好き。大好き。語彙がどんどん死んでいく。大好きと天才と最高しか言えない。

たった数年のくせに錦戸亮ちゃんを好きになる前の自分を思い出せないし、いまさら錦戸亮ちゃんに出会わなかった自分の人生が思い浮かべられないし、「Tokyoholic」を聴いてしまった今、「Tokyoholic」を披露する前の錦戸亮ちゃんをどうやって好きでいたのか、もう思い出せない。なんでこんなに浮かれているのかってくらい浮かれているので、「Tokyoholic」のない2016年11月のわたしに自慢してやりたい、錦戸亮ちゃんはおまえが思っているよりも100倍天才やぞって。

いまがいちばん好きだって言えることが嬉しい。関ジャニ∞がたのしい。

 

 

 

なぐりガキBEAT(通常盤)

なぐりガキBEAT(通常盤)

 

 「Tokyoholic」は「なぐりガキBEAT」通常版のカップリングに収録されます。よろしくおねがいします。

 

 

COSMIC EXPLORER DOME EDITION / Perfumeが好きなんだって気付いた

ジャニヲタ、Perfumeのコンサートに行く〜ドーム編〜

「どーむえでぃしょん」という響きがとても可愛い、それはもう格別に。何度も口に出して言いたくなる「どーむえでぃしょん」という言葉。耳馴染みがないから、そわそわしちゃうね。とっても楽しかったPerfumeの京セラドーム公演のおはなしをします。ネタバレはします。「COSMIC EXPLOLER」ツアーおつかれさまでした。

ネタバレはします。したくて待ってた。待ってる間にいろいろ忘れたのでただのネタバレを含んだ感想文です。作文です。内容もないのにひたすら長いのはジャニヲタの作文だからです。

 

 

▽過去記事はこちら / 6月のアスティとくしま公演に行きました

moyashi1984.hateblo.jp

そういえば、前回のアスティとくしま公演の感想を書いたブログには、CDを購入したのは今回のアルバムが初めて、と書いた記憶があるんですが、あるんですが、あったんですよ、本棚に、「spending all my time」のCDが。初めてじゃなかった。買ってた。あの衣装めちゃくちゃ好み。爪もかわいい。たまたま見たPVがとんでもなく可愛くてたまらなくてどうしても手元に映像がほしくて買ったんだった。

アスティとくしま公演、いま思い出してもとても楽しかったなあと思う。最初のPerfumeのコンサートがあの公演だったの、自分としてはとてもよかったのかもしれない。贅沢。

あのあと、9月にも関ジャニ∞を見にアスティとくしまに行ったのだけれど、立ち見の人数が4分の1程度で、しかも立ち見の人は台の上に乗ってください(台の上でしか見られない)というシステムの立ち見だった。立ち見が関ジャニ∞でもあることをそのとき初めて知って肝が冷えた。立ち見のチケットが届いていたかもしれない可能性を知らなかった。知ってて買うのと、チケットが届いて初めて知るのとではまた違うだろうね。いまだに立ち見は当たったことない。今後一生当たらなくていい、立ち見とビスタは勘弁してくれ。

Perfumeのコンサート、アリーナで印象的だったのはなんといっても、すごろくでセトリを作るコーナーだった。メンバーの数と同じ三曲。 セットのモニター(花道にも)に10曲くらいの候補曲がマスになってて映ってて、それをPerfumeの三人がそれぞれサイコロを投げて止まったマス目にある曲をそのままやる、というもの。アニバーサリーのコンサートでそういうコーナーがあったとは聞いていて「すっげーーーー!!!」と思っていたので、まさか自分がそれを見られるとは思っていなくて超興奮した。ハンドマイクとヘッドセットとを使い分けるせいで、マイクを拾うタイミング、そもそもマイクを拾うためにどこに置いていくのか、次の曲にはどのタイミングで行くのか、を、その場でマイクを通してPAさんに伝える彼女らのてきぱきとしたところ、まさかファンが目の当たりにできるなんて普通思わない。それとは逆に、臨機応変に対応するところを知ることで、あ、これはもう決定事項なのだな、と、思うのが立ち位置。確認するまでもない(というかこれは本当にリハで確認済みなのだろう)、という、そういうところにグッときました。踊るグループだからこその醍醐味なんじゃないかなって思う。「はい、ここでマイク拾います、」と口々に言いながら、イントロとか口ずさんだりして、Perfume独特のあの和やかな雰囲気なんだけれど、いざ曲が流れて、ってなったらさっきまでの曲とは思えないくらいの。私の見た回はなんだったっけな「FAKE IT」は覚えてるんだけど。あの、これ、ほんとにすごかったの。手品みたいだった。

 

 

▽ドームのお話

初めて行ったコンサートの会場は京セラドームでした。今まで一番行っている会場も京セラドーム。野球は見たことがありません。

そんな京セラドームでPerfumeがコンサートを2daysもするのに、行かないわけがない。エイトの冬の予定が出ないまま、とりあえずチケットだけ抑えることにしました。エイトのツアーと被ったらどうしようとか思ったけど全然先だったね。先行抽選で22日は確保できたけれど23日は確保できなかったので、一般販売で確保しました。あっさり取れてよかった(のか)。

っていうか、案外友人を誘っても「お金がない」とかなんとかで来てくれなくて「ハァ!? 正気か!?」って感じだった。Perfumeのコンサートにお金出さずに何にお金出すの? って今でも思ってるよ。生きている間に絶対見るべきコンサートなのに、たった9000円と片道1000円もかからない程度の交通費で見られるのに、それを「お金がない」と機会を逃してしまえる心境が全然分からない……ライブを生で観られるのは同じ時代に生きる特権だっていうのに………。後悔したって知らないぞ、次のコンサートがあるのが当然だと思うなよ、と思いながら生きているので私はずっと貯金がないんだろうと思う。反省*1

座席が当日引き換えなのは承知の上なんだけれど、せめてアリーナなのか、下段なのか、上段なのかだけでも教えてほしいとつくづく思った。入場して「58通路」と見えた瞬間ちょーーーー萎える。マジで萎える。こんな萎えるかってくらい、もうほんとに、びっくりするくらい萎える。本当は座席なんて別にどこでもいいんだけれど、もうこればっかりはしょうがない。誰のせいでもないし、強いて言うならわたしのせいです。反射的に萎えてる自分にびっくりしました。とはいえ、馬鹿なのでどこでも楽しい。三秒後にはけろっと立ち直ってた。席があるって最高! 自分の座席がある初めてのPerfumeのライブでした! 下段のほうが盛り上がってたかな、という印象はやっぱりある。明らかに自分の下にアーティストがいるのに手を挙げる、という行為のハードルの高さを実感した。下にいるほうが手を挙げやすい、っていう当たり前のことに気が付いた。でもどこにでも踊る人はいる、いるね。すごいね。

友人と「カラーギャングがいない」とそわそわしながら大正駅から京セラドームまで歩きました。秋だから、と言ってしまえばそれまでだけれど、普段がとっても鮮やかなので。それに比べて、だいたいみんな普段着。ジャニーズ以外の用事で京セラドームになんてほとんど行かないから、見慣れた風景なのに新鮮だった。あ、でも、あのジャンパー着てる人はたくさんいた、おしゃれだから普段着判定しました。

ドームのなか。座席。1日目は上段。2日目は下段でした。角度はどちらもほとんど変わらず。2日目は、鉄塔に被るからか、それとも組み分けしやすいようにか、三列ずつ空席になっていたラインのすぐそばだった。センターステージの中心に立たれると鉄柱と被って見えないけれど、鉄柱越しには見えるし、まあ自担がいるわけでもないので、特に気にならなかった。

二日目の座席の丁度真上あたりにワイヤーでつるされて動く(よく知らない)カメラがあって友人と「これあれや~DVD収録のやつ」「ああ! 村上くんが喜んでたやつ!」と開演前に話をしていたら、DVD収録されるかもしれない、と本人らから発表されて笑いました。DVD収録のやつで間違いないあのカメラです。

公演中に「35000人」と言っていたのを聞いて「やっぱり少ないね」と友人と頷き合った。アリーナの通路に結構ゆとりがあったり、それこそビスタも使ってないし、3列ずつ空けているし、メインステの見切れに当たる席も広く潰されていて、なんというか結構穏やかに使っているんだな、という印象。たくさん入れればいいってもんでもないんだろう。関ジャニ∞のコンサートはわりと端の方までお客さんがいたりしていっぱい入れている印象があるけれど、毎年毎年の高倍率から一転して今年はなんだかチケットの当選率が高くてざわついたり、どこのアーティストもそれなりに苦心するところなんだろうなとしみじみしてしまった。エイトの札幌は埋まるのかね。というか札幌ドームって埋まる会場なのかな。そもそもドーム規模の会場を「埋める」ってどういうことを言うんだろう。

ジャニーズのコンサートじゃないから、ドームなのに男性用トイレが潰されていなかった。まあそりゃそうなんだけど、それなのにあんまり並ばなくて快適だった。お手洗いに並んでいたせいで座席に戻るのが遅れてしまってアリーナ入り口でメンバーが登場するのをぼんやり見ていた数年前のNEWSのコンサートを何故か思い出したりしていました。*2 今回は開演時間直前に走ってお手洗いに行って、戻ってきてもまだアナウンスすら流れていなかった。開演が時間より遅れていたのはデフォなんですか? アナウンス聞かせたいからなのかな、と友人と話していたのですが、実際はどうなんでしょう。二日目はあの隙にジンジャエール買いました。

 

▽ドームで楽しいのが一番すき

人の大きさがよくわからなくなる、あのドームのぽっかりした感じが好き。

ドームの規模の夢って多分ドームでしか見られなくて、だから絶対、絶対、楽しいだろうと思った。 まあ案の定楽しかったんですけど。たまねぎみたいな照明のセットがうごくのすごかったね。

あの登場の一曲目。「COSMIC EXPLOLER」。この曲の感想を言いたいがためにこのブログを書いているようなものです。ただ「エモい」という言葉にあらゆる感情を託しすぎてそろそろ良くないなって思うこのごろなんですが、「エモい」か「すごい」か、「やばい」でしか表現できない。察してほしい。アルバムの名前の曲、ツアーのタイトルになっているこの曲。アリーナ公演のときは、中盤で歌われた要の曲だったんですね、それが、ドーム公演では一曲目。宇宙船に乗っているような演出がされていたのですが、宇宙船に乗ってPerfumeが帰ってきた、到着の曲として扱われているような気がして、「アリーナは出発だったのか、そうか、帰ってきたんだ」と、悟った。アメリカから。北米ツアーから。にわかなので、ツイッターとかインスタグラムでしか情報を得られていなかったんですが、あの場で初めて、どこか遠くへ行っていたんだなあとしみじみして、おかえり、と思った。*3 でも、この演出がわたしの思う通りだとしたら、アリーナ公演にも入った人にしかわからないよね、とも思った。*4

一曲目で「あ、別物のコンサートだ」って思った。ひとつのアルバムでふたつのコンサートが見られるなんて最高かよ、といまでもどきどきする。すごい良いツアーに参加できたんだ、って思ったら、ちょっと誇らしくなった。

あ~ちゃんさんが「二日目にしてバージョンアップ(だったか、グレードアップだったか)してます!」と言っていた通り、なんとなく変わってるかも? というようなところもいくつかあって、まあほとんどはわたしの主観だと思うんだけれど。

2曲目に入るところで「Pick Me Up」ってかっこよく響いていてドキドキした。1曲目でハッとしたというのも大きいと思うけど、そういう風にこちらが「あっ、これすごい」と胸が熱くなるような演出があるだけでこうもわくわくするのか、と思った。「すごい」という言葉で済ませてしまうのは勿体ないとは思うけれど、それでも「すごい」と言いふらしたい、熱量を与えてくれるようだな、と終演後に自分で思ったことがとても印象深い。個人的なものなのですが、Perfumeが提示したものに対して一ファンがああだこうだと感想や物語を抱いても良い、それが推奨されているような風潮を感じていて、それが、彼女らが言っていた「みんなが育ててくれた」という言葉の意味なのかな、と思った。

っていうか、もう感想「すごかった」でよくない? いいよね?

