錦戸亮のファンとして/2019.09.30

言いたいことはただひとつ、明日も明後日も笑っていてください、頼むからそういう風にして生きていてほしいと祈って暮らすことをゆるしてください、ということだけ。これはひとつと数えていいのか?

 

本当はブログを書くつもりもなかったんだけれど、いざ今日を迎えてみたら、頭から少しも離れてくれないことを思い知って茫然とした。脱退と退所を知った日から、今日まで、ずうっと覚悟をすることを繰り返して、もう彼がジャニーズとして立つステージがないことを理解しようとして、さらには自分に末日が期限だと言い聞かせてきて、わたしはそれでも「ファン」として区切りをつけないことを選んだ。ツイッターのアカウントも変えない、ブログも、彼のこと「自担」と呼ぶことも、なにもかも変えずにこれからも好きでいてみよう、と決めた。名残惜しかったというものあるし、ちょっとだけ悔しかったのもある、関ジャニ∞との別れがつらかったのもある、けれど、それよりも、わたしはこれからも彼を好きでいることに変わりはない、と確信したからだった。呼び方や在り方が変わるとしても、それは彼がもう一度こちらに姿を見せてくれてなにかが始まってからだ、とおもった。わたしが決めるのはいまじゃないのかもしれない、と。

だから、今日の日だって、長い目でみれば人生のうちのただの一日でしかない、だってもうジャニーズとして関ジャニ∞として活動をすることはすでに終えているのだから、と、さして特別には受け止めていなかった。入所日をお祝いするように、「その日」じゃなくて「その日が在ること」「その日からのすべて」に意味があるように。そういう日だと自分のなかで受け入れていた。媒体のなにかを残すこともしていません。6人が5人に変わろうとも、こだわらずにいよう、いたい、とおもって。

 

でも、なんかもう、それはそうとして、それはそうなんだけれど、何とも言えない気持ちになる。たまらなくさみしい。泣き出したくなる気持ちがずっとあって、通勤途中でどんな歌を聴いても錦戸亮ちゃんのことを思い出して仕方がない。好きになって10年余り、心の一番大きいところを占めてきた、だいすきなひと。彼以外に選びようがなくて、まずなにより彼をいちばんに選んできて、そうしていられることがなにより幸福で、たのしくて、たまらなかった。ずうっと大好きだった。

ここから先の未来を憂う気持ちはひとつもない、錦戸亮錦戸亮のために選んでいくものごとのすべては錦戸亮にとって正しい選択だ、と知っているし、信頼しているから。この脱退・退所だって、そう思う気持ちは変わらない。想像もできなかった未来を見せてくれるかもしれない、というわくわくも確かにある、途轍もない未来の可能性を思い知らされているような気もする。それを選ぶのが錦戸亮自身だと思うと、なおさら。たくさん休んでほしい、そうして、いちばん自身が幸せになれる道を選んでいてほしい、それがどんなものであっても。そう心の底から願っていられる時間は特別で、そう願っていることを、100%の敬愛だと伝えたい。知ってる? 知らんやろ、それでいいよ。

けれど、さみしいなあ、とおもう。そうなんだよなあ、さみしい。そっちはどうですか? 教えてくれなくてもいいよ、しょうがないね。

 

老いていくあなたが何十年先もジャニーズとして生きていくのもかっこいいだろうなと思っていた、そういう未来も夢見ていた。いつかどこかに行ってしまうかもしれない、そういうときの選択を甘さで誤らないひとだろうと信頼して、同時に怯えて、それでも、関ジャニ∞としてメンバーと笑いながら老いていく未来だって素晴らしいだろうとそれは彼だって同じように思っているだろうと夢想していた。なんでずっとジャニーズでいてくれているのかわからないけれど、できるならずうっとそのままいてほしいなあ、案外ずっといるのかもしれないなあ、と思っていたのだって本音だ。

あの才能がジャニーズのなかで生きているの、わたしはたまらなく好きだった。「正統派イケメン」として扱われながら、異端の関ジャニ∞に所属してそのなかでもマイペースを貫く彼のアイドルとしての在り方は、まっすぐともいびつともいえず、なんともおもしろかった。だいすきだった。思い返せば限りなくて、器用に立ち振る舞えない寂しさにやきもきしたこともあるけれど、それだって、全部「好き」に起因していた、選ぶ余地もなく惹かれていた。世間のことは知らないけれど、わたしにとっては代わりのない唯一無二の特別だった。一番に錦戸亮を選び続ける人生のたのしさ、わかるか!? おまえにわかるかおまえに、わかるか、最高やぞ、最高、泣き出したくなるような最高を知っていますか? わたしはそれを知っているんですよ。この最高を知っている幸福感たるや、なににも勝るものはない、錦戸亮、あなたです。他のだれでもない、錦戸亮ちゃん。好きになってからのわたしを生かしていたのは紛れもなく錦戸亮だった、と、わたしだけが知っている、わたししか分からない、こんなに感謝しているのに。こんなにも背中を押してもらっているのに。人生の岐路でたくさんの勇気をもらってきたのに。かけがえのない出会いをたくさんもたらしてくれたこと言葉じゃ言い尽くせないくらい感謝しているのに。感謝ばかり。結局感謝しか残っていない。あまりにも大きく自分の人生のなかにあったものが「ジャニーズ」の錦戸亮だったから、ああ、全部が終わっていくのか、ひとつの時代として過去になり、完結するのか、とおもうとさすがに混乱してしまう。あまりにも大きな存在だった。指針だった。

 

どんな別れもつらい、たとえそれが希望に満ちたものでも。そうでなくても。どんな風に選ばれたものだとしても。どんな風に選ばれたものか知ることがなくても。

錦戸亮ちゃんがどうしてこの決断をしたのか、はっきり言葉で知らないけれどはっきり言葉で知らなくても、どうだっていい、とおもう。わかるような気もするし、少しもわかりたくない気持ちもある。どうせわたしには分からないでしょう。それでいい。ただしばらく勝手にさみしがるのは、許してほしい。辞めないで、とは言わない。いえない。いいたくない。やっと終わった、終えられた、と思う気持ちもある。いつか来るであろうお別れを想像して悲しくなっていた、のが、現実に起これば想像をする余地だってなくなる。事実を粛々と受け止めるだけに変わる。そういうさまざまな感情の狭間にいまはいるのかもしれないね。哀しいし、さみしいけれど、ほっとしている。しょうじき。これでもう、脱退を経験しなくていいんだものね、わたしも、あなたも。あんなに胸が千切れるような寂しさ、きっとこれ以上ない、ほっとしています。

 

 

わたしの人生がどんなものであっても彼にはひとつも影響を及ぼさない、というのが、わたしが生きていくうえでのひとつの拠り所だった。これからもきっとそうだとおもう。わたしがどれだけ平凡でも人並み以下でもしょうもなくても、変わらず錦戸亮はずっと眩しい。わたしが日々、どれだけしょうもない失敗をしても、人にやさしくできなくても、ちょっとだけ頑張れなくても、それでもあのまばゆい錦戸亮にはこれっぽちも影響を及ぼさない、だから、わたしはどれだけみっともなくても毎日必死に生きていける。

日々に悩殺されていくなかで自分の足りなさを実感するたび、あなたがどれだけ眩しかったのか、どれほどわたしの目に眩しく輝き映っていたのか、思い知らせてやって、このわたしの抱えるたまらなさを、幸福の指数として彼に捧げることができたらいいのに、と切に願う。こうして打ち付けていると祈りのような言葉ばかり浮かんで、結局のところわたしが彼に望んでいたことは、髭を剃れでも前髪がほしいでも鍛えないでほしい日焼けしないでほしい、でもなくて(言うけど全然言うけど)、一生しあわせでいてほしい、しあわせだと思えるような暮らしをしていてほしい、なのかもしれない。頑張った分だけ頑張りが報われていてほしい。世界に正しく優しくされていてほしい。幸せになる選択だけを重ねていってほしい。そういう規模の大きいことを祈る一方で、そう願えば願うほど、死ぬまで関ジャニ∞でいてほしかった、みんなで笑って過ごす錦戸亮ちゃんを永遠に見ていたかったというわがままのような願いを、二度と口にできず、ぐっと飲み込んで堪えることしかできなくなっていくんでしょう。相反することになった願いがかなしい。かなしいけれど、かなしいだけじゃない。しょうがない。ほんとうは心のどこかでずっとわかっていたことだった、永遠なんてない。永遠はないかもしれないけれど、過去だってなくならないよ、永遠がないように、ずっと変わらず楽しかった過去がある。そう言い聞かせて生きるほかない、ジャニーズとしての日々が過去になるこのときをファンとして迎えることができて、ほっとしています。ファンとしてのわたしは、やりたいことは全部やってきたなあ、とそのあたりは案外やりきった気持ちで今日を迎えているけれどそっちはどうですか、もちろん教えてくれなくて結構です。でももし教えてくれるならいつでも聞きたいです。

 

たのしい日々をありがとう、ほんとうにたのしかった!

明日からも楽しく生きようね!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

十五祭遠征費まとめのことだけ

 

自己紹介:広島県在住・20代社会人・実家は大阪・嫌いなもの「計画性」「節約」「路線バス」・好きなもの「二度寝」「クレカ」「スタバ」「錦戸亮

 

遠征費の計算をするまえに双眼鏡、うちわ、ペンライトを仕舞ってしまって、すっかり終わった気分です。あとはDVDを迎えるだけですね。本当に遠征費の計算しかしないので、有意義なことはひとつもないよ。

 

 

 

過去の例

moyashi1984.hateblo.jp

前回より変わった点

・手取りは変わりませんがふつうにお金がない

・正直体力の衰え以外に変わった点はなし、広島在住のままです

・夏の関ジャニ∞のみです

 

◎札幌公演(7/13~15)

・チケット代          8,500円

・往路飛行機代(伊丹)   21,730円

・復路飛行機代(伊丹)   18,030円

・往復新幹線        14,680円

・大阪交通費          1,000円

・札幌交通費だいたい      3,000円

・宿泊費(2泊)        12,100円

・(駐車場代)          2,500円

―――――――――――――――――――――――

          計   73,040円

 

▽雑感 

あれ…??? 一泊増えているのに去年より安い…と見比べたところ、飛行機代がおよそ1万円安く済んでいた。前泊にしたので、前日午後からの便が割合安かったのかもしれない。一泊6,000円のドミトリーを選んだのも正解だったような気がする。ここ(GRIDS SAPPORO HOTEL+HOSTEL)に泊まりました、綺麗だし朗らかだしよかったです。雨に濡れずに行けるし。去年の反省を生かして、前日に札幌入りしたけれど、想像通り前泊はやっぱりとてもよいです、おすすめ。朝にグッズを買いに行き、一度戻り、ひと眠りしてから会場に向かえばかんぺき。切符の乗り放題を買えば割安。涼しくてよい、体力の温存を夏の目標としていました。

 

◎名古屋

 お察し労働週間です

 

◎大阪(7/27~29)

 

・チケット代         25,500円

・新幹線往復         12,000円

・交通費           3,000円

・駐車場代          2,500円

―――――――――――――――――――

             計 43,000円

▽雑感

地元の良さに勝てるものはなにもない、なにもない……。それでも4万はするのか、とおもうと「実質タダ」のガバガバさに笑ってしまう。わたしのBOYは大阪生まれの子です。

 

◎福岡(8/4.5)

・チケット代        17,000円

・新幹線往復        14,600円

・宿泊費           9,000円

・現地交通費てきとう     2,000円

・駐車場代          2,000円

――――――――――――――――――――

            計 44,600円

 

▽雑感

新幹線は例の格安切符。いつもお世話になっております。福岡の宿だけもう少しベストなものがあればよいな、と思ったので再検討。ドミトリーのようなところに泊まった、悪くはなかったのだけれどコンサート時にはあまりにも同じスケジュールで動く人が多すぎてシャワーの混雑がひどかった、そもそも普通にホテルを取るべきなのかも。案外することがなくて持て余す福岡。すき。福岡に詳しい友人がいないと方向音痴ではない自覚はあるものの、バス社会に馴染めず結構苦戦するんだろうなと思っています。バス安い、すごい。

 

◎東京(9/3のみ)

・チケット代           8,500円

・往路新幹線         14,900円

・復路バス代(~京都)      5,900円

・新幹線(京都~)        8,430円

・現地交通費           2,000円

・駐車場代             700円

―――――――――――――――――――――

             計 40,430円

▽雑感

オーラスのみだったので1公演。前日のうちに東京入り、友人宅に泊まらせてもらった。復路は、仕事の都合でどうしても翌日出勤しなくちゃならなくて、途中まで夜行バスで戻り始発の新幹線。3列の京阪神エリア着の夜行バスとしてはなかなかに安くて、うれしい。とはいえ乗り場がよくわからなくて右往左往していた。18時30分開演の頭のやばさ、に負けずに行ってよかったなあ、と終わってみて実感するのでした。これも4万。東京こそ案外やることなくて時間を持て余してしまう、どこでもそうなのかも、けれど友人といると話が尽きなくて一生開演前ならいいのに、とおもった。田舎に住むようになってから余計に開演前のドームの混雑によわくなった。

 

 

・札幌1 73,040円

・大阪3 43,000円

・福岡2 44,600円

・東京1 40,430円

―――――――――――

 計  201,070円

 

とうに過ぎ去ったような気もする十五祭。駆け抜けてみればほんとうにあっという間だったな、と思います。お疲れさまでございました。どうにか夏を終えて、あとはその他さまざまなカードの支払いを耐えるのみです。台湾もないし、ほかのアニバーサリーもないし、と、余裕ぶちかまして臨んだこのツアーでしたが、まああんまり余裕はなくて笑ってしまうことばかりだった。けれど、ちゃんと宿の予約取っていたの偉いし、東京もまあ平日だけれどきちんと早々に予約をして早割を適用させたのも偉い。えらい。

お金のことで言うと、札幌で2泊するのになぜか現地でバスタオルを買う気まんまんで赴きホテル近場のドンキで購入した(もちろんホテルで借りられた)こととか、東京ではまっているアニメのアクスタを買って浮かれていたこととか、今買う!?みたいなものを買ったな…というのがあります、たのしかった思い出。タオルは1000円、アクスタは計3000円。しょうもない無駄遣いを積み重ねてツアーを回ります。それも終わりですか?