 

▽ 全部話してたらキリがないから、思い出したことだけ書きますね。

「Cling Cling」がめちゃくちゃかっこよかった…馬鹿にはかっこよかったことしかわからない…普段あんなかっこいいアレンジしてくれるような環境にいないから…すごかった、めっちゃ好きなの「Cling Cling」。「愛の深度変わらない」というフレーズがやたらと好きで、なんかもう、かっこいいしか言えない。いまでも。

あと妙に挨拶の話が心に残っていて。もちろんニュアンスなので正確ではないことをご留意していただきたいのですが、あ~ちゃんさんが「私らだけこんな普通で、自信なくすときもあるけれど」というようなことをいつだったか、言っていて、それを聴いたときに、あ、すごいこと聞いたな、と思った。きっと一生忘れないと思う。わたしたちにとってみれば、Perfumeというチームの中でもダントツで「普通だけど普通じゃない」三人が自分のことを「普通」と思っているという、この何とも言えない気持ち悪さ。よかった。のっちさんがデパ地下でイケメンな店員さんにドキドキする話とか、もうほんとに「普通」過ぎて、だいじょうぶか、と少し思ったりしたけれど、多分だいじょうぶなんだろう。「普通」じゃなければファンは心配もさほどせずにいられるのかもしれないけれど、「普通」だから心配しちゃう。でもそれでも、ファンにとってみれば「普通」なんかじゃなくて「特別」で、でも本人らは「普通」だと言う。そこらへんの微妙な距離感が羨ましいな、と思った。わたしたちの三倍頑張る錦戸亮ちゃんも自分のこと「普通」と思ってるのかな。

徳島でもそうだった、大阪公演の両日とも大阪をめちゃくちゃ褒めてくれたのだけれど「大阪はノリがいいので初日にしました」等々。これ、なんだろう、お世辞が半分くらい入っているんだとしても、ここまで言われるとさすがに嬉しい。さすがに嬉しいので、嫌味とかではなく単純に、別の会場でどんな風に煽っていたのかが気になった。あの手この手で褒めてくれるPerfumeちゃんを見られるのはコンサート会場だけ…?

「楽しみにしてきてくれた人~!?」という煽りの挨拶でリサイタルの村上信五による最高に楽しい挨拶を思い出す身体になってしまっていたので、もれなく思い出しました。競うように手を挙げたあの夏…。それでも信五に勝てなかったあの夏……。一週間もしないうちにDVDで見られるのかと思うとよだれが出ますね。

二日目に、コスしてるお客さん(髪型までのっちさんそっくり)を見て、あ~ちゃんさんとかしゆかちゃんの二人が「めっちゃのっちじゃん」と沸いた少し後に改めて見たのっちさんが「めっちゃのっちじゃん」「(髪型)寄せてくね」と言っていたのが最高かわいいだった。

コンサート最後の挨拶で、コンサートに参加している人をPerfumeとチームも含めて順に点呼する場面があって、初日はお客さんチームPerfumeという順だったので、お客さんが勢いそのまま「はーい」と返事をしてしまうことがあったのだけれど、二日目はお客さんPerfumeチームという順番に変更されていて、意図されたところなのかは分からないけれど、優しいな、と思った。

っていうかさあ、二日目で最後の曲の前の曲、「チョコレイト・ディスコ」のまえに「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」が増えたの、なんでなんですか。びっくりしすぎて唖然としてしまった。なんであんなに切ない曲なんですかね。聞けてうれしかった。Perfumeの曲ってわりと切なくて好きです。

最初と最後の話しかできない。間もめちゃくちゃよかったんだけど、過去のバージョンを詰め込んでブラッシュアップされた「Perfumeの掟」とか*5 、わたし「ワンルームディスコ」好きなんだなって気が付いたり、どの曲が流れてもテンションあがるメドレーとか、シゲアキさんが好きだって言ったらしい「Baby Face」とか、ひらたくいえば全部よかったんだけど(全部よかったといえるコンサートがどれほどすごいかは、もう、痛いほど実感している)、そういう全部よかった、と思えるようなコンサートに行けてよかった! にわかだから、あそこはああがよかった、とか思わずにいられるのかな。でもキングオブ男が一曲目って絶対違ったでしょう、と思う去年の関ジャニ∞のコンサート。それでも最高に楽しいんだから、すごい、のが関ジャニ∞。いつのまにやら関ジャニ∞の話をしてしまっている。

双眼鏡で覗けば、暗転しているなかでPerfumeが衣装を脱いで早着替えするところも見られるよ! ジャニオタの荷物が大きいのは双眼鏡のせいでもあるね。防振は買う予定がありません。 短いスカート丈の「FLASH」もかっこよかった。落ち葉がぺたぺた散っていく手のふりつけが可愛くて好きです。

終盤だったと思うんだけど、センステからメインステに移動する花道をPerfumeの三人がリズムを取りながらスキップするように軽やかに歩いていて、なんでかその光景を見て泣きそうだった。綺麗だったという言葉では言い尽くせないほど、胸に迫る「綺麗」だった。

 

▽ 「STAR TRAIN」がなんでかとっても好き

福岡公演でサプライズ演出があったことだけぼんやり読んだのですが、このコンサートツアーでの「STAR TRAIN」の演出がとても好きで。正直両日とも泣きそうだった。個人的な問題で、ドームという会場と「星」という言葉を連想しただけで、どうしたって泣けちゃう、お察しな感じの人間なのですが、もうそういう個人的な背景とか抜きにしてもとにかくよかった。

ちらちらと星のように鮮やかな照明が光るなか、ぼんやりと暗いドームのまんなかにスポットライトを浴びてしゃんと立つPerfume。この曲だけ歌詞がスクリーンに流れる演出がされていて、その白い歌詞の文字も相俟ってとっても綺麗だった。サプライズ演出も、サイリウムが白だったと聞いて、さぞ綺麗だったんだろうなーーとぼんやり思い出にふけっています。「STAR TRAIN」のあの演出、ドームで見てこそ映えるような気がして、多分わたしがドームに思い入れがあるからだろうけど、あの一曲だけのために行ったとしても損は絶対しなかっただろうなと思う。まあ、あの一曲以外もよかったんで最高だったんですけどね!

一緒に行った友人も、よかった、と言っていて、そうだよなーーーーーーという。ファンしかしらないような込み入った事情を知らないわたしでも「すごかった、よかった」と演出だけを見て感想を言える、くらい、綺麗だった。

 

▽「楽しかった」ということだけ伝えたかった

書きたいことをバーッと書いたら文字数が増えて仕方ないんですが、消すのもアレなのでそのままにしておきます。とりあえず今回のPerfumeのコンサートに行けたのに行けなかった消極的な人間は全員後悔したらいい、というような気持ちでお届けしました。主に友人に対しての恨みつらみです。興味があったら関ジャニ∞にも来てください。

ここまで書いて、いよいよ「楽しかった」以外の言葉が見つからなくなりました。楽しかった、わくわくした、すごかった。二日目のグッズ販促MCがとっても楽しかったので、帰りにタオルを買って帰りました。気に入っています。最高に楽しかったです。

 

 ▽Perfumeが好きなんだって気が付いた

やっと。いや、なんか、別に嫌いじゃないし歌番組出てたら見るし録るし、新譜が発売されたら聞くし、特番するって知ったらちゃんと録画するし、って「好き」か「嫌い」かでいうと、ずっと「好き」だったとは思う。でもじゃあ、ファンか、って言われるとよくわからない、から、ファンだとは言わずにいました。いまでもちょっと違うと思う。だって、みんな好きでしょう? Perfumeのこと、「すごい」って思ってるでしょう? だから、わたしだって別に自分が特別好きでいるという感覚はなくて、みんな当然好きなものなんだと思ってた。カラオケでMV見たいがために曲いれたり、公式YouTubeでMV流しながら化粧したり、それぞれの顔と名前と衣装の特徴をちゃんと認識してたり、そういうの普通のことだと思ってた。だって、可愛いから。でも、そうじゃないんだ、ってドームツアーで家族を誘って初めて気が付いた。コンサート終演後父親が「一曲しかわからなかった」と言った。母親と妹が「曲は分からないのもあったけど、楽しかった、すごかった」と言った。京セラドームに入るのもそれぞれ2度目とか、そんな家族だった。長女の私は、初めて聴く曲なんて指折り数えようとしてもうまくいかないほど、なかった。あれ、もしかして普通じゃないな、普通にしては知りすぎてるな、とはじめてそのとき気が付いた。

死ぬまでに行かなきゃ後悔する、って、だったら大学生のうちに行こう、って、勝手知ったる徳島に行くことにしたのは、今年は絶対にリサイタルが徳島であるに決まっていると信じていたからで、なんというか、本当に軽い気持ちだった。ドームも、東京ドームでも札幌ドームでもなくすぐそこの京セラドームでやるなら、って気持ちだった。

でも、いまさら気が付いたけれど、わたしPerfumeが好きだったんだな~って。みんなそこそこ好きだけれど、わたしが人より軽率にお金を使っちゃうタイプだから、って思ってたけど違ったらしい。そもそもわたしが、そこらへんの女子大生より、Perfumeのことが好きだったんですね。わたしが軽率すぎるんじゃなくて、好きだったんだ、だからか、と思い至った。憧れなのかもしれない。可愛い。「可愛い」って言葉に色々な思いを詰め込むのはジャニヲタあるあるなのかもしれないけれど、わたしの大好きな「可愛い」があの会場にあった。あの、コンサート。京セラドーム。