ありがたいことに、チケットは基本的にツアーが始まる前に自分の手元にすべてある、ことが最近多くて、金銭的なところでもだいぶ助かっている、お金を下ろして手元に用意しておく、ということがどうにも苦手だということに気が付いてきました。取引する方、みなさんちゃんと用意されていて偉いなあ、とおもう。

うちわは計8枚、錦戸亮ちゃんが7、丸山さんが1。パンフ、レンジャーBOOK、クリアファイル、フォトセット、BOYは錦戸亮ちゃんだけ、ペンライト。ほんとうに楽しいツアーだったな、カード決済ができたからこそのわたしの楽しいツアーグッズ購入ライフだったのだろうと容易に想像できる。もうこれらを足して何円なのか計算する気も起きないですもんね…あ、妹にマジバン買いました。うちわくらいの金額なら現金で手元にあることが多くて、気が向いたときにふらっと買える良さがありますね。

たいして切羽詰まってもないし、計算ちゃんとする気もないし、なかなか内容のない遠征費まとめになりましたが、まあこんなもんでしょう。

 

さいきん考えていること/錦戸亮が好きです

全編頭のおかしいポエムです。各自固有名詞を読み換えてくれていいよ。 すべての話が錦戸亮に通じていくところを読むことができます。ツアーネタバレ的には曲名をひとつ書いちゃっているくらいで一切内容は伝わらないと思います。

 

 

 

 

 
錦戸亮以外にいる? いなくない?
この世に錦戸亮の顔をして錦戸亮を名乗る人間が、錦戸亮以外にいない限り、そうなればやっぱり当然、錦戸亮しかいないんですよ。
そんなことばかり考えています、最近ずっと。
 
 
「担当」という制度は、もしかするとオタクを(少なくともオタクの一人であるわたしを)思考停止に導く制度なんじゃないのか、と疑ってみたりしたけど、必要以上に迷うことなく「担当(推し)」のうちわを持つ日々は、大勢いるタレントのなかから彼以外を選ばない理由、彼だけを選ぶ理由をその都度自分に表明してから始める日々よりよっぽど楽チンだろうなと思う。ぜんぜん思考停止じゃなくて、ただの簡略化でしかない。
一度選んでしまえば自分の心が彼に触れるたびこの状態こそが正常だとしっくりくるようになるので、数えきれないほど惚れ直すことはあっても、自分がかつて彼を好きでいることを選んだのだ、ということをいつのまにか考えなくなっていく。新鮮なときめきに上書き保存されていって、彼を好きでいることが当たり前になっていく日々の中でいつしか、選ぶ余地や選んだ事実さえなかったんじゃないか、とまで思うようになった。
生まれたときから、自分の持つうちわには彼の名前が入っていて、自分はそれを持つことをいままで疑ったこともない、みたいな。わたしには彼が充てがわれていて、それはもうすでに決定していることで必然、だから、どうしてほかのひとは違う名前のうちわを持っているんだろう、どこでその違う名前のうちわを手にしたんだろう、わからないな、とさえ思ったりする。(ほかのひとも自分と同じような手順を踏んで手に入れた「必然」なんだろう、とは感覚的に理解していて、それはわたしにとって、出身地や血液型、星座のもつイメージと近い)
 
だから、わたしは、あの最強にかっこいい男に出逢ってしまったきっかけ自体を話すことができても、好きなところを指折り数えることはできても、もっと根本的なところでの「錦戸亮でなければいけない理由」(理由が人生において必要なことであるかどうかはさておいて)を話すことができないんですよ。だってわからない。でもときどき考えてしまう、考えたい、知りたい、でもわからないんです。
錦戸亮ちゃんのうちわを持つ理由?  錦戸亮ちゃんのうちわを持って生まれてきたから仕方ないんですよね、うちは代々世襲制なんです、ええ、ひいおばあちゃんの代から、そう、代々錦戸担で。
 
 
錦戸亮以外にいますか?  いるんでしょうね、わかります、あなたにとってはいるんでしょう、でもわたしにはいないんです。
むずかしいことは考えられない、顔を見てしまっているあいだは。
 
錦戸亮のこと、ご存知ですか? ああ、そうです、はい、あの顔がめちゃくちゃにかっこいい、あの、そうあの人です。そうなんですよ、めちゃくちゃかっこいい、ばかみたいにかっこいい、2019年トップクラスのかっこよさ、ほんっとにもう惚れ惚れするほどかっこよくて、とにかく媒体に映る顔のすべてがかっこいい、そしてなによりかわいい!、本気でそう思っているし、何度そう自分に言い聞かせても顔を見るたび新鮮にそのかっこよさに驚くくらい、と、わたしがこれだけ力説しても、どれだけの人にわたしが実感しているのと同程度の感動を伝えられるのかさっぱりわかりません。だって、わからないひとにはわからないんでしょう?  それがいいとか、悪いとか、いやだとか、そういうことじゃなくて、理屈としてはわかるけれど、錦戸亮の顔を見て心臓がぎゅっとなるこの感覚が万人に共通する感情じゃないってことがどうしても理解できません。むずかしい。
錦戸亮ちゃん、こうしてひとりの人間の語彙を奪ってどこまでもかっこよくなっていく34歳の日々、いかがお過ごしですか? お元気ですか? 相変わらずお顔の調子が留まるところを知らないですね、どこまで行きましたか?  さみしくなるから、あまり遠いところ、たとえば太陽系より外とかには行かないでね。
 
わたしも錦戸担としてこの世に生を受け自我を持つようになってからしばらく経つので、そろそろ成長しきったころだろうし、錦戸担として以外の自我も芽生えて運命にあてがわれたままの「担当」という存在に疑念を抱くようになり、そうして新しいなにかの刺激を受けて別の価値観に目覚めるんじゃないか、そういう頃合いなんじゃないか、みたいなことを、やっぱりちょっと考えるんですよ。
2019年、いろいろありますし、内外問わず楽しそうなことひやっとすることいろいろあるんですよだからやっぱりいろいろと影響してくる……と思うじゃないですか、わかってないわけじゃないんだけど、なんでか結果として目に見える形で影響が自分に及ばず、ただひたすら2019年も錦戸亮ちゃんのかっこよさにぶん殴られて続けている日々です。防戦一方。ぼこぼこにされ尽くされたところで、心臓を握りつぶされる日も近い。
でもね〜〜〜〜、正直に告白するとわたしは髭がないほうが好きだし、前髪も揃えて重めに作ってもらうほうが好き、身体は厚みがないほうがよくて肌は日に焼けずにいてくれるほうが好きです、好きなんですけど、好きなはずなんだけどな……?
好きになったころは青年だった、彼の加齢と共にわたしも年を重ねていてそのあいだに、いつのまにか「好み」というものさえ、彼に作り替えられてしまったんじゃないかとおもうよ。疑っています、非常に困惑しています。これじゃあ、好きになる一方じゃないですか、理不尽が過ぎる。
 
 
顔を見るだけで、あ~~~~~~~~!!!! と思うし、しんどいし、しあわせだし、一生見ていたいと思うし、静止画じゃなくて動いたりなんかした日にはもう一挙手一投足すべてに釘付けにさせられて、苦しい、恋じゃないならなんなんだっていうくらいに恋、これがきっと恋、恋じゃないならそういう病気。
恋の力によって成せる贔屓目で話すんですけど、今年の関ジャニ∞15周年のツアー「十五祭」の錦戸亮ちゃん、めちゃくちゃ踊るんですよ(これは贔屓目じゃなくて事実でした)。踊るところを見て確信しましたこれは恋です。
まあでも、贔屓目だなっておもう、「判断基準が彼、評価対象も彼」というのはなかなか、ほかのメンバーはたぶんもっと常から動いていてそういうパフォーマンスをしてきていて、それはまあそれで、こっちはこっちのそれで……なんだろうなというのは、なんとなく察しました。判断基準も評価対象も彼以外にいないので、まあ、いいんじゃないかと個人的には思っているけれど。
どんなに汗だくでもバテバテでも毎公演きっちり踊ってくれるのはうれしい、ときめく、惚れる!惚れてる!、大好き。あちらとこちらと大きく動くわけじゃなくてましてやそれが似合うような人でもない、ちょっと気だるげにさえ見える必要な動きを綺麗に必要なだけ――とはいえときどきそれ以外の動きも彼が思うままにしてみたりする、のがとてもよく似合う人、なんだけど、それのなにが今までと違うのかと問われればよくわからなくていままでもそうだったのかもしれない、今年のはただセトリの関係なのかもしれない、だとすれば、こちらの心持ちのせいかな、とにかくなんでか彼が動くさまを見ているだけで胸がいっぱいになる。なんだっていい、と思った、彼がステージ上でああして存在してくれているのなら。言葉に意味をもたらすのは身体なんだろうなと思った。
 
今年これだけ彼のこと、いまだかつてないかっこよさ!みたいにして騒ぎながら、そうはいってもどうせ去年だって変わらずかっこよかったはずだろうと考えています。去年の錦戸亮のことを軽んじているのでは? と自分を疑いたくなる気持ちもあるけれど、年々ブラッシュアップされているかっこよさと、わたしの価値観の変容がおなじスピードなんでしょう。去年の錦戸亮ちゃんは、やさしさとして言葉を尽くしてなにかを伝えるような、そんな「言葉にするかっこよさ」があった、今年はそれをすべて身体で体現しているような気がする。どんな言葉よりも、どんなに言葉を尽くしても、身体がもつ熱量にはかなわないのかもしれない、とおもうほど、だった。個人的に、ここ数年わたしがアイドルに対してそう思う頻度が増えてきていて、これは自分の身体のしょうもなさに起因しているのかなとも思っていたりする(運動全般が苦手です)。
言葉の真意だってしょうじきわからない、なにが嘘で、虚勢なのかも。そのときの「本当」がいつしか「本当」じゃなくなるかもしれない、他人の気持ちなんて実際にはわからなくて、「永遠」だって存在しない、それでも、ステージの上にはたまらないほど惹かれる身体が存在していて、同じ時間を共有している。そのことがなんでか分からないほどすごくうれしいな、と思うツアーだった。東京公演を残して。
 
 
「ひとつのうた」が大好きだった。2009年のコンサートが初めてだったので、すごく思い出に残っている。わたしも思いがけず遠くまで来たのかもしれないな、と思った。中学生だった自分が成人して社会人になって、それでも関ジャニ∞を好きで、あのころ右も左もわからないまま歌った「ひとつのうた」、なんにも考えなくても歌えるようになっていたことを実感して、胸がぎゅっとなった。わたしの青春は関ジャニ∞とともにありました、なんて、明るく言うほどの青春を過ごしてきたわけじゃない(学生時代はどちらかというと現実逃避の意味でのめりこんでいたようにも思う)ので、あまり自覚してこなかったけれど、思い返してみれば、本当にそうだった。いろんな友達と知り合って、遊んで、たしかにあれは青春だったなあ、といまになってわかる。そういう意味ではやっぱりいまもそうかもしれないね。
最初に、錦戸亮ちゃんを好きでいることを選んだ事実も忘れているような気がしている、みたいなことを言ったけれど、本当はわかっていて、好き、から派生すること、たとえば買うとか見るとか行くとか、そういうのを全部自分で選び続けてきたから(どんどん好きになっていって)、いまも好きでいるんだろうな、って。ばかみたいにずっと大好きだったんだろうな、そうだろうな、そうなんだろうな、やっぱりもうよくわからないかもしれない、どうしてこんなに好きなんだろうね。えへへ。いまが一番好きかもしれない、最強の実家。ときめき実家。実家のように落ち着く対錦戸亮ちゃんでしか発生しないこのドキドキ、この裏腹さ、想像してわかってほしい。
 
「実家」と表現するのが正しいのかわからないけれど、わたしは「実家」を愛していて、まあでも両親にとっては「建てた家」であって「実家」じゃないんですよ、でもわたしはあの家以外に帰るところ帰りたいところはなくて、それでもいつかぽろっと手放すことになる可能性がないわけじゃない、から、あの家が長いこと存続しますようにと祈るくらいしかできない。あの家が地元にあるから、どこへでも行ける。
錦戸亮ちゃんが好き、という感情を前提にして存在するような、出会えたような「好き」が私にはたくさんある。それは彼じゃ足りないということじゃなくて、彼をすきでいるうちに自分の感受性を信じて健やかにいろんな物事に触れられるようになった、ということなのかなとおもう。それがどれだけ細やかでも「好き」という感情がもたらすよろこびを、錦戸亮ちゃんを好きでいるあいだに知っていったのかもしれない、いやまあ、わたしの場合ぜったいにそう。錦戸亮ちゃんのこと好きだ、っておもうたび、自分の選んだ人生やそんな感じの選択のいろいろを褒めたくなる。わたしはわたしの好きなものを良く知っているね。
好きなものをそれぞれ信じて、好きだ~~~~と思いながら生きていきたい、そうして辿りつく最終地点が錦戸亮じゃなくても。かっこいい別れじゃなくても。わたしの「運命」はいつ違うひとを連れて来てくれるんだろう、さっぱりそんな気配がない分、その日が来ること少しだけ楽しみにしている自分もいる。わたしと錦戸亮というアイドルが迎える最後のステージはいつなんだろう、それもまたきっと「運命」なんでしょう、わたしが生まれるときにはすでに決定していたことなんでしょう? 
わたしは、自分の人生における「錦戸亮」という物語のことを愛しているんです。わたしの人生における錦戸亮、ほんとうにかっこいい、未来を約束してくれなくていい、縋って生きるようなこと絶対にしたくない、将来の自分がどうやって生きているのかまったく想像つかないから、けれど、この世に彼が生きているという事実が、わたしにはわたしの、彼には彼の未来があるという事実が、日々のわたしをいくらか支えてくれていて、同じ世に同じようにしてそれぞれ生きているんだもんなと想像して震えることになります。今日わたしがそうやって生きていることは、誰にも将来の自分にも否定することのできない、紛れもない事実だってこと覚えておきたいなとおもう。「恋」でしょう、これ。 恋だとしたら厄介すぎるけど、恋だと言われたらそうかもしれんとしっくりきてしまう。なんか、ほんとうになんなんだろ、見れば見るほどさいきんめちゃくちゃかっこいいよね、顔が。なんなんやろ、ほんまに。
 
 
結局なんでこんなにかっこいいんでしょう、わたしは「恋」のせいにしたけど、なんで、あんなに、いやほんとにわからん、なんで? 
えっ、だれかご存知でしたら教えてください、なんで錦戸亮あんなにかっこいいんですか? そして馬鹿みたいにかわいいのはどうして? 
 
 

ところで、生きてりゃいいことあるって!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ほんまなんやな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 長生きしよ!!!!!!!!!!!!! あと何十年と働いて慎ましく生きていこ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 
 
 

「WORLDISTA」コンサートが本当に楽しかったので

いつまで経っても、あちこちのアカウントでWORLDISTA感想botになってしまう。ほんとうに楽しくってたまらない最高の春をお届けしてくれたNEWSちゃんありがとうね~~~!!

 と、こつこつブログを書いていたらいつのまにか、「トップガン/Love Story」の発売日もずいぶんと過ぎていました。オーラスからも1ヶ月、時差がすごい。ツアー中ずうっと音源化を願い続けていたので、ほんとうに発売されたことがうれしい! うれしい6月。6月は嬉しい月です。ふとした瞬間にこみ上げるうれしいという気持ちをいつまででも噛み締めながら暮らす月です。

 

さて、例にもれず遠征費のはなしからします。広島県在住、実家は大阪。

①博多 ②福井 ③大阪 の三会場それぞれ一公演。

①広島(と言ってもわたしが住むのは広島市ではない)に限定せず、山陽から九州に行く格安チケットで一番利便性が高いのは、「バリ得こだま」だと思っていて(これは上りの新大阪行きでもそう)、多分通常の新幹線よりも3000円くらい安くて、こだまなのでその分時間が倍掛かる。前売りの全席指定、旅券は郵送で受け取り、購入後の変更が不可になっているので遅刻癖のあるひとと忘れ物の多い人は要注意。新大阪行きの場合はもう少し割引になる金額の幅が狭い。でもクーポン券が付いてくるので得した気分になる。おすすめです。期間限定なので、なくなったりする、なくなると心臓に悪い。

②福井(サンドーム福井最寄り鯖江)は往路が在来線。当然のように日帰り土曜公演。はじめて湖西線に乗ったけれど、敦賀-播州赤穂間を同じ新快速の電車が通っているのすごいなと実感した。播州赤穂ってほとんど岡山。北陸方面は勝手に行きにくいイメージがあったけれど、在来線3000円程度3時間弱で着くのなら、博多とか行ってる場合じゃなくねえ? とうきうきしてしまったのでどうぞ来年からもお願いします。鯖江ちょ~いい感じのところだった。復路は鯖江に臨時停車となっていたサンダーバード。JRのなんか数字が書いてあるあの予約システムで予約したところ、早割があったので新大阪だか大阪だかまで5000円かからなかったんじゃないかな。指定席、駅で事前発券。臨時停車と知らずチケットを買っていたので、乗り換えアプリではひとつも該当の列車が見当たらなくて「架空のチケットを買ったのでは?w」と同行者と狼狽えていたところ、駅員さんにも「臨時停車ですね」とお墨付きを頂きほっと胸をなで下ろす一幕がありました。臨時停車最後まで見ずに出た。MCが某かわいい子のせいで長くて内心はよハケてくれの気持ちだった。サンダーバード乗ると2時間くらい。

③実家から大阪城ホールまで500円圏内。(実家まで片道7000円くらいかかるけど)大阪から、環状線、最後尾の車両に乗りましょう。

 

一会場一公演のメリット:日帰り遠征ができる。体力的に無理がない。ごはんを食べる時間がある。土日休みの場合、一日休みが確保できる。

とくに痛感したのが、平日に消耗して週末のコンサートで元気になるのではなく、平日からどうにかコンサートに合わせて体調を整えてゆくのが、結果的にいちばん楽しくコンサートに参加できるということ。ここさいきん体調を崩したまま公演日を迎えることがあってつくづく身に染みた。複数入るよりもなによりそれが大事、で、それがわたしに向いている。社会人三年目で痛感しました。月曜日から健やかに働くためにも、というか、それを損なうことになっては最高だったコンサートの後味が悪くなる。とはいえ、去年の味スタやカウコンのように勢いそのままちょっと無理したいのも本音。なんにせよ、オタクとして暮らしていくには体力をつけることが必要だな、と実感しました。個人的な課題。

 

 

本編のシゲアキさんが最高すぎて好きしかない

いままでだって大好きだったけど、なんだろう、そんなもんじゃなくない?みたいに、一挙手一投足すべてに打ちのめされて、馬鹿みたいに震えて、どこがどう好きとかを考える以前に脳がショートしていくようなツアーだった。「フリが多い」。自分がかっこいいことちゃんと自覚しているからなのかどうなのか、曲中に決まった仕草をすることが多くて、またそれが馬鹿みたいにサマになっているので、憤りにも似たような感情を抱きつつ腰が砕けてばかりだった。いい加減にしてくれ。えーん。アバロンの桜案件です。

以下はほとんどシゲアキさんしか見ていないオタクによる覚書。

 

・WORLDISTA

いやまあ全国民が言及してると思うんですけど、あの、シゲアキさんですよ。右手でアイギアを上げて、左の人差し指で口元に指を立てる仕草。(なんかわからないけれどめちゃくちゃかっこいい顔がモニターに抜かれるのでそれが「still…」の歌詞の部分だってことあとから知りました、あの瞬間は五感のうち視覚以外が機能しなくなっていた)わたしが最初に見たのは、顎に指を添えて頷くような仕草だったんですが、あの、普通に考えてモニターに抜かれるときにポーズをちゃんと決める、っていうそれだけでどれだけ破壊力があると思っているんですかね…そもそも…顔がかっこいいのに(アイギアで目元は見えないとはいえ)、顔がかっこいいのに、よりかっこいい仕草をしてどう……????? あの衣装で歌うのがこの曲だけだったことが惜しい、かなしい、さみしい。去り際に、やたらと重心を残して振り返るばかかっこいい立ち姿があまりにかっこよくて笑ってしまった。ふざけんなよ。一曲目から飛ばし過ぎです。

・DEAD END

・Weeeek

あのさ~~~~~~「Weeeek」で前髪を整えていて、それを双眼鏡で覗いて「わ~~整えてる!」と悶え死んでいたら、モニターにドアップで抜かれたんですよ、あのひと、モニターに映る前に前髪整えてんの、でも前髪重たいから整えたら目元見えなくなるの、ねえ、むりかわいいばかじゃないの~~~~~!!!!!天才。かわいい。思い出しかわいいが溢れてくる。あ~~~~かわいかった、伝わるでしょう。どこの公演だったかはもう忘れてしまいました…。メンバーとわちゃわちゃする顔の綻ぶさまが本当にかわいくて、心があつくなる、「WORLDISTA」のかっこつけっぷりのおかげで余計に心臓が沸騰してしまう。

白色ベースに青色、のツナギがとってもよくお似合いでした。

 ・NEWSKOOL

もう一度「NEWSKOOL」が見られるなんて人生のご褒美かな? スニーカーを磨く振付が好きだったので、めちゃくちゃ見た。いや~~~~好きだな、NEWSKOOL、だいすきです。人文字で「NEWS」つくる発想がかわいくて好きだし、レポとか読んでもだいたいちゃんとふざけてて、ほかのメンバーの手を煩わせている幼稚園児てごちゃんが可愛いの極みでお留守番の楽しみだった。

・U R not alone

シゲアキさんが、大きく腕を広げて歌うときに、指先が(きっと無意識)閉じたり開いたりするところを見るのがとっても好きだった。歌とモーション、ステージを力強く指さしたり、そういうときの動きに力をこめて全身全霊注ぐから、ときどき指先にまで神経が及んでいないの、ダンスとかだとあんまり見られないような感じがして、えへへ、ってなる。全身全霊で歌う彼らのこと、やっぱり好きだなあと噛みしめてしまう。コンサート始まってから何曲目? 序盤だって関係ないね。

インビジブルダンジョン

第一印象からだいすきな曲だった! にゅすちゃんだいすき天才、衣装ありがとう! 正直、初見ではあの「しっぽ」*1 がしっぽ的なそれであることすらよくわからなくて、よくわからないのになんかめちゃくちゃかっこよくて、混乱した。「Brightest」のときみたいなモニターの演出、いちばん左に立つシゲアキさん。双眼鏡で覗くとどうしても目当ての人以外、視界に入らないのがアリーナクラスの会場なので、サビで目を隠すフリをしているのがシゲアキさんだけだっていうこと、しばらく知らなかった。ということは、逆にほかのメンバーのそういうのも全く気が付いていないってことなんだな~~と当然のことにも気が付く、のだけれど、わかっててもシゲアキさんしか見れなくて、ああ~~~~~~!!!!!!という気持ち。満足しています。手を差し出すのとか、しっぽを持つのとか、いちいちサマになっているのが好きを通り越して異様に腹立たしく思えたのか、メモ帳に「しっぽを持つな!!!!←めっちゃすき」と書いてある。情緒が死んだ様子。そういえば、わたしが見たとき、最後、しっぽの毛だかなんだか知らんが、なにかをフッと吹いていて、それを見たときには思わず悪態をついてしまいましたね…。自分がどれだけかっこいいのか、ちゃんと知ってるんですか、ファンはすぐ死にますよ。