コンサートに行った次の日、母親に「Perfumeは誰が好きなん?」と聞かれた。「一番好みなのはのっちさんやけど、三人みんな好き」と答えたら、母親が妹に勝ち誇ったように「な、言うたやろ?」と言っていて、笑った。好みばればれだった。あのねえ、ボブヘアの女の子が異様に好きです、って自分もボブなんですが。ショートボブという髪型が、自分がするにしろ他の人がしているにしろ、一番好きで、だから、のっちさんが好きだなって思うんだけれど、でも別に「担当」のように排他的にもならない。みんな好き、可愛い。多分、母親はわたしのそういう「みんな好き」を見透かしてたんだろうなと思う、し、母親も多分「みんな好き」。妹は知らん。家族4人で出かけることはともかく所謂「4連」することなんて後にも先にも他にないだろうし、コンサートなんてチケットがどうこう衣装がダセェ前髪がどうこう、ということばっかり気にしているのが常だったので、「おでかけ」のようなコンサートは初めてだった。そうか、こういうのもありなんだ、と、初めて思った。ガチオタじゃないけどコンサートに行く、って、こういう気持ちなのかと。「Perfume楽しみ~何着よう~」とテンションの高い母親に起こされて、午前中仕事してきた父親と合流してみんなでご飯食べて、電車に乗って、コンサートを観て、「すごかったね」と言いながらお酒を飲んでラーメンを食べて帰る、そういうコンサートを初めて経験したかもしれない。そしてもう二度とないと思う。特別な1日になった。ありがとう、Perfume

錦戸担の友人との、いつのまにか錦戸亮ちゃんの話をしてしまっているPerfumeコンサートも最高に楽しかったけどね。錦戸亮ちゃんへの「好き」をなんでも基準にしちゃいけないのかもしれない、って、ことにもようやく気が付けました。実りが多い。

 

コンサートに参加した6月から、結局合わせて3公演入ったことになるんだけれど、あれ、あれ、とあれよあれよという間に、Perfumeのことを好きだと自覚させられていっていて、コンサートに行くって恐ろしいことだなあと実感する11月です。関ジャニ∞やNEWSとも違う、ふわっとした「好き」が新鮮で、でも、こんなスタンスでいいのかなと戸惑ったりもしています。もしこんなスタンスでも許されるのならPerfumeのこと好きです、にわかだけどファンです、って、言いたいな〜〜って思った。キラキラしていて、切なくて、かっこよくて、でも楽しくて笑顔になれて、そんな素敵な「Perfume」というものを、年上のあんな可愛いお姉さんたちが作ってるんだと思うとドキドキする。もちろん作っているのは彼女らだけじゃない、とは知っているけれど、それでも。

 

 

 

 

 

 ※11月14日「▽Perfumeが好きなんだって気付いた」追記しました

 

*1:してるかしてないかで言うと別にしていない

*2:そういえばあれ以来京セラドーム公演ないねそろそろやってほしい

*3:ああでもそれでもここにずっといるわけじゃないんだろうというのもすぐに察しがつく

*4:なんとなくちょっと違う上に、めちゃくちゃ雑なたとえをすると(おそらく関ジャニ∞のファンにしか分かってもらえない)、2009年の「ローリング・コースター」みたいなものです。puzzleが「ローリング・コースター」で終わって、カウコンが「ローリング・コースター」で始まるやつ。錦戸亮ちゃんがセトリ案出したっていうあれだよ。その「ロリコス」のような趣きがあるのが「COSMIC EXPLOLER」というこの曲。別のコンサートなんだけれど、続いている、と実感されられるようなもの

*5:あとからUNIQLOのCM見て「あ、この曲」とはっとした

錦戸亮ちゃん(32)/ファンレターを書きました/2016.11.03

ファンレターを書きました、錦戸亮ちゃんお誕生日おめでとうございます。

ファンレターを書きました、まだ出せていません。

 

錦戸亮ちゃんお誕生日おめでとうございます!! 錦戸亮ちゃんのお誕生日だから、祝日なんだと錦戸担が口をそろえて言う今日この日、今年も晴れ! 晴れの特異日

 

▽ファンレターを書きました、はじめてです。

書こうと思ったのは、単純に、人生でこれ以上好きになる人なんていないだろうから、好きだと本人に伝えることもできないだろうから、一生に一度くらい書いてみるのもいいんじゃないかと思った、というただそれだけの理由です。読んでくれるかわからない、読んでくれたとしてもわからない、そういう、届くのかすら現実味のない宛先に「好きだ」と手紙を送ることを、一生に一度くらいしてもいいんじゃないかと思った。たった一枚が、枚数としてだけでも加算されたらいいと思った。本人に届けるかたちで書くとどういうものが書けるのか、気になった。

わたしの「好き」が手紙というかたちで質量を持って錦戸亮ちゃんに届くかもしれない、と思ったら、びっくりするくらいどきどきした。好きになって何年か、まだ10には届かないけれど、まだ「はじめて」があるのかと思ったら、感動した。わくわくした。書きたい !書いておきたい! 書いておかなきゃ! と思って、ファンレターを書こうと決めたのがいつだっただろう。思い立ったが吉日。思い立ったら決意。この「(32)になるまえに」ということばが後々わたしにとって大きな影響を及ぼします。

とはいえ、こうして普段からアウトともセーフともなんとも線引きのしづらい気持ち悪い好意を自分のために垂れ流している人間が、いざ本人へ伝えるとなると、何を書いていいのかわからない。何がアウトで何がセーフなのかわからない。

だって、もう全部アウトでしょう。年の離れた成人男性アイドルのことを「錦戸亮ちゃん」と呼び、呼ぶだけでは飽き足らず「かわいいかわいい」と仔犬のように愛でている、写真を見ても可愛い、動画で見ても可愛い、コンサートで見ればその「錦戸亮ちゃん」の可愛さに震えあがるほど。そういうわたしの日常が、このわたしの精神状態が、まともなわけがない。ブログでは気持ち悪く何千字と書けるけれど、本人に伝えたい言葉といえばそれこそ「好き」くらいしかない。そういえば去年のツアーパンフレットでメンバーに質問できるアンケートを関ジャニ∞がとっていたけれど、わたしはそれの錦戸亮ちゃんへの質問フォームに「とってもかわいい錦戸さんですが、自分のかわいさを自覚していますか?」というような内容の文章を投稿した覚えがある。今思えばどうかと思うような内容だけれど、当時の私は本当に自覚があるのかないのか気になっていて、もう一度同じ質問フォームを設けられても同じことを書く自信があります。そういう人間が、じゃあファンレターというかたちで本人に宛てた手紙を書くときに、失礼なことを書かないわけがない、気持ち悪さが漏れ出すに決まっている、そんな醜態さらすのはいやだ、書きたくない、だって、でも、書かないなんて選択肢をいまさら選ぶわけにもいかない、じゃあ何を書くべきなのか。いかにもありきたりのテンプレートみたいな、ネットを参考にしてあらゆる例文を引用して、自分の気持ち悪さを消して、なんとか「ファンレター」の体裁を整えるようにするしかないのか。等々考えたりして。

でもさあ、受け取る本人にとってはたくさんのなかのファンレターかもしれないけれど、わたしにとってはたった一通のはじめて送るファンレターなわけで。あとにも先にも錦戸亮ちゃんへと送るファンレターはこれしかないかもしれない。錦戸亮ちゃんへの「好き」から派生した感情が積もってブログを開設するほどのわたしが、わたし以外でも書けるような手紙を書くのは、もったいなくないか、そんなつまらないことを、自分のためにしていいのか、とも思うわけで。というかそもそも、どう個性を消そうとしても結局はわたしの書いたファンレターなのだから、わたしが書いたもの以外にはなり得ないのではないか、と思い直し、どういう文章になっても、見るに耐えない恥ずかしいものになっても、出そう、絶対に書いて、書ききって、出し損ねることのないように、絶対に出すぞ、と強く誓って今現在、書けたものの、まだ出せていません。11月2日午後5時。出します。

 

切手って、どうやって貼るの?

どこで買えるの?

 

▽締め切りは2016.11.03

誕生日にかこつけて手紙を書けば、出だしは「お誕生日おめでとうございます」以外にないのでは!?

手紙の書き方なんてわからないし、朝だか昼だかもわからないのに「こんにちは」も「こんばんは」も使えない、「いつもTwitterではお世話になってます」という挨拶も論外、「お世話になっております」ではじまるファンレターはありなのか、なしなのか、うっすらと知っている「拝啓」ってなんだっけそういうのではじめるの? 時季の挨拶とかいるの? っていうか文体はどれが正解!? 高校の国語便覧引っ張り出すしかないか、お礼状とファンレターって何が違うの と混乱しているところにひらめいた「お誕生日おめでとうございます」の一文。

錦戸亮ちゃんのお誕生日を(勝手に)お祝いするのは得意中の得意!

 

と、同時進行で悩んでいた、便箋問題。なんとなく適当に、錦戸亮ちゃんが32歳になるまでに出そうと決めただけだったけれど、お誕生日をお祝いする手紙を出せばいいのか、そうか、大義名分ってきっとこれのことだな、と勇み足で、便箋あるいはバースデーカードを探しに行きます。

31歳男性(ジャニーズそれも錦戸亮)の手元に届いて恥ずかしくない(もちろんこちらが)(22歳が出して恥ずかしくない)便箋とははたしてなんなのだろう、と梅田を彷徨います。梅田茶屋町にあるロフトを徘徊しても、ぴんと来ない、惹かれるのはプーさんの便箋。それじゃないのはわかる。22歳だぞ、わたし。でもまあ錦戸亮ちゃん黄色だしプーさんも許されるのでは? いや、なんでもいいんだろうけれど、でももしかしたら最初で最後の一枚になるかもしれないから万全を期したい、万全を求めるこの状況で、プーさんは趣味に走りすぎでは、と悩みながら、てくてく三番街に戻ります。ぐでたまも錦戸亮ちゃんの黄色だけど違うし、スヌーピーはわたしがそこまで好きじゃない。ムーミンは!? とキディランドで閃く。便箋がなかった。星の王子さまの綺麗な封筒を見つけてめちゃくちゃ惹かれるものの、「これはシゲアキさん…」と断念。錦戸亮ちゃんはシゲアキさんじゃないから断念。そもそもキャラクターから遠ざかったほうがいいのかとここでようやく気が付いた。グランフロント側に行くべきだったか、と後悔しつつ、そこまで行くような気力もなく。あのさあ、知らなかったんだけど、阪急三番街に、伊東屋があるんですね、わたし知らなかった。見つけたときはもう勝ったと思った、勝てると思った。買ってた。出逢って2秒で一目惚れするのは「ビースト‼」だけど、出かけて2分で一目惚れするのは「LIVE」だけれど、入って2秒で心に決めたバースデーカードがあった。単純に私の好みだっただけです。これさえあれば、書けるし出せる、と思った。お誕生日をお祝いするのに最高のバースデーカードだ! と思った。便箋って大事。お誕生日って偉大。

 

生まれてきてくれてありがとう!!! 誕生日があってよかった!!! お誕生日おめでとうございます!!!! 誕生日があってよかった………生まれてきてくれてありがとう……誕生日……錦戸亮ちゃん、わたしはあなたの存在にお礼を言いたくてファンレターを出します。

生まれてきてくれてありがとう。

こんな「尊い」という気持ちを胸に抱えながらバースデーカードを選んだのははじめてです。

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▽ 別に当日届いたって当日読まないでしょ

これを書いているのがいま、2016年11月2日午後10時。*1 手紙の下書きをしたのが午後1時。バースデーカードに書き込んだのが午後2時。

バースデーカードを買ったのが10月18日。そのあいだずっと、書かなきゃなあと思いながら「BYAKUYA」に翻弄されてました。衣装が白い…と思えば黒くて…仮装…女装ワンチャンあるかなとおもえば本気の仮装…挙句の果てにまた「BYAKUYA」…。「Wonder」は? QUARTETTO DVDは? というのはさておき、ずっとHuluで動画見てたり、逃げ恥みたり校閲ガールみたり、ぼんやりしていたらいつのまにか11月になっていました。11月1日の時点では、まだ11月っぽさがなかったし、なんならまだ10月にもなっていないような気分だった。10月どこ行った。