・Digital Love

今後の人生で「インビジブルダンジョン」と「Digital Love」のどちらかしか映像見れませんどちらを選びますか、と言われたら、三日三晩悩み続けて四日目の朝に、「Digital Love」を選ぶと思う……。めちゃくちゃ好きだということが言いたい。

フリがかわいいのなんてみんなもう、分かり切っていることだと思うんですけど、まあでも、そうなんですよ、かわいい。ぴょんぴょん跳ねるシゲアキさんを見ていると、心が溶けて「かわいい」の感情のみを認識するだけになるのがわかる…。映像をください。最後、シゲアキさんが抜かれて曲が終わると思うんですけど、あの、投げキスからのダブルピースは訴訟を起こしたら勝てるレベルで罪深い。畳みかけるような攻撃によってHPがゼロだし、一時停止できない現実こわすぎる。ダブルピース見た瞬間の衝撃のせいで、光景が脳裏に焼き付いてしまっている。感想を書きながら、あまりの覚えてなさにわたしはなにを見ていたんだろうと思ってしまう。記憶消されたかな。

・I・ZA・NA・I・ZU・KI

なんだこのセトリ。やばやばのやばすぎて、もう特別言及する必要がないのでは、としか思えないけれど、センステ側から、増田手越小山、一番奥にシゲアキさん、の順で立っていたとき、歌わないひとにはライトも当たらずぼんやりとシルエットだけが浮かぶ花道で、シゲアキさんがゆっくりと顔を上下に動かしてただ立っていて、ほとんど輪郭しか見えないのにあまりに美しくて慄いた。よく覚えている。

ちょうど横一列になって踊るとき、上手にいたのでてごちゃんしか見えなくて、まじ~~となっていたときに、おもむろにダンスの流れでてごちゃんがこちら側を向いて可愛い笑顔でピースをしてくれたものだから息が止まってしまった。あれはずるい。

っていうか水よ。水。水な~~~~~~天才。あんなの初めて見た。ほんとうにずぶずぶで、しかも、しっぽまで。それを、イザナイでやるんだから、さあ、と途方に暮れてしまう。だいすきな曲、それも何年も前に完成している曲が、どんどん更新されていってしまう。たまらない幸福だ、とわたしは思うよ。

・勿忘草

あっ、「わ」だからなの、としばらくしてから知った。

・Symphony of Dissonance

めちゃくちゃ好きなのだけれど、好き以外のことが言えないので黙りたい。照明がめちゃくちゃよかったことはよく覚えているけれど、あとのことは記憶を抹消されてしまいました。毎回、「こんな衣装だったっけ?」と思っても答え合わせができずに終わる。

・Going that way

衣装が最高、あのね、服を着ている小山さんが好きです。めっちゃ着てたな。来年も着ていてほしい。ソロのあと羽織るのも好きなんだけどだいたいシゲアキさん出てきたらシゲアキさんしか見ないので、急に羽織ってきたみたいに見えて衝撃、腰が砕けて死んでしまう。

・さくらガール

クイズゾーン

 からのさくらガールはずるすぎる、春。全然もうイントロで死ななくてもいいのに死んでしまう。大人になってから記憶力が死んだので、「あれ、ここシゲアキさんのパートになったんだっけ?」と何回でも新鮮に感動するようになった。大人は楽しい。

・恋を知らない君へ

手首を掴むシゲアキさんもっちりしていてかわいい。

・リボン

1番のパート以降全然歌わないので、寝てる? 寝た? と座ったままのシゲアキさんのこと飽きもせず双眼鏡で覗いていた。座っている階段が下がってなくなる直前までしゃがみ込んでいるので、双眼鏡覗きながらけたけた笑いそうになる。愛おしいの結晶がマイクを持ってステージに立っている姿さいこう。

・サンタのいないクリスマス

永遠にドリンク回し飲みしてろ~~~~。どこかの公演で、シゲアキさんが完全に手を振るついでに「伸び」をしていたことがあって笑った。寝てたやろ~~~!!?? と、また言われもない疑いをファンにかけられてしまう加藤シゲアキさん。靴下がめちゃくちゃピンクな加藤シゲアキさん。

Dolls

手越祐也」のソロ曲として満点すぎませんか? と万歳三唱してしまいたくなる最高さ、なのに、それをやっているのが「手越祐也」だと思うと、いそいそと塗ったり落としたりしている様子を見て内心めちゃくちゃ応援してしまう。参観。

・世界

博多:わたし 演出について希望を言及してたっけ? もうさあ もう絶対にギター それもアコギ持つしかないやん、持ってくれ、これでアコギ弾き語りじゃなかった日にはどうしていいのか…… というような感じで今日の日を迎えたわけなんだけど、センステですよ って教えてもらって 暗転したなか 階段上がってくる人の姿が見えて 双眼鏡覗いたとき ギターのネック掴んでるの見えて、死ぬかと思ったし死んだと思った 生きた心地がしなかった。頭がギターだって認識したころにはもうすでにしゃがんでて、同行者に「さよなら」って言われてて(笑)、あ〜〜〜〜〜〜弾くんやな、弾くんか~アコギを!!! と脳と身体がすべてを察知したあとのことはもうあんまり覚えてません。モニターの文字、よかった、し、たぶんちょっとゆっくりだった? 音源で聴くよりもっと 自分自身に言い聞かせるような、まさに「問いながら歌う」世界だった…………

福井:音源をついつい聴いてしまっているんだけれど、あの感じが薄れていきそうで、やだやだ〜〜と思う。のに、聴かずにはいられなくてついつい聴いてしまっている。ギターを弾いて、さらに歌うから、なんとなくこう、だからこそゆっくりなんだろうけれど、巧拙のこと、(わたしはさっぱり詳しくないし)なんだろうもうなんだっていいんだろうとおもう。なんだってきっと褒めてしまう気がする。だって、演出に迷った、と雑誌で話していて、迷って迷った結果ああ歌うことを選んだんだ、と思ったら、もうありがとううれしいだいすき、 しか言えませんでした。ルリビタキ と口にする瞬間のギター アコギ 水をモニターにして浮かび上がった飛ぶルリビタキ たまらんくらいよかったな ああいうところしっかり抑えてくるのなんなんですかね。右利きだった よね?

弾き語り自体に特別な思いを寄せているわけではなく(どうなんだろうアコギの音はだいすきだとはおもう)、もうほんとうによくわからないんだけれど、シゲアキさんがアコギを弾き語る、ということがわたしの長年の夢だったような気さえしてくる。よくわからない、そうだったっけ、ずいぶん邪な気持ちがあったとおもうけど。あ〜〜〜〜〜〜思い出すだけで胸がいっぱいになるね、好きでいてよかった、それにしてもなんだかこの文章はうわずっていてどうしようもないね。あとでどっかで清書するためのメモ として許してほしい。

大阪:福岡で聞いたときは、なんかもう刺激が強すぎてなにも考えられなかったけど、今日だってなにか考えられたかと言われるとそうでもなかった。「世界」情報量がおおすぎる 考えたいことが次から次へと溢れるようで 溢れていきすぎて なにを考えようとしていたんだっけ? と脳みそから流れ出してしまってる かっこいい とか そういうのすら覚えてない 「世界」を見たな〜〜 という事実だけしか。

今日だけなのかもしれないけれど 思い返すときよりも 結構おぼつかないような印象を受けて でもそれさえよかったなあとおもう。噛みしめるように歌い 問いかけるように弾き そうして弾き語る速度がシゲアキさんの生きるスピードなのかもしれない 時間を 歌を共有していることの実感を得た。

にしてもあの生地感のトップスとスキニー コンバース めちゃくちゃ良いな。弾き語っているときは 袖が伸びていない(留めてる?)のでわからないけれど 腕を下ろすと トップス自体の長さと同じ長さのところに袖があって、すっごいかわいい、そのあとに着る黒のレースを重ねた衣装もめちゃくちゃかわいかった。「世界」真正面から見たい。シゲアキさんの後ろに降る雨と モニターの歌詞 そうして座って弾き語るシゲアキさん。 真正面から1列にして見たら さいこ〜〜〜〜 だろうな どこに座っていたって最高なんだから。


 いまさらなにかをわざわざ言えるような気もしない、と思ったので、それぞれの公演後にメモしていた文章を載せました。ツアー後に感じたことで言えば、シゲ部でシゲアキさんが、そもそも父親の友人の形見であるギターを使いたくて、と話していたこと。アイドルとして表に出るもののうちには、彼が意図していなくても、彼をつくる要素のひとつとして私的な要素、たとえばアイドルとしてではない彼個人の縁とか、そういうものが多少なりとも関係してくるはずで、でもそれって本当に私的なことだし、ファンが知ることができる部分も少なくて、話すのも聞くのもむずかしい。なにもかもをすべて教えてくれ、とは思わないけれど、でも、そういう彼にとって特別大切な、私的な縁を、ファンにも教えてくれることが、たまらなくうれしい、とおもった。「世界」という曲、歌詞、それぞれもそうだけれど、ひいては彼のアイドルとしての佇まいのはなしになるのだろうけれど、ファンとしてとても信頼されているな、と感じるし、わたしも彼のことをたまらなく信頼しているんだなあ、と、惚けてしまう。信頼、これから先も一緒に。わたしのこれからの人生、「世界」という歌が共にあることがうれしい。でも、もう二度と(じゃないことを祈るけど)、「世界」を歌うシゲアキさんを見られないのかと思うとつらい……。毎月11日を「世界」の日に制定して、シゲアキさんに弾き語りしてもらおう…なんか…なんかで…頼みます……。

・Strawberry

は~~~~~「世界」から繋がるこのセトリなに、すっごい好き。シゲアキさんのトップスがめちゃくちゃ好みだったんだけど、あれ、本人セレクトらしくて、ねえもう好きって何億回言わせれば住むんですか? と胸倉掴みたい。なにが「ジョイフル」だこのやろ~~~~~だいすき!!!!!!!

・「生きろ」

シゲアキさんが白いトップスを着ているこの三曲大好きすぎてどうしよう。エイトで言う「キングオブ男」イントロ始まる直前に立ち位置で察する曲「生きろ」、何万回聴いてもはじめて聴いたときのように胸に響く、し、でも初めて聴いたあのころよりもずうっと身体に馴染んでいて、心地が良い。階段のところのモニターに「生きろ」と表示されるのよかったなあ。腹チラのチャンス、めちゃくちゃ身構えてしまってごめんね…おなかがちらっと見れると分かってから、見たいとか見たくないとかじゃなくて、見てしまう…。

・CASINO DRIVE

あの黒いレースの衣装、まさかレースだと思わなかったので近くで見て驚いたな~~、逆に双眼鏡で一挙手一投足を追うと記憶に一切残らない(だってもうどれだけ前…)、残るのは満足感のみ、という感じなので、あんまり覚えてない。「おれの胸で眠ればいい」のところをめちゃくちゃに褒め倒したのは覚えている…。社会人になってから、特に、内容をつぶさに覚えて一分一秒を損せずかたちに残せるように満喫しよう、という姿勢を保つ体力を失ってしまい、内容とか覚えていなくていいからとにかく楽しかったと思えるように楽しもう、という姿勢が生まれました。大好きな人が踊る様子をずうっと眺めて、めちゃくちゃ満足したことだけを覚えている。

 ・EMMA

ロッコだったことは覚えてる、この辺でわたしの記憶力が一旦死ぬ時間なんだな、というのがわかります。トロッコのときは双眼鏡はおやすみなので、爆釣のシゲアキさんを遠目に、シゲアキさん出演ドラマのタイアップ曲がセトリにいくつ入っているのか数えていたころだと思います。

・BE FUNKY!

数えていました。だいすき。

四銃士

レースがリフターの持ち手、取っ手? 身体を支えるところ、にひっかかってもぞもぞしていたシゲアキさんがかわいかったです。ほんとうにかわいかったか、と言われるとよくわからない、一挙手一投足に打ちのめされてしまう場であるので、もう思考が「かわいい」に行きつくように回路を組み替えられてしまっているのだと思う。「かわいい」を「かっこいい」に読み換えてもらっても文章の内容にひとつも支障はありません。

・MR.WHITE

人生でもう一度「MR.WHITE」聞けるとは思わなかったのですっごいうれしかったな~~~~~~!!!! 「W」、「White」のこと掠めてくれてよかった。トロッコ降りてメインステに駆けていくシゲアキさんを見ました。かわいかったです、あるいはかっこよかったです。

トップガン

毎公演小山さんの「新曲です!」という煽りに「え~~!!新曲!!!!やった~~~~~!!!」とわくわくしていた、トップガン、コンサートでしか結局聞かなかったのに、一瞬で大好きになったなあ。文字を書くフリ、シゲアキさんが衣装にひっかかって、腕がなかなか前に出せない回があって、どうしてそんなに、ってぐらい同行者と沸いたのを思い出します。たのしいかっこいいさいこう!たのしい!が詰まった新曲だった~~~発売してくれてありがと~~~~~~。わたしのおうちで、パイナップルを掲げるシゲアキさんの写真が飾られています。

・FIGHTERS.COM

ポンパにしてくれって言ったじゃないか~~~~~!!!!!! なんで!!!!!?????なんでポンパ見せてくれないんですか!!!!!?????????ポンパのシゲアキさん見たかった、見たかった、見たかったな~~~ 祈りながらドラゴンの登場を待つオタクの気持ちにもなってくれ…………。ポンパのシゲアキさんが見たい。いまからでもいいからポンパにしてお披露目会しよう…。濡らして上げた前髪が落ちてきて、それを整えるシゲアキさんを見るたび「かっ、っっこいい…!!!」と思う反面、「だからポンパにしたほうがいいよ、って言ったじゃないか……」と打ちひしがれてました。どうしてこんなに見たいのかはわからないので、とりあえず見てから考えさせてください。

いや~~~~ センステとメインステのあいだあたりの席で、背中越しにみてばっかりだったので、正面からの映像が見たいな~~、ポンパも見たいし、正面の映像も見たい。ラストで助走つけて蹴り上げるシゲアキさんに度肝を抜かれた。後半戦も後半戦、終盤に、あんな風に魅せてくれるんだからもういっそ殺してくれの気持ち。ポンパも見せてほしい。

・Wonder

生きてりゃもう一度、しかもばちばちの格好をした「Wonder」が見られるんだから生きててよかった〜〜!!!しかない。一生これからさきも「W」のツアーやっててほしいとばかみたいなことを思いさえした「Wonder」、それほど嬉しかったんだなあと他人事のようにおもう。ほんとうに大好きだし、ほんとうにうれしかった、ほんとうに……ほんとうにうれしかった、しか言わないおばけになりそう。

・SPIRIT

WORLD QUEST

・ONE ~for the win~

・BLUE

やった~~~~~サッカー曲たたみかけコーナー!! をあのガラの悪い衣装で披露するのさいこうだったな~~~!!!! どの曲もそれぞれ良くて、一番が選べないので、どんどん好きな曲が増えていく……。大阪かな、シゲアキさんが「BLUE」の最後でひとつ「ニッポン」と多く歌ってしまって、それを手越さんに目線で指摘されていたのがほんとうにかわいかった……、人生のご褒美。

 ・Love Story

コンサートで初めてちゃんと聞く(初めて聞きました)曲、躍らせて歌わせるなぞのスパルタ初見で頑張りましょうゲームなんなんですか……という感想を抱かせもしない、ファンのパートの音程の高さ、びっくりしたけど改善の結果の改善、信頼があるからまあ…みたいな、このあたりになるとNEWSちゃんの一挙手一投足すべて、モニターに映る顔のすべてが愛おしくなる気持ちの最高潮なので、まあ平たく言うと特に覚えていません。「バワリー投げキッス」の語感がすきです。

 

 

楽しかったなあということしか言えない

まとめ:後半戦ポンパにしてくれるって言ったじゃないか~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!! 言うてないか、てごちゃんのポンパ褒めてる場合じゃないよ、よろしくおねがいします。

 

去年までが楽しくなかったわけじゃない、わけじゃないんだけど、「WORLDISTA」ツアー個人的にばかみたいに楽しくて、ほんとうに最初から最後まで、公演中もだけど、ツアー期間中ずうっと、そうして、今でさえ、ずっと楽しくて楽しくてたまらないツアーだった。逆にどうして? なにが違うんだろう? なにか違う? と首を捻りたくなるような。わたしの問題なのかな。「トップガン/Love Story」数字もそうなんだけど、うれしくて普通に複数枚買ってた、うれしいという気持ちでお金を使えることがうれしくて、うれしさの連鎖。夏の音楽番組たちも期待しています。期待、期待しているんだなあ、と実感するたび、たまらない気持ちになったりするけど、シゲアキさんがマグロを釣ってくれない限り、わたしは彼らに対して「マグロを釣ってくれ」以上の望みを持つことができないので、①マグロ ②ポンパ どちらもちょっと早急によろしくお願いします。わがままなオタクだね。

 

 

 

 

 

 

 

*1:じゃなくて、髪の毛らしいんだけど、でもツアー中ずうっと「しっぽ」と呼んでいたのでそうやってしばらく呼ばせてほしい

冬から春までのいろいろ/「EPCOTIA ‐ENCORE‐」とかジュカインとか

お元気ですか、こちらは引くほどお金がない。なぜなら使うからですね。薄給のくせに気が付いたらカード切ってるんだもん、人に言われるまでもなく根本的にカードを持つべき人間じゃない、って知っている、けど、持つ。だって買いたいものは買いたいし。買うために働いてるんだし。コンサートに行くために働いているんだし。ねえ。

そんなこんなで冬が過ぎて春です。さむいよね。冬から春までの近況報告。

 

 

▼ 「EPCOTIA ‐ENCORE‐」

夢にまで見た京セラドーム大阪に立つにゅすちゃんを見られたこと、絶対に忘れたくないな、とおもう。彼らが京セラでコンサートをしたのだ、という事実がいまでもわたしをたまらなく幸福にさせる。好きでいてよかった、本当に幸せな公演だった。本当になにより嬉しかった、最高の一夜、最高の一年の締めくくり、最高の年の始まり、最高の彼ら。彼らがこちらに向けてくれるものは寸分違わず「愛」だとこちらもいい加減覚悟を決めなきゃならないのかもしれないね。にしても、やっぱりNEWSちゃんにはドームが似合うね!!!!!!!!

年末年始のことなのでさすがに記憶もあやふやだけれど、発売当時から「Cascade」が大好きだったのでセトリに入っていて心が躍ったし、「LVE」もばちばちかっこいい演出でたまらなかった、「カカオ」見られたことも本当に嬉しかったしザ少年倶楽部プレミアムでの演出を超える花道をハイヒールで闊歩する加藤シゲアキを見られたこと万歳三唱したくなるほどだった、久しぶりの冬のコンサートなのに冬曲やらずに夏曲やる神経はまったくわかりませんが楽しいからまあいいや、わたしに最新版「SNOW EXPRESS」を寄越してください、という気持ち。しょうじき、この公演たちは内容を細かく覚えておくんじゃなくて、自分が楽しかった本当に嬉しくて嬉しくてたまらなかったということだけを覚えておこうと思っていたので、じつは「楽しかった」以外になんにも言うことがない。アリーナ公演よりモニターに表示される歌詞の量が増えていて、ドーム規模ということへの配慮だと思うんだけれど、そのどれもが最高におしゃれでたまらなかったのでモニターだけの映像が欲しい。現場用メモを確認したらフォントのことしか書いてなかった。ROTでテロップをシゲアキさんに確認してもらっている様子が映っていたけれどめちゃくちゃ拝み倒しました。思っていたより性癖案件だった。

京セラドームだよ、京セラドーム。夢だった、本当に何年振り? 2010年(秋)ぶりだよ…。わたしが最初にNEWSを見たのも京セラドームだった。最高に幸せだったな。2018年最高だったかと問われて迷いなく頷けるくらいには最高だった、わたしの知らないところでどんなことが判断が下されて単独カウコンが決まったのかはやっぱり知る由もないけれど、だからなんだっていうんだ、京セラドームだぞ、京セラドームだよ、本当にうれしかったな~~~~!!!!

「生きろ」のMV伏線回収みたいな照明の演出めちゃくちゃよかったよね。「LVE」もやろうとしていることがたまらなくよかった、顔にかかる文字、という性癖由来の需要をご存じなのでは? 「時空の歪み」ソロのそういう発想がまじさあ、いや「カカオ」ありがとうございます……言わなくても分かっているだろうけれど、このブログでは「カカオ」をめちゃくちゃに支持しています、だって「カカオ」が生で見られるとは思わなかった、2018年にNEWSが単独カウコンをやって加藤さんが「カカオ」歌うよ、って加藤さんをすきになったころの私に教えてやりたい。いつだって「チャンカパーナ」を最新かっこいいNEWS仕様で披露してくれるの実はとっても感謝してるよ…。思い出すだけで、あのときめきが全部蘇ってくるね……。四方向に挨拶に走り回るNEWSちゃんのこと、上から摘まんで持って帰りたかった。我慢したので映像をください。

 

▼買い物

あのね、いまにはじまったことではないけれど、物欲がすごいんすよ。研修のたびに受けている会社の性格診断で、毎回「物欲」の数値だけが高い。「ものを減らしたくない」とも出る。いやもう、それはね、知ってます。じゃなきゃこんな人間になってないでしょう。知ってるんだよ。貯金に価値を見いだせていないことにも気が付いている。

わたしがさいきんついつい買ってしまうもの

・マスキングテープ(とくにさかなモチーフ)

・キキララちゃんのグッズ

suicaのペンギンのグッズ

ムーミンのグッズ

ひとつひとつの金額はたいした金額じゃないけれど、積もり積もってだいぶそのへんの出費で浪費しているんだろうなと想像つく。お金がない、と言うと、そういうの買うの辞めたらいいやん、などと言われ、ぜんっぜん分かってないなと腹を立てたりする。これらを買うのを諦めた貯めたお金でなにをするんですか? わたしはいまこれが欲しいんですが…。わたしがこの小さいときめきを我慢するより、会社がわたしにもう少し給与払ってくれるほうがよっぽどいいと思うんですが…。これらを我慢して得る数千円が将来これらを手にしたときのわたしのときめきよりも良い仕事をするとは思えないんですが…。とはいえ、もう少し出費を減らしたいので欲しいものが減りますように。

細やかだけれどさいきんはガチャガチャを控えています。偉い。欲しいものを買うのがいちばんよいと思います。

 

 

 

ジュカイン

f:id:yukker:20190414200513p:plain

ジュカイン

www.pokemon.co.jp

 11月末にメタモンお迎えしたらめちゃくちゃかわいくてびっくりするくらい虜にされてしまって、たまらず年末にはもうひとりお迎えして、EPCOTIAの異星人たちと並べてめちゃくちゃに可愛がってたんだけど、2月くらいにポケモンセンター行ったら、ジュカインがいて…。

ジュカインがいてね…。

手のひらサイズのぬいぐるみは初代のポケモンたちだけで、いやさすがにそれだけでもめちゃくちゃかわいくてね、棚に初代151匹の小さくてふにふにしたのがずらっと並んでいる最高さ分かります?、でも、正直こっちはジュカインのぬいぐるみが欲しくて欲しくてたまらなかったわけですよ、ルビサファリメイク時にどうにか発売されないかと祈っていたのに結局お箸すら出なかったし(フィギュアは出ためっちゃ飾ってる)、「いいな~~~~ァ」と唇噛んで見てるうちにメタモン欲しくなって買ったら骨抜きにされてしまった。狂ったように写真撮った。ぬいぐるみはやばい。

メタモンを撫でまわしながら、いつか、受注生産でも全然いいからジュカインのぬいぐるみをこうやって心ゆくまで撫でられたらな~~~~、と思ってたら、出てたんですよ。2月、メタモンいたらもうひとり増やそうかな…と思ってポケモンセンターに行ったら、なんかものすごく見覚えのある緑色のぬいぐるみがあって、あれ、これなんだっけ、わたし知ってるな、これ…、まえ来たときはおらんかった…、まさかと思うけど…いやこれメガじゃない……、と引き寄せられるようにして、手に取ってタグを確認したら「ジュカイン」って書いてあるんですよ。にわかには信じられなかった、だってジュカインって、ジュカインて。えへへ。かっこいいね。

f:id:yukker:20190414210156p:plain

袋から顔を覗かせるジュカイン

もちろん買わないなんて選択肢があるわけもなく、震えながらジュカインを抱き締めて無意味に店内うろうろしていたけれど、勇気を出して会計を済ませた。会計してくれたお姉さんに「まさかジュカインのぬいぐるみが出てるなんて…」と言ったそばから泣きそうだったけどカードは一括です。カード持っててよかった。突然のぬいぐるみにも対応できる。「ジュカイン好きなんです」と言うとだいたいのひとは「イケメンですもんね」と答えてくれる、そうなんですよお、えへへ。

生きてりゃジュカインのぬいぐるみが、しかもなんか手が動く、ちょうかっこいい、ぬいぐるみを撫でられるんだから、最高としか言いようがない。あのときのわたし間違いなく世界でいちばん幸せをかみしめているオンナだった。ポケモンセンターのあの大きい袋を覗き込んだらジュカインの顔が見えるので、覗き込んではえへへとにやけるやばい成人済みのオンナでもあった。いまも、そのときのことを思い出しながら、おなかにジュカインを挟んでいるわけだけど、なんでもうこんなにほほがゆるゆるしてしまうんだろうね…と自分でも不思議で仕方がない。ぬいぐるみすごい。ありがとう世界、ありがとう大きめのジュカインのぬいぐるみが存在する世界。

 

 

▼「世界」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WORLDISTA (通常盤)

WORLDISTA (通常盤)

 

 知らない方のために補足説明をすると、加藤シゲアキさんのソロ曲のはなしです。「世界」。たまらないくらい、好きだ、と思う。わたしにとっての「密やかな結晶」がつまりどんなものかというと、初めて読んだとき、わたしはこの小説を読むためにいままで読書をしてきたのだ、と思った。この小説がずっと読みたかった、他と比べるでもなく、自分にとって唯一の特別な本だと。わたしにとってそういう本です。つまり「世界」も、この曲を聞くためにいままで彼のファンでいたのかもしれない、とさえ思うほどの曲だったということですね…。好き以外になにを言っていいのかわからないよ。演出のはなし、しないけど、しないけどさあ、躊躇がないね。どんどん素敵になっていくね。

 

 

錦戸亮ちゃんのはなしはまた次回

札幌公演への金銭的ハードル年々高くなっていってませんか? 