出さないわけにはいかない、選んでバースデーカードも買ったんだから、と、勢いで書いて、勢いで清書して、どうせね、言葉を選んで一字一句丁寧に書いたところで、勢いで書いたものと熱量は変わらない*2。宛名を書こうと、ファンレターの宛先を検索したら、見覚えのあるファミリークラブの住所じゃなくて、もうそのまま「ジャニーズファミリークラブ行」まで送ってください、と公式ホームページに書いてあって、拍子抜けした。めっちゃ送りやすい。すごい。「錦戸亮様」と宛名を書いて、自分の住所を書いて、封を閉じて、切手を貼って*3、あとは明日出すだけです。

結局、内容としてはもう本当に誰にでも書けるような内容になりました。結果として。錦戸亮ちゃんのことを好きなら、誰でも書けるようなこと。ゼロ時を回って帰るようなとき、夜道を歩きながらずっと、何を書きたいか何を伝えたいか考えてた。錦戸亮ちゃんに出会ってから世界が一変したこと、錦戸亮ちゃんのおかげで出会えた友人がたくさんいること、大学も就活もバイトも後悔なくやれてきたこと、初めて降りる駅があったり初めていく土地があったり初めての場所にでも臆することなく行くことができたりしたこと、いろいろ考えながら、自分の学生生活をいつのまにか振り返っていて、ああ、たのしかったなあ、と泣き出しそうになった。ぜんぶ、錦戸亮ちゃんのおかげなんだと痛感した。どうか錦戸亮ちゃんに幸せでいて欲しいな、と強く思った。

錦戸亮ちゃんへの気持ちなんて書いても書いてもキリがないと思っていたけれど、案外スペースに収めようとすれば収まるもので、ロルバーンのMサイズ両面くらいで収まった。1000字くらいかな。何度も何度も帰り道に頭の中で推敲していたからか、きれいな上澄みだけを落とし込めたと思う。錦戸亮ちゃんへの「好きだ」という気持ち、とにかく感謝しているのだという気持ちさえ、伝わればいいと思った。と、いま打ち込みながらすっごい健気なこと言ってるな、と自分で笑いそうになっています。たぶん、どんなファンレターでも自担ならうまく汲み取ってくれると思った。「書いてくれた気持ちが嬉しいですね」とか言いそう。たった82円で届くわたしの質量を持ってしまった「好き」が、自分の手元から離れて大勢の中に紛れ込むところを想像したら、なんだか嬉しい気持ちになった。自分の感情が大切なものに思えた。

ここ数年、好きになってからずっと膨らんでいくような思いも、文字に変えて手紙にしたら、たったこれだけだったんだな、って封筒を見て思った。ぺらぺら。綺麗に収まってくれて嬉しい。

体裁はともかく「ファンレター」を書けるんだ、と思うと、嬉しかった。


 

 ▽ 11月3日

 32歳のお誕生日おめでとうございます。

最近大学生活を振り返って、4年間まるごと錦戸亮ちゃんに捧げたような気を起こしかけていました。高校を卒業するときにもそうやって思ったような気がする、のがもう何年前なんだろう。計算得意じゃないのでわかりませんが。いつまでこんなにわたしの脳の大部分を占めているんだろう。ほんといい加減にしてほしい。たのしい。

大人になるってどういうことで、35を超えたとき、どんな顔をしているんだろうか見当もつかない、と思っていたのが、なんとなく「今」の延長線上にあるであろうことがわかるようになってきました。いつ嫌いになれるんだろう。いつ興味を失くすんだろう。未来のことは分からない、と、思いながらも気が付けば大学生活の4年間が終わろうとしていて、不思議な気持ちになります。貯金も単位も余裕ないのに、全然後悔していないところが、我ながら馬鹿だなあと思うけれど、楽しかったなあ、と思う。4年。

4年前の2012年のこの日は、受験だった。明日も試験だというのに布団の中で読んだ8ESTのレポでちょっとだけ泣いたことを、多分、わたしは忘れないと思う。当時、自担のメンバーへの「好き」という感情を弄ばれるのが本当に嫌だったわたしは、あのころファンのなかで蔓延していた錦戸亮ちゃんが「不憫」で可愛いという風潮を悉く嫌っていた。2011年までの自担を奮い立たせていたものがあるとすれば、そのうちひとつはきっとメンバーへの「好き」という感情だったはずなのに、その大切な感情を馬鹿にしたように笑って報われないことをネタにするようなファンがたくさんいたことにとても傷ついていた。*4 だから、レポでしかMCダイジェストでしか知らないけれど、あの誕生日の二部はなんだかとっても報われたような気がして、とても嬉しかった。あの場にいなかったからこそ、本当に嬉しかった。

あれから4年。受験生だったわたしはもう卒論を書くような年になっていて、錦戸亮ちゃんはますます可愛くなって、映画の撮影をして2018年へと向いている。錦戸亮31歳だって、最高に可愛かったけれど、多分32歳だって可愛いんだろう、とこうしてなんの衒いもなく言える環境が、いまはとてもうれしい。「大好き」以外になんと言うべきなのか、分からない。

 

お誕生日おめでとうございます、錦戸亮ちゃん。大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この6000字ほどのブログのなかに何度「錦戸亮」という名前が出てきたでしょうか。君の未来に幸あれ。

 

*1:書いてる間に日付変わってたおめでとう錦戸亮ちゃん

*2:勢いとはいえ、何度も推敲はしているし

*3:コンビニで切手を買ったらEdyで購入できなかった。80円切手じゃなくて82円切手だってこともよく知らなかった

*4:当時の私はそういうファンをめちゃくちゃブロックしたし、いまだに解除していない

2016年10月7日(金)/NEWS脱退から5年のまとめ

この夏、シゲアキさんの「チカラウタ」が放送されてから、わたしは何度「がんばれ、もっとがんばれ、だれよりもがんばれ!」のシゲアキさんの左手を真似したことか。

そういえば今日は金曜日ですが、2011年の10月7日も金曜日でしたね。5年前と一緒で明日から3連休なので思う存分悲しんだって大丈夫ですよ。

 

 

何度同じテーマでブログを書くのだろう、と我ながら思う。

何度も何度もうるせえな、と思う方は、まあまあちょっと落ち着いてオタクとして年端もいかない世間知らずの言うことなんて真に受けずに、あなたの好きな人が出ているドラマでもDVDでも見て、すぐにでもこのブログのことは忘れてください。そもそもこんなブログまともに読む価値すらないですから。ただ、わたしにはわたしなりのオタクとしての物語があって、おそらくわたしはその物語を、次の章へと進めたがっている、そのためにはこの章を完結させる必要がある。いつまでも同じところにはいられない。彼らと同じ時代を生きているのだから、ずっと過去にいたってしょうがない。書いて自分のなかで整理してけりをつけられるのなら、いくらでもそうします、書かせてください、という気持ちで書いています。今年も。

去年のブログを書いてから、色々と考えたので、とりあえずそれだけは形に残しておきたかった。

関連したテーマのブログをざっと。

moyashi1984.hateblo.jp

moyashi1984.hateblo.jp

moyashi1984.hateblo.jp

moyashi1984.hateblo.jp

 

こうしてみると、人を突き動かすのは「楽しい」よりも「悔しい」なのかな、と思ったりする。自分でブログを書いて「6人」への想いを発信することによって、いくらか共感してもらえたりすることがあって、ああ少しだけ浮かれていたのかもしれない、と最近反省したりもしています。当時わたしがこういったテーマのブログを書いたのは、自分が圧倒的少数派だという自覚があったからで、ほとんどやけくそみたいなものだった。錦戸担として関ジャニ∞の活動を漏れなく追いかけ、さらには担当不在*1 のNEWSについてもCDを買ったりコンサートに行ったりするような人、というのが私の周りではほとんどいなかった。悔しかった。ろくに「4人」を見てもいないような人に「NEWS」がいつまでも自らのグループの問題かのように語られたりしていて、そういうのがずっと悔しかった。*2

それが、あのブログを書いたことによって、なんとなく共感してくださる方が現れて、ああ、立場は少し違えどもこんなに切ない思いをしているのは自分だけじゃないのだ、と知れて、うれしかった。ずっと避けてきたけれどこんな風に思っている人もいたのか、というようなコメントもあったり、「脱退」当時を知らないけれどファンはこういう風に思っていたのかと初めて知れた、と言ってくださったり*3して、少数派なりに、喜んでしまった。けれど、いろいろ考えて、結局この秋にたどり着いて気が付いたことは、わたしの目線はわたしにしか見ることができないのだ、ということ。この1年間、「共感」は様々な場面でわたしを慰めてくれたけれど、本当に感謝しているけれど、それでもわたしは「脱退」について、いまはもう何も考えることはない、と思うようになってきている。あとは、彼らの時間に任せるだけ、とさえ考えている。

「5年後笑ってお酒が飲めたら」と、シゲアキさんが2012年春に言っていたことをわたしは勝手に目安にしてきたけれど、2016年の夏に、数年前の錦戸とお酒の場で交わした会話を思い出して泣くようなら、無理でしょう。無理だ、と確信してしまったら、なぜだかすっきりした。5年という月日はあまりにも短くて、たどり着いた5年後の未来でははまだ無理だったけれど、それでも、5年前、こんな未来は想像できなかった。あれから随分遠いところまで来たような気がする。勝手に決めた5年というのは計算違いだったことにするとして、「笑ってお酒を飲めたら」という願いを泣いてしまったシゲアキさんが捨てていなければいいなあ、と思う。それだけが「6人」に対するわたしの未来へのモチベーションになっています。

 

最近になって、なぜか、ただひたすら、脱退を悲しめるようになった。ちょうど5年前の3連休、家族で移動する車の中でふと「もう2度とNEWSとして錦戸さんは歌わないのか」「NEWSの歌を踊るところを見ることはないのか」と思って、そっと泣いた、あのときの純粋な悲しさを思い出すようになった。「悔しい」という言葉が、正しいのかわからないけれど、悔しくて悲しい、嫌味な言い方をすれば、死んでしまったことがただ悲しい、というような気持ち。今の活動とか、これからとか、そういうことをすべて差し引いてあの瞬間を思い出したとき、ふ、と、気が付けば泣けてしまっている。ああ、あのときのわたしは悲しかったんだ、とようやく肯定できて、悲しんでも大丈夫になったのかな、と思う。2016年が好きです。だいすきです。あのときああなっていれば、なんて、わたしはもう思わないけれど*4思わないからこそ、これだけ悲しいんだろうな、と思ったりする。

 

 とはいえ、シゲアキさんからの山下さんへの言及がここまでないと、まだまだダメージ大きそうな気もして笑ってお酒飲める日も遠そうだなと。どうにもならない理由を盾にして、脱退を選んだ錦戸のことは、まあ、どうにか受け入れられるのかもしれないけれど、そうはいっても、そうじゃないひとのことはそれこそ「引き止められなかった」といまだに思っててもおかしくないよな、と思ったり。いや、実際どうなのかはファンにはわからないけれど。にしてはちょっと山下さん寂しげでは、と外野が思ってしまって、切ない。ソロだから当然っちゃ当然だと思うけど、ねえ。錦戸さんも山下さんの話しないし。笑ってお酒を飲める日は来るのかしら。まあでもたぶん、来るだろう、となんの衒いもなく未来に期待しています。5年前にこんな未来が想像できなかったのだから、未来はもしかしたらめちゃくちゃすごいかもしれない。すごいに決まっている。

 

ピンクとグレーが映画化されて、シゲアキさん原作小説が連続ドラマ化されて、その主題歌をNEWSが歌って、NEWS全員でのバラエティ番組が半年限定とはいえ始まって評判も上々のうちに終わって、そうしてなにより24時間テレビがあった。6月には少年倶楽部プレミアムの司会も任されて、その場に関ジャニ∞をゲストで招いて共演までして。2016年の経験値の貯めっぷりがすごい。24時間テレビを見て、ああ、もう正真正銘4人なのだ、とオープニングで泣いてしまったことは秘密にしてください。

正直この数年間、文字通り毎日のように答えの出ないことについてあれこれ頭を働かせて、いよいよ堪え切れずにいたところ、文字にすることでたったこれだけの問題だったのか、と気が付き、そうしているうちに2016年がやってきて、もう2度と踊らないと思っていたSUMMERTIMEを踊るから、それがかつてのスタイルと違っていても、ああもう充分だ、と思った。言及はなんにもされてないのにちょろいね。でもNEWSがいままでにたくさん説明してくれたから、それをしっかり聞いてきたわたしにとってはもう充分だった。NEWSとしてNEWSの人数が9人8人6人だった時代の歌も歌い継いでいく、と決意をしてグループを存続させてくれた4人が、過去の楽曲を蔑ろにせずにいてくれるので、NEWSというグループのかたちが変わろうとも、敬意を持っていられる。錦戸さんがいたNEWSを過去のものだと割り切って考えられるようになった。そもそもそういうことに関しても彼がどう願っていたのか知る由もない、錦戸担としてはちょっとちょろすぎるかもしれない。まあしょうがないね、そういう人を好きになったんだから。*5 来年はさくらガールでお願いしますね。うそです。

 

ひとつだけわがままを言うとしたら、同じグループとしてでなくてもいいから、かつて同じ曲を歌い踊った仲間として、当時の曲を、みんなで踊ってほしい、と思う。やっぱりずっと願ってきたことは、これなのかもしれない。これに尽きる。現状を全員で肯定して、「懐かしいね」というただそれだけの感情で、みんなで歌ってほしい。そういう未来に生きたい。

わたしは誰のことも嫌いにならずにここまでこれてよかった。初めて出逢った6人のNEWSのことも、4人のNEWSのことも、NEWSの錦戸亮のことも、関ジャニ∞錦戸亮のことも、みんな好きでいられてよかった。ありがとう。

 

 

 

 

 

*1:そもそもわたしの贔屓のシゲアキさんを担当と呼ぶのかというのは別の問題

*2:NEWSが「脱退」について言及していることを脱退したメンバーのファンだという人間に批難されることがよくあって、抜けたグループに言及しない姿勢を貫くタレントことが正しいというような主張をしたいがためにどうしてそのタレントのファンだという人間が、批難と言うかたちで言及することができるのだろう、タレントの美学に沿わない行為のそのみっともなさとはどう折り合いをつけているのだろうかと疑問に思うことが多々あった。

*3:もちろん自分の考え方は個人的なもので、ほかにもたくさんいるファンの考えかたと違うかもしれないことは分かっていただけているだろうけれど。それでも、当時こういう風に感じたファンが少なくとも一人はいたのだ、と知っていただけたことはありがたい

*4:シゲアキさんもこの秋ではどう答えるのでしょうね

*5:と打ちながらそういう思想の人ではない…けれどほかにどう表現していいのかわからない…だって好き…と思いながら、言及されないことに不満の一つもないようになってしまった…ちょろい…

2016年夏/「SUMMER TIME」関ジャニ∞リサイタル

 

夏も、9月も、もう終わりますね。

今日は9月20日。リサイタル徳島から帰ってきて、これを書いています。

リサイタル初日に入った友人から「サマタイを踊る」という知らせを受けてから、1ヵ月半。いろんなレポを見ながら、ずっと混乱していたように思います。ひたすら、いろんなことを考えた、24時間テレビもあったし、いろいろ。考えて考えて、自分なりに「多分見たいものは見られない」と覚悟をして、9月16日からの3公演、リサイタルにはいりました。

帰りのバスのなかでもいろいろ考えて、実際に見たからこそ思うことがたくさんあって、レポを読んでいたときには「混乱」しかなかったのが、考えるうちに諦めもついてきて、いざ入って実際に目の当たりにしたら、すっきりしました。ようやく見られた。ようやく見られた、それだけで十分だと思えました。NEWSと錦戸亮のことについて、脱退から散々泣いてきたけれど、それでも、自分にとっての「正解」は自分にしか導き出せないのだとしたら、書くしかないと思った。ただ、このブログの解釈が、他のだれかに解釈を押し付けることにならないように、公開するのはオーラスが終わってからにしようと思います。言うまでもなく、ただの馬鹿なオタクの感想です。わたしが間違っているのは重々承知しています。それでも、あの日泣いた自分にけりをつけたいから。

 

そもそも、「SUMMER TIME」という曲が好き。あのダンスが好きだし、自担のパートが好きだし、「オーイエス」で目を合わせて笑う加藤さんと錦戸さんのアンプラグドが好きだった。4人になってからというもの、CMタイアップもあってか、夏ソングがみるみるうちに増えて、気が付けば、「渚のお姉サマー」「恋祭り」「NYARO」「チュムチュム」…「恋を知らない君へ」と、今までならサマタイを歌っていたであろう場面でも、他に歌える曲が増えたので歌われなくなっていて、いやーーーサマタイも聞きたいんだけどな!そろそろ!アレンジ無しのやつ!と思っていた。ら、まさか、錦戸亮が歌うとは。いやまあ、錦戸さんは「恋を知らない君へ」を歌えないんですけどね。

リサイタルでサマタイがどうして歌われるのか、説明しようとしても、リサイタル自体を説明することが難しいんですよね。簡単に言うと、「ジャニーズ夏(っぽい曲)メドレー」のなかの一曲です、「熱中症」というオチに向かうための。お察しですが、まともなメドレーじゃないです。終始笑うためのメドレー。それでも他のジャニーズの楽曲は、嵐とかキンキとかあとはSMAPとかの曲ばかりなので、NEWSをわざわざ歌うってことは、「わざわざ」なんだろうなという印象。イントロなしのサビから始まって、錦戸亮の「手招きしてる太陽~」のパートからそれぞれエイトがソロパートを歌う。最初のサビはきちんと全員踊るけれど、錦戸丸山すばる以外は途中からトロッコ移動。錦戸はまあ、メインに残って踊ったり、踊らなかったり、まるすばに便乗してふざけたり。16日はイヤモニがおかしかったのか、ステージ上手でスタッフと話していた。他の17日18日はまあ、踊っていると言えば踊っているし、踊っていないと言えば踊っていない、ような、そんな感じ。衣装は柄シャツをアンクル丈のジーンズにインしているスタイル。かわいい。

この、まるすばに便乗してふざけたり、っていうのをレポで見たときは本当に誰に対してでもなく、全面的に憎しみしかなかったんですよね。自分が入る公演がツアー終盤ということもあって、前半でふざけられるともう軌道修正もされないだろうから、どうなるのかと怖かった。そもそも、かつて掛け持ちしていたグループの歌を「わざわざ」歌うのに、ふざけるのか、ふざけてもいい曲だと思っているのか、と。歌い継いでいく側は、あれだけの覚悟を持って歌ってゆこうとしていたのに、抜けた側はグループ全員で「おふざけ」にするのかと。先日の少年倶楽部プレミアムで、錦戸が発した「嬉しい人もいるかもしれない」というような発言をほんのちょっと恨んでいたわたしにとって、夢にまで見た(そしてもう今後二度と見られない)大好きな歌を歌って踊る錦戸亮ちゃんを見られる喜びと、「おふざけ」に利用されることへの嫌悪で、ただただ混乱していた。最初は単純に「もう一度見られるのだ」と嬉しかったし、関ジャニ∞がふざけるのなんて今年に始まったことではないので別段気にしていなかったけれど、わたしは、NEWSとしての錦戸亮は死んだけれど楽曲だけでも生かしてくれるために歌ってくれるものだと勘違いしていたようだった。そういう期待を最初に持ってしまっていたのがよくなかった。公演を重ねていくうちに様々なレポが流れてきて、当然と言えば当然で、気が付かなかった方がおかしいのだと今では思えるけれど「ファンに喜んでもらうため」にあの曲を選んだのかと思い至って、さらにはふざけることで喜んでもらえる(と思っている)、そのことに気が付いたときは相当ショックを受けた。しかも、喜んでもらうためという理由だったとしても、自担にとって「踊る/踊らない」はさしたることじゃないんだ、とも気が付いて落ち込んだ。「再現」ではない、ということを、思い知らされた。一番切ないことだった。

 

それこそ、こっちはまだ「終わってない」「解決してもらってない」と思っているわけで、「終わってない」と思うからこそ自担がサマタイ踊ることにもなにかを探すわけで。探すことが間違っていると賢い人なら思えるのかもしれないけれど、脱退以後ずっと、いつか遠い未来にでも彼が脱退に言及して、彼の手ですっぱり終わらせてくれることを期待してしまっていたファンにとっては、酷なことだと思っていてもいいですよね。

 

だから、このリサイタルでのサマタイが、その、彼の手によって終わらせてくれることなのだ、と思うことにしました。あのサマタイは、私の知っている「SUMMER TIME」じゃなかった。NEWSと関ジャニ∞という違い以上に。錦戸亮ですら。当然だろ、と思われる方は思われるかもしれないけれど、ろくに言及のない5年では時間の経過すらよくわからなかった。エンドレスサマーのように、あの夏に、いつでも戻れるものだと思っていた。てっきり、扉は繋がっているものだと。

 

錦戸亮ちゃんがもう、NEWSとしての魔力を持っていないところを見た。

同じ曲だからこそ、ありありと分かってしまったのだろうと思う。私が最後に「NEWSの錦戸亮」を見たのが、2010年9月18日。徳島公演最終日の18日が、あれからちょうど6年。前髪はないわ、髭は剃らないままだわ、って多分6年前じゃ信じられない。6年前のビジュアルが一番好きだというのは、まあ、差し引いても。

たまたま、この夏の間に、「グレート・ギャツビー」の原作本を読み、ハリウッドでの映画「華麗なるギャツビー」、そして内博貴くんがギャツビーを演じた舞台を観た。作中で何度も、5年前の恋人とよりを戻そうと奮起するギャツビーに友人ニックが「過去は取り戻せない」と言い聞かせる。ギャツビーはそれを受け入れず、5年前に戻れると信じてやまない。過去は取り戻せない。