ところで、どれだけ言葉を尽くしても、錦戸亮ちゃんが動けば、わたしのもつありったけの言葉も全部霞んでしまうような気がして、なんかもうこわい。いったいいつまでそんなにかっこいいんですか? はやく概念になってわたしの心を乱す実体を捨ててほしいと、ときに無茶なことを思うし、全然そんなことしないで永遠にわたしのようなオタクのこと知らないフリしてただめちゃくちゃにかっこいい仕事していてほしい。

よく食べて、よく眠って、共に健やかに永遠に交わらない世界で生きていこうね。と、頭の沸いたオタクが申しております。

 

 

 

 

 

 

命を懸けて歌うわたしの平成最後のアニバーサリーたち/2018年夏

 

現場台風現場台風の繰り返しで洗車できないまま夏が終わりました。先日更新したこの夏の遠征費まとめ(は以下のリンク)で言及していなかった、わたしのそれぞれの現場への所感まとめです。主に自分のための覚書になります。

 

moyashi1984.hateblo.jp  

目次

 

 

 

基本的に「レポ」という体裁をとることを諦めていますのであしからず。感想文。

関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST」

自担がひげを生やしたまま駆け抜けた思い出のツアーです。そうだっけ?

直近のシングル「応答セヨ」で始まり(ツアー開始時は)未発売の「ここに」で終わる、良いコンサートだった。生きていれば何度でも「torn」を見られるのかもしれない。やばすぎる。横山さんの歌う「ズッコケ男道」は、たまらなく希望でしかなかったよ。はあ、にしたって「NOROSHI」の錦戸亮ちゃん、すばるさんのパート引き継いであんな風に歌うんだからもうどうしようもないね。天才です。

始まれば7人にはもう会えないのだと思って泣いた初日開演前から、さまざまなことを考えているうちにオーラスを迎えて、オーラスかと実感したとき、これが終われば次のツアーは正真正銘「6人」なのかとどうしようもなく泣けてしまった。個人的には驚くほどにすばるさん不在への違和感を抱かなくなっていて、つくづくどれだけ自分が自担しか見ていないのかを思い知らされたりもした。と同時に、それはあまりにも薄情すぎないかと自分がいやになる。でも、きっとそれよりもそれぞれの未来に対する祈りのほうが大きくて、参加した札幌大阪名古屋と順にやすくんが動けるようになってきたのが見られたのも大きかったかもしれない。きっとなんの心配もいらないんだろうな、と思えた、あんな風に全身全霊を掛けて歌う彼らを見て。

ああ、それ、その全力で歌う姿勢が、彼のいるときにも当たり前のようにあったのならなにか違っていたのかなあ、とほんのちょっぴり脳裏を過ぎった疑念は、答えをもらえるものでもなくただのさみしさでしかないんだろうとは知っている。けれどきっと、これからさき、このツアーのように全身全霊を掛けて彼らが歌う限り、彼らの未来は絶対に安泰だろうと感じた。安泰という言葉ほど安泰ではないだろうけれど、揺らいだり揺らがされたりしながら、それでもきっとそのときどきの最善を尽くしてくれる、はず。

彼らが再三繰り返していた「6人の関ジャニ∞を見るのが初めてっていう人もいると思う」と、その初めてのひとたちに懇切丁寧に説明をしていく姿勢にはいつも胸を打たれた。複数公演入っているひとたちには、そういうムードはもう必要ないと感じるひとだっていたと思うけれど、そうはいっても、これは6人で初めてのツアーなのだ、と彼らが毎公演実感していた証なんだろうと思うとたまらなかった。複数入る人間がもうええやろ、と飽きるくらい頼むからずっとずっと初めてのひとに向けて同じように挨拶をしてくれ、頼むから、とずっと祈るような気持だった。せめてこのツアーだけは。

「自分の好きな人を見失わないで」とか「誰とどんな夢を見るかは自由」などという言葉を自担から聞いて、なんだかもうたまらなかったのはこちらの事情なのだけれど、見失わなかったからこそわたしはこの夏をこういう風に過ごしているんだと実感した。TLの外がきゃーきゃーうるさかった週刊誌に載るようなさまざまなこと、あちらは悪意や自己顕示欲でもって最悪のタイミングを狙い発露するのだとは知った上でそれが事実であろうともなかろうとも、わたしが彼を好きでいるのに必要な要素にはひとつも影響を及ぼさなかった。これを「信頼」と呼ぶのかもしれない。事実であろうとなかろうともし仮に少しでも彼自身に非があったとしても、それをファンのわたしが気に病む必要なんてきっとひとつもない。わたしが好きでいた彼の仕事っぷりはひとつも揺らがない。本人がわたしたちに見せてくれるものも、週刊誌が暴露することも、どちらもわたしにとっては100%それ以外の事実や事象はどこにも存在しないと言い切れるような代物ではなくて、だからこそわたしは、わたしが信じたいものを選びます、わたしの感性で。もし彼に悪いところがあったのだとしたらきっとそれは彼自身が自分で反省してくれるだろうし、という信頼があるので、こちらは正々堂々と「どうでもいい」と一笑に付すだけです。

一番最初のてろてろした生地のスーツが最高に好きでした。あと「BJ」のときの横長ぶちぬきのモニター映像。純粋に錦戸亮ちゃんの顔の良さに死にかけていた数々の公演。ほほえみコンビの視線で笑うさまに敏感に殺されるタイプのオタクなので、バンド時に目線があんなに合うということにいろいろな意味で情緒を殺されてしまった。細かいことはツイッターで散々言い散らかしたので、このツアーに対するわたしの所感だけ述べておく。

オーラスでの錦戸亮ちゃんの挨拶、泣きそうだったとかそうじゃなかったとかは本人にしか分からないものだと思うし、つまりはこちらの知る由もないことであるのだけれど、なにかを考えていたことはたしかだろうとおもう、わたしは彼を見ながら、なにかを言葉にしたら泣いてしまうんじゃないかと思っていた。沈黙があんなに濃密であること、日常でそうそう思い知らされるものじゃない。彼が沈黙を沈黙のまま、かえって雄弁なもののままにしておけるような時代であればいいと強く願います。

そういえばあの曲間に叫ぶ異文化はいつになったら滅びるんですか? 

  

「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 "Strawberry"」

味スタ2公演。自名義が落選して絶望していたなか、心優しい方にお声がけいただいてなんとか参戦できたこと、きっと一生忘れないと思う。わたしのなかでは特に、馬鹿みたいに愛着を持ちながらそれでも馬鹿みたいに手放せなかった2011年の「脱退」が、なんでかこのタイミングでぜんぶ「あーーーもうぜんぶいいや!!!!!充分報われた!!!!!!」と思えた魔法のようなコンサートだった。きっともうNEWSのコンサートでもさみしくならない気がする。一生哀しいままかもしれない、と覚悟を決めていたにしては、あまりにあっけなさすぎるけれど、それでもいいと思えるくらい充分報われたという気持ちのほうが大きかった。時間に解決させてたまるか、と夜な夜な泣いていたあのころのわたしに、屈託なく自慢してやりたい、あのころには到底想像もできなかったような未来を彼らはこれからも手に入れ続けていくんだと。そうして、そこには、変わらずにあのころの歌がある。

4人以前の曲と4人での曲とをごちゃまぜにして組まれたセットリスト。一番良い夕暮れの時間に、4人でドームに立ったときに思いついたというそれぞれのツアーでのメンバーカラーの衣装を身に纏って歌われた「share」と「エンドレスサマー」。「特別」と思えることをたしかに共有してきたんだと実感した。15周年の記念の場で「脱退」という言葉は一度も聞かなかったけれど、それがすべてだろうと思った。充分だった。ただただ、とにかく楽しかった。本当に楽しいと満足する気持ちだけが自分のなかにあって、たまらなく幸福だったと、なんどだって噛み締めている。あのころめちゃくちゃ憎んでいた「フルスイング」を目の前でシゲアキさんが初めて見るくらいに全力で歌っていて、なにもかもがどうでもよくなった。好きだという感情以外もうどこにも残っていなかった。

隅から隅まで楽しいしかなくて、そりゃまあ6月くらいはいろいろ思ったけれど蓋を開けてみれば最高に楽しい夏のコンサートとドラマと主題歌が用意されていて、それがまあ、ほら、びっくりするくらい夢中になるほど楽しいコンテンツだったんだから、この「好き」を信頼する以外に手段がなかったわけです。「信頼」については上の項目でもすでに書いた通りなのでそちらを参照してください。

初日の開演前、洋服がびちゃびちゃに濡れて乾かなくなるほどに汗をかいて並んだグッズ列を経て(Tシャツは買えなかった)、開演前にスタバで開いたパンフレットに「あなたにとってNEWSとは?」という問いが載っており、それに対してシゲアキさんが「終わらない青春」とが答えていて、同行者と読んで絶句した。「永遠なんてない」という言葉が脳裏から離れない夏だったせいだと思う。そのあとの味スタ公演最後の曲、まだ発売されてもない、ラジオではラジオエディションとしてしか流れていなかった『「生きろ」』の二番の歌詞、小山さんが「終わりなき青春」と歌ったときの、あの、言いようのない激情。忘れられない。

「BLUE」で始まり未発売の『「生きろ」』で終わる、これもまた良いコンサートだった。 

 

「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」

「生きていてよかった」とあんなに素直に思えたのは人生で初めてだった。

前日の福岡公演で稲葉さんの声の調子がよくなく公演が中断したのを知っていたので、たまらなく不安な気持ちで博多に向かった。前回入った公演も、12月30日の名古屋公演、声の不調があった翌日だった。何の因果なんだろうとぼんやり考えながら猛暑のヤフオクドーム。開演が30分押した。ぐっと堪えて待つ、ただひたすら待つ30分だった。

B’zのことを話そうとするといつも自分の半生も振り返ってしまう。生まれたときからずっと聴いていたんだろうと思う、父親が運転する車中でずっと流れていた。おかげで昔は聞くとめちゃくちゃ眠くなった。いまもときどき寝れないときに延々と流して寝落ちたりする。ただ両親共にコンサートに足を運ぶタイプではなく(少なくともわたしが記憶している限りでは)、わたしにとってはB’zのコンサートは遠い世界のはなしだった。行きたいとも思ったことがなかった。それがまあ、すくすくとジャニヲタとして育つうちに「行かずに死なれたら後悔するのでは…!?」と思い(失礼な話だけれどだって二人ともわたしの両親より年上だったから)、親を誘って参加したのが2013年。あれから5年。半生のはなしはこの辺にして。

関ジャニ∞が6人になる未来をまったく想定していなかったので、このさきの未来なにがあってもおかしくない、と変に不安に思う思考がぐるぐるとしていて、そうした流れのなかでの30分は一人で過ごすにはあまりにもこわかった。