でも、過去は消せないし、消えないし、だからこそ錦戸亮は自分のパートがあるサマタイの自分のパートを歌える。けれども、それでももうNEWSではない。帰りのバスで何故か「Distance」を聴きながら号泣した。「恋を知らない君へ」を歌えない、「NYARO」も「恋祭り」も「渚のお姉サマー」も「チャンカパーナ」も「フルスイング」も。「SUMMER TIME」ですら、もう。

4人の新境地「恋を知らない君へ」で小山さんが「この悲しみも過ぎてくのかな」と歌っていて、あの脱退発表時に「時間にだけは解決させてたまるか」と強く思っていた自分を思い出した。自担に解決済みかのように扱われているなか、所詮傍観者でしかないファンの自分だけが未解決のまま抱えていることに疲れてしまっていて、そんな2016年に「共に過ごした夏はもう二度と戻らない」とNEWSが歌うので、それでもいいかな、と思った。そう考えながら、なんで泣いているのか、どうしてまだ泣けるのか、分からないけれど。現状に満足しきっているわけではないけれど、それでも不満ばかりじゃない、それなのに「悔しい」と考えてしまう。何が悔しいのか分からないけれど「悔しい」と泣いている自分がいる。

脱退に際して、自担から幻滅させるような言葉はもらえなかったけれど、いつか言及してくれる日が来るのかは分からないけれど、絶対に「言わないこと」が最善だとは思わないけれど、それでも、これも自担によるひとつの終焉のかたちかな、と思う。「終わっていた」ところを観られてよかった。

なんでこんなに「NEWSの錦戸亮」に執着するのだろう。まあ、「錦戸亮」が好きだったから、という理由に相違ないのですが。錦戸さんが好きなのに、エイトもNEWSも選ぶ必要なんてなかった。他に理由があるとすれば、わたしが肉体から離れて語られる物語が好きだから、ですかね。「NEWSの錦戸亮」の一人の人間とは思えない、「錦戸亮」そのままが「関ジャニ∞錦戸亮」なら、当然そちらも好きだけれど、一人の人間とは思えないなにか特別なものを纏っているようなところも好きだった。NEWSというグループにも言えるけれど。アイドルとは、ああいう姿を言うんだろうとも思う。

どうせ選ばれないグループを「嫌い」になれたらどれほど楽だったのだろう、と思うときがある、いまだに。でも、それでも脱退以前に、以後にも、もしもNEWSのことを嫌いになっていたら、自分の感情の整理のためとはいえ知ろうという気持ちを捨てていたら、この終焉に自分はたどり着けていなかっただろうという思いがある。思いがけずボーナスをもらったような気分。

自担のいないグループ、自担が選んだグループ、どちらも、あれからずっと応援してきたからこそ、こうしていま、穏やかな気持ちで秋を迎えられるのかもしれない。

 

 

 

 

あの6月の少年倶楽部プレミアムは、やっぱり、関ジャニ∞が許されるための企画ではなくてNEWSがもう「掛け持ち(脱退)」にしがらみを残していないことのアピールを行うための企画だったのかな、と思う。シゲアキさんのチカラウタも、そうだと思った。シゲアキさんは泣いてしまったけれど、あれは「NEWS」としての話ではなくて、シゲアキさんが「加藤シゲアキ」という人間を語る上で錦戸亮の存在、あの「深夜高速」という歌が欠かせないだけであって、引きずっているのはグループとは少し違うんだろうと思う。小山さんの、関ジャニ∞とああいう形で共演が出来てNEWSとしての次の段階に、という補足が、小山さんの、シゲアキさんへのプライドのような気がしてとてもうれしかった。うちの加藤を勘違いされたら困る、みたいな。「最善じゃない」と言う人間、それでも現状が一番だとファンに胸を張る人間、それぞれがバランスよく存在しているからうまく成り立つのかもしれない、コヤシゲってそういうところ…と、おもむろに「尊い…」と拝んでしまいそうだった。シンメなのに解釈違いを起こしていて、加藤さんの見ていた「錦戸亮」が多分、わたしも好きなんだと思う。いろいろ話題になった24時間テレビだったけれど、よかった。シゲアキさんの「人生で一番忙しくて熱い夏にしようという覚悟をしました」というコメントが、2016年夏を象徴しているような気がした。

良い夏だった。

良い夏だった、と思う。次の夏も、そうでありますように。

 

 

 

 

 

と、思ったら、「夏の記憶」って殺す気かよ、という少年倶楽部プレミアム9月21日放送回。恋祭り→エンドレス・サマー→秋の空 というなんとも形容しがたいメドレー。エモさが人を殺す夏です。

秋が来ますね。

 

 

 

 

ベストオブほほえみエピソード決定戦

 

 

【ほほえみコンビ】

 関ジャニ∞丸山隆平錦戸亮を指すコンビ名。2012年のイベントでの罰ゲーム「ほほえみデート」を二人で行ったことに由来。それ以前は特にコンビ名はなく、名前を取って適当に呼ばれていた。ジャニーズ事務所の同期。同じ高校に通っていた過去もある。2016年8月現在、村上信五を含んだユニット曲「ビースト‼」、錦戸から丸山へ送られた歌「いっこにこにこ」はあるが、二人でのユニット曲は制作されていない。二人とも名前の頭文字が「R」という共通点がある。

 

 

いろいろ、いろいろあったけれど無事に8月も半ばになって、本日8月12日を迎えることが出来ました。間に合いませんでした。
8月12日。2012年8月12日。
いわゆる「∞祭」*1での催し「ガチンコ祭り!センターは俺だ!!」によって、センターが決定したのと同時に、下位2名への罰ゲーム「ほほえみデート」の該当者が決定した日、が、4年前のこの日でした。前日の時点で、錦戸亮の罰ゲームはほとんど確定していて、残すはあと一人が誰なのかというところだった。大倉さんか、丸山さんか。このあたりのあらましは、映像で見られるので特に説明する必要もないか。とにかく、まあ、そういう記念すべき日なのです。

そんな日を記念して、先日ツイッターからご協力いただいた「ベストオブほほえみエピソード決定戦」(7月17日~7月30日)のアンケートの集計を発表させてもらおうと思います。

docs.google.com

 

明らかに重複だと分かる票のみこちらで除外しました。37票頂きました。ご協力ありがとうございました!
投票してくださった層はこんな感じです。丸山担のおおさ!&関心度高くないとこんなポンコツ野郎のアンケート投票しないですよねありがとうございます!

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ざっくりランキングを発表すると
1位 キス 8票
2位 高校時代 7票
3位 顔がタイプ 6票
という結果でした。(下記に、頂いたエピソードはすべて記載しています。)

 

1位 キス 8票

内訳:「エレベーターでキスする話」5票

   「47メイキングでのキス」2票

   「『関ジャニ∞ TOUR 2009 PUZZLE』でのおでこにキス」1票

 

お二人さん、キスの話題多すぎでは?
いまさら詳細について特筆すべきところもないような気がするのですが、ざっくりとした説明だけ。

  • エレベーターでキスする話

  元気が出るLIVE‼の2016年1月16日大阪公演MCでの発言。何故か分からないけれど、全く持って意味が分からないけれど、事実を述べると「元気が出るLIVE‼DVD」にはこのエピソードは収録されておりません。そのため以下のレポのツイート参照。丸山さんのキス魔っぷりが酷い、という話題の流れで村上さんが錦戸さんに「亮は? なんか被害ある?」と振ってくれ、露呈したエピソード。自分から強請っているため厳密には“被害”ではない。

つい先日の2016年7月31日リサイタル幕張公演でも同様の話題が出た*2

  • 47メイキングでのキス

  「47」という2007年のツアーDVDの初回盤特典に収録されている「茨城」のオフショット(ディスク3)。開演前、エイトコールが聞こえる会場裏で、真っ赤な特攻服のOP衣装を着たメンバー(左から大倉・丸山・渋谷・錦戸の順)が談笑しているときに、壁にもたれたままの錦戸さんが「まる、キスして、くち」と言い、「kiss is the Master key」とすばるさんが口ずさむとなりで、丸山さんが(おそらく)キスをしたところが収録されている。キスして、と強請ったくせにそのあともノーリアクション、衣装で唇を拭く錦戸さん。キスの感想を口にしてすばるさんに気持ち悪がられる丸山さん。むふ、と笑ったままの大倉さん。だいたいみんなサングラス。技術的な問題等々で、動画を上げられないのが残念。

  • パズルコンでのおでこにキス

  東京ドーム公演での出来事。ベース演奏中、丸山さんのヘッドセットのマイクトラブルのため、錦戸さんがハンドマイクを差し出してあげ、そのままおでこにキスをした。WSで映像が流れているため、探せばどこかに映像があると思う。

キスにまつわるエピソードとしては、2011年の「KANJANI∞ 五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません」というDVD特典MCダイジェスト「福岡」で、錦戸は丸山と安田とはよくキスしている、村上さんともしたことがある*3という話題が出ている。こういう話がすでに出ているにも関わらず、こうして「エレベーターでキスをするというエピソード」を挙げてくださった方が多かったのは、エレベーターという場所がよほど衝撃的だったのだろうと思う。わかる。監視カメラの映像ください。

 

以下引用の形式で、実際にいただいたコメントを載せています。

「エレベーター」
・元気が出るLIVE‼︎大阪公演 MC エレベーターでキスする話
・元気が出るLIVE!!大阪公演 MC エレベーターでキスする話
・元気コンでのエレベーターキス事件
・元気魂大阪16日でのMCにて、日常的にエレベーターキスをしていること
・元気が出るLIVEでのエレベーターでキスする話
「47」
・DVD47の例のキスの前の錦戸さんの発言「丸キスして、クチ」
・47ツアーDVDメイキング、特攻服でキスするシーン
「パズル」
・まるちゃんかりょうくんのどちらかのマイクが潰れた時に一緒に歌いながらおデコにチューしたこと

 

 

2位 高校時代 7票

内訳:「高校時代」7票(うち入学式 2票)

 「入学式」
関ジャニズムでの名古屋公演(あやふや)のMCで話していた、亮ちゃんが高校入学の時、丸ちゃんが階段の上から「ヨッ!」と話しかけた話
・錦戸くんの高校入学式に迎えに来た丸山くんがスーパーイケメンだった話
「高校時代」
関ジャニズム 12/25名古屋公演MC 錦戸さんが丸山さんの高校時代を自慢気に話している時
・亮ちゃんが高校を選んだ理由のひとつに、"まるちゃんがいること"を挙げている(雑誌名は不明) 『あと丸(丸山)がいるっていうのも、この学校を選んだ大きな理由のひとつやね。丸も「来いや〜」って言ってくれてたし。4月からは丸の後輩や。丸山先輩か〜。違和感あるなぁ(笑)。』 こんなこと言っておいて未だに高校時代のエピソードにまるちゃんしっかり紐付けされてるのキュンとします。
関ジャニズム名古屋公演MC 高校時の丸山くんの話をする錦戸くん
・ニズムの名古屋MCやありえへんにゲストで出た時?にりょうちゃんがしてた(思い出せるのがこの2つですがこの話は何度かしているのかなと)高校生になったばかりの時亮ちゃんを迎えに来たマルの真似をする亮ちゃんが凄く好きです。
関ジャニズム名古屋公演 MC 同じ高校に通っていたときの話