という冗長な前置きが、ね、全部馬鹿みたいに思えるほど、ただただ「最高」を思い知らされるだけのライブだった、というはなしなんですよ。実際は。幕が開いてみれば、もう全部が杞憂だったんです。4曲目くらいの「裸足の女神」まではたしかに全然声が出ていない箇所があって、そこはまあなかなかつらかったんだけれど、「裸足の女神」でめちゃくちゃ急加速していって、そこから終演までとんでもなかった。喉の不調は未来を憂うものでもなんでもなかった、声がどうであれ、惜しみない歌だったし、その惜しまなさはいままで見てきたものとなにひとつ変わらなかった。ステージの端から端までそれぞれが走り回って、魅せるものの持つ熱量が、変わらず最高だった。喉の調子が本調子でないことを謝りながら、本来ならこちらがみなさんに元気になってもらうライブという場で観客にパワーをもらっていることを改めて実感した、これからさき歌で恩返ししていく、と稲葉さんが話していて、最高な未来を約束されてしまったことに気が付いてどうしていいかわからなかった。変わらない安心感がやっぱりちょっとだけ、欲しかったんだと思う。大好きなものが変わらずそこにあることの大きな喜び。プレジャー。

あのときやあのとき、さまざまな瞬間に自分を支えてくれていた昔の歌が、ああして目の前で披露されるたまらなさをどう伝えていいのかわからないけれど、わたしはステージを観ながら「ああ、生きていて良かった」とただまっすぐそう思った。金銭的な問題や一番と決めているアイドルの現場とすさまじく被り続けていた公演日や転勤の関係、そもそも落選ばかりだったこともあって半分くらい諦めていたのだけれど、それでもどうにか参加できて、本当によかった。協力してくださったみなさまほんとにありがとう。おかげさまで最高な夜を過ごせました。あんなに最高な瞬間がこの世にあっていいのか。

はあ生きていて良かった、生きて稼いでB’zのライブに行けばあんなに最高な時間が過ごせるんだからこの世はすごい。「松本さんも稲葉さんも頼むから長生きしてほしい。頼むから長生きしてください。(24歳会社員女性)」

 

 

関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST in Taipei」

鬼気迫る日本でのそれとは少し違っていて、初めての海外公演を楽しもうという雰囲気で満たされていた公演だった。たのしかった。日本と台湾との違いに敏感になっているネットの気配はありますが、強いて言うのなら、丸山さんの一発ギャグにアンコールが起きたのが一番の違いですかね……。有無を言わさない「もう一回!もう一回!」の愉快なやばさを伝えたい。めちゃくちゃ笑ったので。あとはまあ、いつも通り楽しい関ジャニ∞ですよ。セトリは全然変わってない! 大幅変更とは! みたいなところあったけれど、まあ、関ジャニ∞ですからね。「ここに」が外周回る曲になってて泣いた。ぎゅってしててほしかった…。背中合わせすりすりするくらやすはちょうかわいかったけど、大倉さんとやすくんの身長差ってあんなにあるねんな…といつ見ても新鮮に思う。錦戸亮ちゃんの牛乳のくだりは全編可愛かった。お察しください。村上さんの「謝謝」には台湾中の可愛いが捧げられてた、2日目に村上さんが恒例の「子どもエイター!」「男エイター!」「おんなエイター!」の流れをしていたんだけれど、子どもと男には「謝謝」とお礼を言うのに女に対しては「謝謝」言ってくれなくて観客が「謝謝言って~~!!!!」みたいな感じでそれぞれが声を上げて求めるのに村上さん全然分かってくれなくて「おれにはおれの段取りがある」とかいって次の進行し始めたのは、思い出すと笑える台湾一の思い出です。あの場にいる客の気持ちがひとつだった(はず)。

「ズッコケ男道」で錦戸亮ちゃんが良い顔をして「横山裕~~~!!!!!!」と叫んだあの瞬間を思い出すと、おくちがもごもごしてしまいます。にやにやの間違いですね。あの瞬間に同行者と二人して崩れ落ちたのも台湾一の思い出です。まあどれもべつに「台湾」じゃなくても見られたと思う、ような気もするので、結局はどこだって関ジャニ∞がいさえすれば最高なんですよね。きっと。最高をこれからさき、いろんな場所でいろんな人に見せつけていけたらいいね。いろんな場所に連れて行ってくれ!!!!!!! 頼むよ。もちろんたくさん笑って生きていこう、長生きしてくれ。

 

 

 来年も再来年も笑って悔いなく「生活」と「趣味」をがむしゃらに生きていけるように、いつだって胸を張って好きな人に会いに行けるように、すこしずつ日々を頑張って生きていこうと思います。わたしの好きな人たちが好きでステージに立つことを選んでくれる未来が続きますように。この夏生まれ変わったような気持になりました。心機一転。改めて錦戸亮ちゃんが好きです。*1

宇多田ヒカルの「あなた」でも歌いましょうか?

 

 

 

歌いにじゃないけど、たぶんまた追記しにきます。

 

 

【追記】2018年10月7日

以下、わたしの心の整理がつきましたというだけのおはなし。

もう充分に報われた、と思う。あのときどうしたって哀しいとしか思えなかったのが夢のように、遠い昔のことだったかのように、なんとも充実した夏だった。いろんなことを考えて、それでもいまここにあるものがすべてだ、となんども思った。いまここにあるものがすべて、いま胸が躍るこれが、これだけが答えだろうと思う。わたしはわたしのペースで答えにたどり着いて、あの「脱退」から一歩抜け出せた。やっと。「報われた」って感情自体がそもそもなんなんだという。

情けないくらいにずっと引きずっていたんだ、とわたしは最近やっと思い知った。そのあまりの情けなさに。NEWSを好きでいるうえで2011年の「脱退」の文脈をなくして見ることができていなかった。意地でも手放したくなかった。誰もが忘れていっても自担が歌い踊った曲たちのこと、彼らの形容しがたい空気感さえ、ひとつも忘れたくなかった。いつかあの日々が「若いころの苦労」になったとしても、美化されていく過去にしかならなくなっても、誰にも言及されなくなっても、それが良いことなのか悪いことなのかはさておき。そうしたなかで、すばるさんの脱退が、わたしにとって、あれほどのものではないのかもしれないという実感を得た。こんなにつらいのに、あれほどじゃない、という実感。自担が、わたしの信じる人がはっきりと言及するのかどうかの差。言及する人としない人。

錦戸亮ちゃんがあのとき選んだ未来のさきにあるのが今年であり、あのときNEWSの4人が存続させた「NEWS」というグループのたどり着いた15周年が今年だった。今年以外の2018年はどこにもない。紛れもなく「最善」だった、といまだからこそ言える。言い切れる。言い切ってやる。言えるようなあの日からを彼らはたしかに歩んできた、と、ファンとして認めたい。そういう気持ちにさせてくれたのは4月15日からの関ジャニ∞だったような気さえする。たぶん、ほかのだれでもない錦戸亮ちゃんだった。

ここまできて、ここまできてもなお、それでも自分の脱退について明確に言及しない。時系列、感情、グループとしての在り方、メンバーとの関係性。なにひとつとして、自分のあの選択の正しさを示すように言及したり、くらべたり、しない。「永遠」。あのとき彼が選んだのは「永遠」だったのかもしれない。どうしたってその「永遠」を手に入れてほしかったなあとおもうと無性に悔しいし、すばるさんのことどうしたって、錦戸亮ちゃんのとなりからいなくなったこと、その一点においてのみ絶対に許せないと思う。けど、まあそれはそれで、彼だってあの選択が「最善」だったと思わせるような未来にいつか立つんだろう、といまのわたしなら思える。錦戸亮ちゃんがほかの「永遠」を手に入れられる日が来るのかどうかは、誰にもわからないけれど、それでも。

「時間が解決してくれる」なんて言い回し、大っ嫌いだし、あの日から時間になんか解決させてたまるか、と思っていた。そのうちに、時間はただ時間として漠然と過ぎるわけじゃなくて、そのあいだに、考えていく日々、積み重ねていく年齢や思い出とか新しい景色とかいろんなものをもたらしてくれるのか、と気が付くようになった。でもやっぱりそれは「時間」のおかげじゃない。戻らない時間のなかで表舞台に立ち続け頑張ってきた彼らのおかげに他ならない。時間は癒してくれないけれど、傷失くしては得られなかったような未来はたしかにある。2018年彼らが見せてくれたステージのどれもが素晴らしくて楽しくて覚悟に満ち溢れていて、もうそれだけで充分だ、と何度でも思った。

2018年15周年の味スタのセトリ。4人からの楽曲が鳴ったときの高揚と、相変わらずイントロが鳴った瞬間に息をのんでしまう4人以前の楽曲への言いようのない感情とが、交互に訪れて、笑っちゃうくらいわけがわからなかった。泣いて笑ってのアップダウンの激しさよ。ああでも、でも、あのセトリのおかげでたまらなくただひたすらに好きだな!!!! と気が付けた。楽しかった。楽しかったんだよ。 それに馬鹿みたいだけれど、15周年のあの場で2008年、10年前に自担の書いた歌詞が歌われたこと、すごくうれしかった。「信じてきたモノ」「譲れない部分」ただそれだけのはなし。*2 何度だって自担のあの歌詞に慰められているような気がする。2018年になっても。15年、わたしが見てきた一部だけでもたしかにいろいろあって、でも、もう『「生きろ」』のはなししか出来なくなるような、「夜よ踊れ」のはなししか出来なくなるような、形容しがたいエネルギーをもたらした公演を浴びてしまって、「脱退」と蹴りをつけよう、と決めることができた。それが必然であるかのように、あっさりと。多少の疲れはあったのかもしれない、続いていくグループのなかにいない姿を見てしまって傷つき続ける不毛さに疲れてないといえばうそになる。それならそれでも、もう、よかった。

揺らいできたこの数年間に感じたさまざまなこと、もう今では感じなくなったようなこともたくさんあるけれど、それらを全部経て、それでもファンとして食らいついていたからこそ、この清々しさにたどり着けたのだとちょっとだけ胸を張りたい。NEWSがすきです。いままでNEWSを、4人のNEWSを好きでいる理由の4割くらいを錦戸亮ちゃんがいたことを理由にしていたけれど、これからはぜんぶシゲアキさんがいるから、ってことにします。そろそろ「脱退」とお別れします。事実はなくならないこと、知れたので後悔はないよ。いままでありがとう。

まあ、第一週の金曜日の仕事終わり、18時を過ぎて西の空にほんのり明るいのが見えるくらいでそのほかはすっかり夜になった景色のなかを帰宅しながら、ぼんやり聴いていた全曲シャッフル機能が「秋の空」を流したので、さすがにたまらなくなって、というかそこまで考えるまでもなく「7年」と思い出してただ泣けてきてしまってどうしようもなかったので、そうはいっても、このどうしようもなさはきっと続くんだろうと思う。

「君の未来に幸あれ」と、何度でも歌って祈りたくなるような未来が続くことを、祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:そういえば、台湾でスタンド最前の人や目が合った人に対して、フランクに手を差し伸べたり握手したり感極まる様子をみて「どしたん(◞‸◟)」みたいな顔をしたりする錦戸亮ちゃんを観ながら、これからもああいう気安い立ち振る舞いをしてもらえるような「ファン」でいたいなあとぼんやり思いました。ファンサということではなく。「ファン」という距離感として失望されたくないよなあ…。

*2:このタイミングで聴く15周年メンバー作詞曲「Strawberry」はさすがに笑えるくらいたまらないので、わたしは「Strawberry」を聴いて改めて「最善」だったと言いたくなった。いやまあ「最善」はあれかもしれないけれど、「Strawberry」を「最高」と噛みしめているのは事実

夏の遠征費のまとめ/台湾を含む2018年「GR8EST」たち

 夏だツアーだアニバーサリーだ!! とはしゃいではくたばって、泣いて笑って忙しない日々を駆け抜けているあいだにいつしかすっかりと秋になりましたね。ダイスキな関ジャニ∞、NEWS、そしてさすがに彼らなしではいまのわたしはないだろうと痛感しているほどに敬愛するB'zと、3グループともが現場を持つ、わたしにとってほかにない特別な夏でありました。

感想込みのブログは別に書く予定なので、ここではお金の計算をします。

お金があろうがなかろうが、どんな事情があろうが結局は、公演に入っていたか/いなかったか、でしかないのだろうと思う日々です。入るにしろ入らないにしろ入れないにしろ、自分が選んだ選択こそが自分にとって正しかったと思えるようにオタクとして年月を重ねたいですね。人生なにを優先するかは自分にしか決められないわけですから。というわけで、我慢できなかった欲望さえも全肯定のお時間です。 