案外みなさん、同じ高校に通っていたエピソード自体から感じる「萌えポイント」が違うんだな、と思った。
なかでも、入学式の話とか、高校時代の話そのものが印象的だという方や、錦戸さんが高校を選ぶときに丸山さんがいるところをわざわざ選んだこと、あるいは、30歳になっても同じ学校に通っていた時代のことを思い出して話すということが印象的だという方がそれぞれいて、「いつの話ですか」という質問項目にも、そのエピソードの中身である「デビュー前」とする方と、エピソードが語られた時期の例えば「2013~2015」とする方とに分かれていて、とても興味深い結果が知れた。錦戸亮ちゃんは高校に一年しか通えなかったと言っているけれど、その一年の間に見た、学校の人気者だった丸山先輩、のことを覚えているんでしょうね。年上の丸山さんが年下の錦戸亮ちゃんに、普段は「おまえ」と呼ばれていても、実際には年上であることを知らしめるような高校のエピソードが多い気がします。「丸山先輩」というような。そしてそれらが得られる環境に自ら飛び込んだのが、錦戸さん。
高校時代のエピソードはさがせばさがすほど、見つけられる、途方もないと感じたので、今回はざっくりと。
入学式のエピソードを一番手軽に知れるのは2014年「関ジャニズム」DVDの名古屋公演のMCダイジェストだろうと思う(この公演をエピソードとしてあげてくださる方が多かった)。

 

 

3位 顔がタイプ 6票

内訳:「∞祭」「ZIP」

  • ∞祭

は上記ですでに説明済みの2012年のイベント、対決ゲームのうちのひとつの競技である「手押し相撲」での丸山錦戸の対決時のコメントで 「もし僕が女の子やったら、メンバーの中で一番顔がタイプです」「僕が女の子やっても、君の顔が一番タイプです」と発言したこと。ベストアルバム「8EST」の特典に収録されているので、そちらをぜひ参考にしてください。*4

  • ZIP

錦戸さんが2013年に出演した際にインタビューコーナーで「もし生まれ変わるなら(メンバーのうちで誰か)」という質問に「気さく」「誰からも好かれる」「おもしろい」「黙ってたらかっこいい」「顔的に一番タイプなんですよね」と丸山さんを選び、コメント。インタビュアーの「もし女性ならお付き合いしたいですか?」という質問にも「かもしれないですね」と答えていた。普段メンバーと仕事終わりにご飯に行くことはほとんどないけれど「たまに行くのがマルちゃんなんですよね」とも発言し、「誰に紹介してもあの子いい子やね、って言われる」「そんな風に言われたいですね」と続けていた。憧れがすごい。「(女性なら)顔がタイプ」と「女性なら」という注釈をつけてまで、発言する意図がよくわからないのですが、実際に「顔がタイプ」なんだったら仕方ないか。

「∞祭」
・∞祭のときにお互いの顔が一番タイプだと告白しあっていた話
・∞祭ガチンコ対決手押し相撲丸山vs錦戸 対戦前コメント「もし僕が女の子やったら、メンバーの中で一番顔がタイプです」「僕が女の子やっても、君の顔が一番タイプです」
・∞祭りの好きな顔のタイプはのくだりで2人でにこにこしながら話していた時。 その後の手押し相撲もほほえましかったです。
・∞祭手押しゲーム(?)でお互いの顔がタイプだと告白し合うところ
「ZIP」
・zipのQQクエスチョンで錦戸くんがもし自分が女性だったら付き合いたいのは丸山くんと言っていた話
県庁おもてなし課(?)の取材(恐らくZIP)で錦戸くんが生まれ変わるなら丸山くん、気さくで誰からも好かれて面白くて黙ってたらかっこよくて顔的に一番好きだから、お付き合いとしても丸山くんかもしれない、あまりメンバーとは食事に行かないが丸山くんとはたまに行く、誰に紹介してもあの子ええ子やねと言われるのでそんなふうになりたい、と地上波で盛大にノロケた(?)話

 

4位同率 3票

・ほほえみデート
・ごはん(ホテル・三重)

 

「ほほえみデート」はいわずもがな、ですね。そりゃそうだ。
「ごはん」はツアー期間中のごはんを指します。雑誌で読めるものなら以下のようなものがあります。

加藤「ライブのときって、メシどうしてます?」
丸山「地方のときやったら、イベンターさんが連れてってくれるところに行く人もいれば、ケータリングですませてホテルに戻る人もいれば、ホテルのルームサービスですませる人もいる。俺とか(錦戸)亮ちゃんは、ホテルに直帰して、ルームサービスとるパターンが多い。たまに亮ちゃんがうちの部屋に来て、いっしょにテレビ見ながら食べたり。っていってもほとんど話すことないから、飲んで食って、終わったら「じゃあな」って。やのにあの人来はるから、なんでやろ?って。」
MYOJO 2013年11月号

上記のZIPでも「たまに(ごはんに)行くのはマルちゃん」という発言があり、また、いつかの丸山さんのweb連載でも錦戸さんとご飯に行ったと書かれており、ご飯に行くエピソードはいくつかある。いくつか…*5

 

「ほほえみデート」
・ほほえみデート 3票
「ごはん」
・会報No.4マル目線:この2年くらいで、ツアーの際に、ホテルの部屋で一緒に食事をする習慣が出来たという話
・みんなが飲みに外に出ている時にお互いの部屋にこもって飲んでいた(?)話
・お前のハートを掴んだるリサイタル(三重?)のMCでまるりょで前日海鮮料理屋に行ったエピ。2人でいっぱいあわびや脱皮したての伊勢海老??食べた。丸山さんはブログに写真を載せていたが誰ととは明記せず、きっとライブで訊かれていなければ本人達からの公表は無かったであろう、というとこまで含む。(しかし店の方のブログには載ってしまう。店員さんグッジョブ) 丸ちゃんとだったら何故かちょっと苦手な海鮮系を食わせられる(何年か前にも2人で魚を食べに行こうとして店が閉まってたり、「ホタテが無い」含む)亮ちゃん、という魚にまつわるほほえみが大好きです。

 

 

その他

総票数があまり多くなかったことも関係して、1票のみ入ったエピソードが多くあるので、ひとつずつ紹介します。

・エンドロールでいちゃいちゃ

 → いつのでしょう、2010~2012年とお答えくださっているので、顔を突き合わせてへらへらしているやつ(のちにリミックスされたバージョンでハートマークの加工をされているやつ*6)なら、「KANJANI∞ LIVE TOUR 2010→2011 8UPPERS」ですかね。

・ パズルコン
 → ざっくりすぎて(心当たりが多すぎて)、これですかね、と明言できないのですが、「関ジャニ∞ TOUR 2∞9 PUZZLE」に収録されているレンジャーは丸山錦戸が対になるエピソードなのでハッピーです。個人的にとてもツボだった、「メンバーで行った温泉の水風呂で丸山さんが錦戸さんに上がるなと命令していた、のを目撃した横山さんの話」がMCで披露されたのは京セラ公演でした*7また、すでに上がっている、東京ドーム公演のおでこにキスも、このツアーですし。下記もそうですね。
・パズルコン福井公演レンジャー 仲直りシーンでイエローがオレンジに抱き付いてそのまま駅弁した瞬間
 → 表現が卑猥!だめ! とは思いつつも、このエピソードは知らなかったので、ありがたいです。2009年の錦戸さんの体重の軽そうな感じは目に見えて異常。そして可愛い。どうか、その記憶を人生の宝にしてください。
・ 聞くジャ二エイトというラジオで、お互いに感謝の気持ちを言い合うという企画で、丸山くんが錦戸くんに「亮ちゃんのためだったらお金貸してとかいうお願い以外、ある程度のことはできるから」と話していたこと。
 → 2009年のラジオですね。

moyashi1984.hateblo.jp

この記事にその部分だけの文字起こしがあります(ガチ)。ここから「いっこにこにこ」に繋がると個人的には考えていて、「ほほえみコンビ」の底本みたいなもののひとつだと感じています。

・03年クリコン10年後の今日の日もでまるちゃんが大倉くんにほっぺチューした後 彼氏の浮気がバレたカップルの修羅場みたいになってたまるりょ
 → 記憶をお金で売ってください。言い値で買います。見た過ぎる。記憶の売買ができるようになるまでは、その記憶を大切に守り抜いていただきたいと思うばかりです。記憶狩りに遭いませんようくれぐれもお気を付けください。
・多分関ジャニズムかJBなんですけど、まるりょで手でハートを合わせようとしていて、亮ちゃんがまるちゃんの作った片手はーとをがぶっとするところです!
 → 「関ジャニズム LIVE TOUR 2014≫2015」のDVDにも収録されているオーラス公演ですね。「CloveR」の曲中の戯れ。思い出しただけでも可愛さで頬が溶けてなくなりそうです。衣装がダサいけど。
・いつのものか忘れてしまったのですが、ジャニ勉の3タックのオープニングの音楽が流れてる時に2人が向かい合ってほほえみあってるやつです。りょうちゃんが「できひん>_<」みたいなことを言っていたと思います…横山くんが金髪のときです。いろいろと曖昧ですみません。
 → わかります、あれですよね、いつのか探しておきます。
・2009年4月20日「めざにゅ~ハマsong」*8  過去回想型な丸山さんと未来展望型な錦戸亮ちゃんは脳の使い方が真逆で、感覚的に分かり合える事が少なそうなんですが、この番組の「相手の好きな曲が自分も好きになった」という話が、相手の心情が分かり、少しだけ気持ちが混じり合えた様なエピソードで印象深かったです。
 → わたし2009年大好きなんですよね、だいすき。それ以上のことばがありません。だいすき。考え方が正反対な二人、良い。
・2006年レンジャー連載亮ちゃんの生い立ちシリーズのオーデのくだり、紫迷彩というタイトルで、男前で変な紫の迷彩のカーゴパンツに紫のでかいリュックで堂々としていた丸ちゃんを見てこういう人が受かるんだ自分は多分無理やな、それくらい丸はかっこよかった(2回目オチ付き)云々語っていた回
 → 錦戸さんの丸山さんへの「憧れ」ありがとうございます。こういう風に、なんだかんだいって、めちゃくちゃ評価している(からこそ「頑張ってほしい」と思う気持ちが先行して厳しくなってしまう)のが、錦戸さんの丸山さんへのスタンスだったように思います。

 

 

アンケート結果は以上です!