 

moyashi1984.hateblo.jp

 ↑去年のツアーの遠征費のまとめです

変わった点

・手取りがざっくり7万くらい減った(やば)

・愛知県から広島県に転勤になりました

・生活がままならなくなったので軽自動車(新車)を購入しました

 

平成が終わるまでにいくらかは貯金をしたいと思っている社会人二年目ポンコツの遠征費まとめです。現地交通費の計上は適当。

関ジャニ∞が3大都市計6公演と台湾2公演、NEWSが2公演、B'z が1公演。すべて県外です。

 

 

◎札幌公演(7/15~7/16)

・チケット代           8,500円

・伊丹⇔新千歳 飛行機代   49,900円

・大阪までの往復交通費    17,400円

・宿泊費          8,100円

・交通費          3,000円

(・駐車場代        2,500円)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

             86,900円

 

▽雑感

いま計算して「えっ!?」と声を上げてしまった。観光シーズン真っ只中の三連休というに北海道地獄のような日程(のおかげで参加できた社会人ですが)、当日入り翌日昼便の最安値で押さえてこの値段。ツアー発表が転勤になる辞令発表前だったため、てっきり大阪近辺には帰れるだろうと勝手に判断して伊丹からの飛行機を取りましたが、まさか広島に配属になるとは思いもしていなかったので(最寄りの駅前で連泊させた駐車場代が2000円くらい掛かっていたことをいま思い出した)、大阪までの交通費がじわじわと効いてきます。伊丹と新大阪の移動はバスでするべきですね。

個人的に当日入りは余裕がなさすぎるので、来年は日程次第では宿泊費を計上したとしても前日入りをするべきかな…と思ったりした。悪天候だったかなんだかで着陸が1時間くらい遅れたので。結局24時間も北海道にいなかった。

 

◎名古屋公演

大人しく働いていました。

 

(◎NEWS 8/10、11)

 

◎大阪公演(8/24~8/26)

・チケット代(3公演)  25,500円

・大阪までの交通費     11,800円

・現地交通費        3000円

(・駐車場代       2,500円)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

             40,300円

▽雑感

大阪には実家があるので最高ですね、しかもドームまで片道500円くらい。予約制で広島新大阪間の安いプランがあることを知り、ひとつ賢くなります。23日の晩から帰ろうと画策していたところ、23日はご存知の通り台風だったため予約していた新幹線の運休が決まり、格安チケットをどぶに捨てる勢いで一本前の終電に乗るも、そもそも新大阪から地元までの電車も運休しているんじゃないかなど、てんやわんやでした(結局普通電車のみ運行していましたので帰れました)。

 

(◎B'z 9/2)

 

◎東京公演

さまざまなひとのレポによって生かされていました。

 

◎福岡公演(9/15.16)

・チケット代(2公演)   17,000円

・博多までの往復交通費   21,140円

・宿泊費          8,000円

・現地交通費        2,000円

・コインロッカー代     1,000円

(・駐車場代        2,500円)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

             49,140円

▽雑感

広島だけれど広島じゃないのはもうすでにお察しかと思いますが、うかうかしていたら博多までの予約制格安プランが売り切れていましたので定価。反省点。駅のコインロッカーでも始発終電という換算ではなく日付が変わると料金加算されがちなので留意されたし。(実際はオーラス終演後帰る予定だったが友人の友人宅に泊めてもらったため、実際とは多少異なりますが、まあそれは計上しなくていいか)

 

◎台湾公演(9/22~24)

・オフィシャルツアー代金   155,390円

・9/22現地手配チケット代   10,548円

・広島名古屋往路       12,960円

・名古屋広島復路       10,270円

・Wi-Fi代(5280円÷2)    2,640円

(・駐車場代         2,800円)  

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

              191,808円

▽雑感

オフィシャルツアーは9/22のセントレア発のコース。台湾の空港は桃園空港。往路9時55分発(集合時間は2時間前)。復路21時着(30分ほど搭乗が遅れた)。現地手配チケットは2800席。どちらも自名義&自力。観光なし。

前日の夜仕事終わりに大阪まで新幹線で移動、同行者の家に泊まって始発の新幹線でセントレアに向かい、復路はセントレア到着後(新大阪より先の終電には間に合わないと申し込み時から分かっていたので)名古屋発の夜行バスで岡山まで出てそこから新幹線を使って最寄りまで戻り、停めてあった車でそのまま出勤しました。

オフィシャルで申し込めるのなら申し込むべきだと思いますが、主要都市以外からの参加のハードルが高いのが難点(と思ったけれど、昼発昼着ならわりと健闘できるのでは?)。あと、1公演しかプランになかったのが残念(今回はプランによっては初日に間に合うものがあったのでよかった)。Wi-Fiは探せばもっと安かったはず。オフィシャル参加で元が取れてるとか損得がどうとか個人手配の場合とかも一切考えなかったので、相場としてどうなのかは不明。なんにせよ台湾は初めてだったので、航空券やホテル、チケット、空港からの移動手段、もろもろ手配してもらえていたのはとても楽だった。ただ出発の2週間前までホテルも往復飛行機の時間も会社も、当日の集合時間もわからないので、そのあたりに不安を抱くひとには不向き。オフィシャルツアーといっても団体行動はほとんどなく、ツアーデスクに都度頒布物やチケットを引き取りに行く、行きと帰りの集合時間を守って集合したら目的地まで移動するだけ、だったのでほかの参加者が気になるようなこともあまりなかったです*1。自由度高くてよかった。オフィシャルだからといって座席が優遇されているわけでもなさそうだった。そのあたりもいつも通りといえばいつも通りだけれど、今回に限っては一般販売が座席エリアごとの販売だったため、良し悪しがあったかもしれない。と将来のわたしのためにメモしておく。

 

 

・札幌1    86,900円

・大阪3    40,300円

・福岡2    49,140円

・台湾2     191,808円

ーーーーーーーーーーーーーー

    合計 368,148円

 

 

◎「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 "Strawberry"」(8/11~8/12)

・チケット代  18,000円

・往復新幹線代 33,160円

・現地交通費    3,000円

・グッズ代     6,000円

・駐車場代(5泊)4,000円

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

        64,160円

▽雑感

お盆の連休をまるまる東京で過ごしたため(宿泊は友人のところに転がり込んだ)、駐車場代がそこそこ嵩んでいますが、往復の新幹線は往復割引で多少安い、多少ね。スマートEXの早割が取れればよかったんだろうけれどだめだった。現地の交通費はもう少し掛かったかもしれない、公演後の味スタからの道のりの長さは異常。

 

◎B'z 福岡公演9/2

・チケット代  10,446円

・往復新幹線  18,000円

・現地交通費   600円

・がちゃがちゃ   500円

(・駐車場代   700円)

ーーーーーーーーーーーーーーー

        29,546円

▽雑感

日帰り。往路のみ格安プラン。復路は売り切れでしたが、結局開演が30分押したので買えていたとしても乗れていたのかは不明。ガチャガチャがコイン引き換えだったので固い意思で1回のみにとどめることができたのでよかった。S席。スタンドだった。ほとんど最後の先行抽選でのチケットぴあ当選分。

 

関ジャニ∞   368,148円

・NEWS      64,160円

・B'z       29,546円

ーーーーーーーーーーーーーーー

    合計    461,854円     

 

 

▽まとめ

今夏おつかれさまでございました。

私の熱量だとアニバーサリーが全部被っても最低限なら50万あれば足りるということですね。円盤買えばちょっとはみ出るけど。

正直台湾は金銭的な問題で発表時よりきっぱり行かない予定にしていたので、家計は火の車どころか自転車操業も良いところで、カードでのありとあらゆる支払いが5回払いになっています。そもそも貯金額がほとんど「ゼロ円」のところからの申し込みだったので…かろうじてB'zのチケットだけが4月末の引き落としでどうにか払い終わっている…というような状況。ネットで購入した新幹線代をすべてあとから分割払いにするほどのカツカツさです、現状。すべての原因は、車の頭金。頭金にしては少ない金額しか払えなかったけれど、あの金額さえあれば5回払いじゃなくて3回払いくらいで済んだような気はする。けれど車なしで駅まで行くことや会社に通うことはほとんど不可能だったのでしょうがない…いや台湾よ……。よく行こうと思ったね申し込み時のわたし、馬鹿だね、めちゃくちゃ感謝します。

関ジャニ∞は初の海外公演、の前に、初めての6人でのツアー。NEWSは15周年。B’zは30周年。なにひとつとして諦められなかった。金銭的な面ではもちろん諦めるべきだろうとは分かっていたけれど、だからって、ひとつでも諦めたら絶対に後悔することはわかっていたので、「最低限」を生活でも公演数でも何度も何度も自分に問うて心がけ、この平成最後の夏を終えました。馬鹿ゆえに生活費を考慮していなかったのであまりに浪費っぷりに打ちひしがれたり(9月初旬に限界を悟ったので社会人になって始めた定額貯金をそうそうに下ろすことに決めました)そもそも給与額の減り方に絶望したり、体力的にままならなくなったり、ものすごい情緒不安定だった自覚はあるけれど、こうして終えてみて思うのは、「どの公演も入れてよかった!!」とただそれだけです。

現金が異様になかったので割り勘時に「頼むからクレカ切らせて…」とお願いしても快く了承してくれたり、台湾の支払いもお金のなさを考慮してくれたり、そもそもこれだけお金がないと公然と絶望しているにも関わらず現場に向かうわたしを止めないでいてくれたりしたさまざまな友人にはものすごく感謝しています。ありがとう。結局は人の縁なんだなと痛感する夏でしたね。

何度も何度も異様にお金がないことを痛感する事案に遭遇しては、その都度自分の金銭感覚を恨んだりしたわけなんですが、あまりのやばさにたまらず母親に電話をしてしまうことがよくあり、そのたびに「お祭り行くために働いてるんやろ」*2 と諭されては「まあ…そうなんですけど……」と納得するばかりでした。

こういう大きな金額の必要となる初めての公演を経て、いろんなことを考えました。それでも行くことを選んでわたしはよかった、と思うし、さまざまな運の良さが重なって社会人として恥ずかしくない状態でいられたことは本当に、あえてはっきり言うけれど、「偶然」だったのだと自戒をもってこれを書いています。お金や時間、自分の体力面などなど。チケットもそう。

「お金を出した人が偉い」「(のもわかるけれどあまりにも暴論では?)」というような文言を台湾公演あたりからよく見かけるようになった。なんなんだろうなとおもう。お金を捻出した人も偉いし、生活のために欲を堪えられる人もめちゃくちゃ偉いよ。ちゃんとみなさん分かっていますか? この世には「生活」や「仕事」と「趣味」のだいたい2つがあって、みんなそれぞれにそれぞれのバランスがあって、どちらにも費やせるお金時間体力の限度があって、そのなかでどうにか生きているわけですから。24時間。定数のあるチケット。「生活」を投げ打ってから「ずるい」と言うならまだしも、ねえ。「生活」も「趣味」もどちらも尊いんだということを考えもせずに、前者だけを「ずるい」と呼ぶのはどうしてもいい加減にしてくれと思ってしまう。大人になって選べるようになったからこそ、どちらもめちゃくちゃ偉いこと、わたしはちゃんと知っていて、ジャニオタをしていたいなあと思う。「行かない」という選択の重みがどれほどなのかを社会人になってから日々痛感しています、感じたことありませんか? 労働のなかにいて改めてその「偉さ」に思いを馳せたりします、週末遠征後の週明けの言いようのない睡魔と戦いながら。そういう意味ではわたしはまだまだ軽すぎる。なにも考えずに行くのが一番欲望的には楽チンだからね。すり減るけど。まあ、お金を出すのもタダじゃないわけですからね。

 

いまのところ、あとは平成が終わる前にへいせいじゃんぷに一度お目にかかりたいぐらいで、それよりほかはおとなしく慎ましく、この夏の思い出を胸に抱いて働くだけです。

最高の夏でした。わたしを生かしてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

*1:時折悪態が目立つ参加者がいて驚いたりはしたけれど仲良くする必要はなかったし

*2:味スタ情報解禁時に「まさか8月東京行きませんよね」「行くに決まってるやん」「お盆は墓参りですよ」「シゲアキさんがNEWS見てから墓参り行ってって言ってた」「ガーン。やっぱりね。ではお仕事がんばって」という会話や「あなたの妹は地元のお祭りに行きました」「わたしも来週お祭り行くよ」「どこの?」「味スタ」などという会話から、コンサートのことを「お祭り」と母が呼ぶようになり、アニバーサリーだしあながち間違いじゃないよな…と思ったりして気に入っています