実は、いつ頃のエピソードなのか、という質問項目もあったのですが、「高校時代」のところでも触れたように過去のエピソードを「いつ」と判断するのか差異があり、また、間違って投票されていた方や「わからない」とされていた方が多くいたので、今回は特に触れませんでした。集計結果を見て、2004~2006年が少ないように感じましたが、あとはおおむね、どの年代も同じくらいの割合でした。わたしは、ひとつ、ここもほほえみコンビの特徴かな、と思います。この期間だけ特別仲が良かった、とか、この時期はちょっと疎遠になっていた、とか、そういうのがなく、ずっといままで安定している付かず離れずの関係性なのかな。丸山さんが、2016年1月のコンサートで錦戸さんのとの関係性を「遠距離恋愛の恋人」と例えたのも、そういう感覚からなのかな、と思ったり*9

ほかにも、丸山さんだけが(その当時)錦戸さんの家に行ったことがあるとか、引っ越しした錦戸さんの家のシャワーを一番最初に使ったのは丸山さんだとか、錦戸さんの両親が来ているときにシャワーを借りた丸山さんとか、一緒に住もうと何度も丸山さんを誘っては断られている錦戸さんとか、その雑誌のインタビューで一緒に住むなら亮ちゃんと丸山さんが答えていることとか、高校時代丸山さんの好きだった人から告白された錦戸さんととか、丸山さんの「ひき肉ダンス」が異様に好きな錦戸さんとか、錦戸さんからさりげなく高いジャケットもらったことを「これ話してええんかな」と笑いながらテレビで話した丸山さんとか、そのジャケットは実はお礼で錦戸さんが先に丸山さんの着ていたジャケットをかっこいいと言ったら同じもの(高い)をプレゼントされていたとか、丸山さんが舞台で主演する作品のハリウッド映画版を見て「これをマルがやると思ったら泣いてた」錦戸さんとか、丸山さんの錦戸さんへの「嫌われ役をかってでてくれてありがとう」「ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」というようなコメントであるとか、2016年に丸山さんが取り付けた亮ちゃんにサーフィン連れて行ってもらうという約束の話とか、覚えているだけでもこれ以上ぽろぽろ出てくる、から、忘れているものも含めれば本当に膨大な量になる。実は粕汁、「ほほえみデート」よりも先に「はなまるマーケット」で振る舞っていることとか。あとはもう伝説級の「高尾山ロケ」とか。

 

という具合に、いろいろ挙げるとキリがないことに気が付いたので、この辺りで切り上げようと思います。

本当はなんかもう少し、せっかくアンケートしていただいたのだから、良い感じの考察とか、まとめとか、したかったのですが、無理だったので、とりあえず「ほほえみデート」と「『with』での連載『C∞MBI i(コンビアイ)』の2013年05月号」を見てくだされば、だいたい「ほほえみコンビ」がどういうコンビなのか伝わると思います。ほほえみコンビ厨の方にも、久しぶりに見るとなおのこと可愛いですよ*10  とオススメしておきますね。ほほえみコンビについて、わたし個人としては「コンビとしての化学変化がないコンビ」だと思っています。丸山さんはより丸山さんらしく、錦戸さんはより錦戸さんらしく、そういうお互いの個性を個性そのまま増幅させているようなコンビだと、いつも一人でしみじみとしています。

どうか、この二人のお互いへのあどけない羨望と、「笑う」「笑わせる」のギブアンドテイクの充足感が、たくさんの人に伝わりますように!

 

 

 

 

:追記

 

moyashi1984.hateblo.jp

 エピソードを抜粋して年表を作りました。こちらもあわせてどうぞ。

 

*1:(読み:はっさい)(正式名称は「∞祭 ~ボクらも8っちゃい、8っちゃけまつり~」)

*2:朝からでもキスしてくれるときがある、という新情報

*3:年上組とはしたことないとこのとき発言していたけれど、「47」沖縄公演ですばるさんとキスしている写真が撮られているため、この発言からカメラのある場でのキスはキスとして判定していない可能性が浮上

*4:個人的には手押し相撲での、丸山さんが錦戸さんの後ろを指さしたときに、罠だと分かっていただろうに思わず振り向いてしまう錦戸さんが、丸山さん相手に気を抜いているような素直さを披露するところも見どころかなと思います

*5:いま手元にある資料が抜けありまくりなので、いくつか、とさせてください

*6:これは「KANJANI∞LIVE TOUR!! 8EST〜みんなの想いはどうなんだい?僕らの想いは無限大!!~」

*7:のちに「急☆上☆Show!!」発売時のMステでのトークでも横山さんから披露され、全国ネットで結構スベった。2014年1月29日放送の「TOKIOカケル」では丸山さんからの情報「亮ちゃんはやたらとM」のエピソードとして「サウナの水風呂に、肩までつかりなさい、と言うと、うるんだ目をしながらかわいく、はい、と答える」とサウナ水風呂のことを挙げており、4年経っても記憶にあることがわかる。しかも「かわいく」という本人の主観入り。

*8:http://www.tudou.com/programs/view/HE3l2EZPMGI

*9:正直メンバーほど近しい距離にいて、なんでわざわざ「遠距離」なの!? とは思ったが。

*10:関パニとか各種DVD収録のレンジャーとか

加藤シゲアキ2016が最高/加藤シゲアキさん(29)お誕生日おめでとうございます

加藤シゲアキ(29)さんお誕生日おめでとうございます。
ところで、私が好きになった加藤さんは24歳でした。「ピンクとグレー」が出版されたあのとき。

 

あのときは、こんな未来がすぐそこにあるなんて思いもしていなかった。

メンバーも必死だっただろうけれど、ファンも必死だった。そうしているうちに、ふと気が付けば、あの増田貴久さんが30歳を迎え、そして加藤さんも29歳になっていた。私が好きになったきっかけのデビュー作「ピンクとグレー」に端を発し、既に単行本が4冊、文庫が2冊刊行されていて、2016年には雑誌で長期連載、短編、小説だけじゃなく旅行記、書評とさまざまな作家活動を継続的に行っている。24歳(正確には23歳)の加藤さんがそのすべての基盤を作ったのだと思うと、大変だったろうなという思いと、頑張ってくれてありがとう今ファンとして楽しい人生を送れていますと感謝の意でいっぱいです。

小説家デビューと同時に改名の発表を聞いたときは、一体何をするんだろうと唖然としていたけれど、たった4年余りで、こんなにカタカナが馴染むようになるなんて思いもしなかった。それまでずっと「加藤さん」と呼んでいたのに、もういまでは「シゲアキさん」と下の名前で呼ぶようになっていて、「シゲ」と呼んでいたような人たちも「シゲアキ」と呼んでいたりして、あのとき「加藤シゲアキ」と改名したことが必然だったことかのように思える。フルネームで呼んでもらえるように、と言っていたのをぼんやり思い出したりします。錦戸亮からも昨年末に「カタカナかっこいいね」とのお言葉も頂戴いたしましたし。

最近のインタビューで「5年前の自分に」とメッセージを残すことが多々あり、それを読んでは感慨深くなる2016年です。なんというかいろいろと本当によかった。NEWSというアイドルとしても、作家としても、「これから先どうなっていくのか分からない」ほどの新しい境地に挑んでいる、ここからどこまで躍進していけるのかファンにはおおよそ見当もつかない可能性を持っている、加藤シゲアキさん(29)。24歳のときの「これから先どうなっていくのか分からない」とは全く種類の違うどきどきで、ただひたすらこれから先の未来が楽しみで仕方ないというような。あのころだって言うほど悪くなかったよ。かっこよかったよ。けれど、いまのシゲアキさんは加藤成亮史上一番かっこいいと思う。過去が悪いんじゃなくて、あまりにも未来に期待しかないから。

 

私の担当は錦戸亮です。けれど、よくよく考えてみれば、錦戸亮ちゃんだけを好きでいたときより、シゲアキさんのことも好きでいる期間の方が長くなっていた。いつの間に、という気持ち。どっちが好きとか、多分錦戸亮を降りることはないんだろうけれど、あまりにもシゲアキさんと錦戸亮ちゃんの重なる部分が多すぎて、もう選べないんだろうなと思います。選ぶ必要がない気もしている。

どちらも、自分の知らない歴史が圧倒的で、好きになってからの時間の経過が一瞬のように感じるのだけれど、こうして着実に時間は過ぎていっていて、ファンになった当時にはあれほど自分が知り得ないと強く胸を焦がしていた、彼らの歴史の一端が作られていくところを今は実際に見ている。そう思うと不思議な感じがします。そういうことが、これから先も、たくさんあるんだろう。これから先がたくさんあるのだと思うとたまらなく幸福だと感じる。どうにもいかずたくさんもがき苦しみ、そして努力をしてくれたのであろう過去がすべて愛おしく思える。過去のすべてに敬意を払いたくなるし、実際に払っているのだろうと思う。という脳みそゆるゆるっぷりも、くそポエムも、誕生日なので許されるような気がしている。

加藤シゲアキにハマるなら最高のタイミングが2016年夏以外にないんじゃないか。「加藤シゲアキの快進撃に巻き込まれてファンになったんです♡」って一度でいいから言ってみたい。


こういうブログを書いてしまうのは「2016年夏」に寄せる思いがとんでもなく大きいからなんだろうな~~~。

タイムリープ」「あの夏」というフレーズだけで、「恋を知らない君へ」という歌だけで、もう、どの夏にでもとんでいけそうな気がします。だって「扉はいつもきっとあの夏に繋がっているから」。けっして戻りたい・やりなおしたいわけじゃないけれど、今に繋がっていると信じたい・大切にしたい「あの夏」が誰しもひとつくらいあるんじゃないかな。2016年夏がそういう夏のひとつになればいいな、と思う。キラキラと輝いていて、夢に溢れていて、あの夏があるからいまのすべてがあるのだと未来で思えるような、そんな夏に。

 

加藤さんが錦戸亮よりメディアに出演する2016年夏を誰が予想していました?
それでも相変わらず飄々としている錦戸亮2016には、焼けずにいてほしいひげをそってほしいという気持ちばかり大きくなっていきますが、加藤シゲアキ2016にはどうかこの夏を精一杯生きてほしいと切々と思うだけです。ところで、マクベス観劇の件*1 はどうなんでしょうね。「どんな気持ち?」と煽りに行きたい気持ちでいっぱいです。

世界はもう充分すぎるくらい加藤さんに優しい、けれどそれは、加藤さんが世界に優しさを見つけ出したからじゃないかな、と思う。世界に絶望していた加藤さんが世界に自力で希望を見出したんだろう。

シゲアキさんの「楽しい」とわくわくする、先日のぐるナイの釣り企画で見せたような笑顔をできればたくさん見られますように。加藤さんがいつか「一人でも応援してくれる人がいるならおれはNEWSの加藤成亮を辞めない」というようなことを言っていたことを記憶していて、それから数年たった今でも時々思い出しては「少なくとも私は死ぬまでファンでいるから、加藤さん辞めないね」と安心していたりします。

 

こうやってまたNEWSは楽曲に思い入れをたくさん増やしていくんだろうね。「僕らはなぜ出会えたんだろう」とかつては歌いながら、今でも「出逢えた事 今傍にいれる事 ありがとう」と歌うNEWSが、今傍にいない人たちとの出会いにもお辞儀をしているように感じられて、とても好きです。いまだに6人と4人が同時に存在しているような気分になったりして、未練がないと言えばうそになるし、けれど、それらを全部投げ打ってでも今が好きだと言いたい。未練のかたまりみたいな私を、救ってくれたのはシゲアキさんの言葉だった。ありがとう。

 

君の未来に幸あれ。

 

 

 

 

 

*1:7月8日マクベス錦戸亮加藤シゲアキが隣同士の座席で観劇していたという目撃情報がいくつか。まだ本人たちから言及がないので当然半信半疑です。