4年前の錦戸亮のNEWS脱退について、わたしのあれこれ

 10月7日なので。考察とかそういう高尚なものでもなんでもなく、ただ錦戸担のわたしが2015年になってあのときのこと、あれからどう考えたか、いまどう思っているか、をわたしのために書こうと思います。6人のNEWSから入った錦戸担の主観以外のなにでもないのでそのへんあしからず…。山下さんについての言及が異様に少ないです。

 

 

 NEWSさん、山下智久錦戸亮の脱退から4周年おめでとうございます!!何が一体おめでとうなのか、自分でもわからないまま、それでもとりあえずおめでとうと言っています!あの脱退をわたしはいつになったら祝えるのでしょうか!!!!!

www.sponichi.co.jp

 

いつ読んでも、胸がきゅう、っとなりますね。 

 

 

錦戸亮のNEWS脱退についてのわたしのあれこれ

 2011年10月7日の夕方、わたしは友人に「最近NEWSの活動が無い、1年間*1活動がなければ、いよいよ覚悟をきめなきゃいけないのかもしれない」と冗談交じりに愚痴として漏らしていたのを、はっきりと覚えています。そして、その友人と別れて帰宅した20時半過ぎに開いたSNS*2で、山下錦戸の脱退を知ったとき、わたしはただ「そうか、今だったのか!!!」と、自分の1年ルールがただの自分だけのルールだったことを思い知らされました。1年間は大丈夫だろう、とたかをくくっていたんでしょうね。覚悟なんて決める気なかったのでは、とそのとき、自分の浅はかさを実感しました。覚悟なんて無駄だった。いつかはこうなる日が来るだろうと思ってはいたけれど、それが「今」だなんて可能性があることを、本当は少しも理解していなかったんです。

 携帯のキーを打つ指が異様に震えていたこと、もうログが残っていないけれど「二度とNEWSの曲を歌う錦戸亮を見られないのだ」とひたすらSNSで自分に言い聞かせていたことを、覚えています。それ以外のことは忘れてしまいました。あとは、連休明けの学校で、錦戸担のクラスメイトと言葉にならないため息を共有したことや、SNSを見た友人に慰められたりしたこととか。

 

 もう4年も経つのか、4年経っててもこの気持ちの苦々しいのが無くならないのか、とどうにも遣り切れない思いをいまだに持て余しています。

 とはいえ、楽しいんです。関ジャニ∞も、NEWSも。NEWSなんてびっくりするくらい楽しくて、シングルもふざけた曲ばっかりだけど手を抜いていないんだろうなってことがひしひしと伝わってきて、好きなんです。いまのNEWSに出会うために脱退というものが必要だったとしたのなら、しょうがなかったのかもしれない、と思う気持ち半分そうはいってもと思う気持ち半分。

  それでもわたしの好きな「NEWS」がただそこにある嬉しさには勝てない。あの脱退のせいで残らなかったかもしれない、と思うと余計に、残してくれたからあるのだと思うと、余計に。 NEWSの楽曲を残してくれたのは、山下でも錦戸でもなく、紛れもなく彼ら4人なんだと思うと、もう、それだけでたまらなくなります。

 まあ、関ジャニ∞の楽しさは言わずもがな。そこに、掛け持ちという重責から解放された錦戸亮が、ただのひとりのアイドルとしてグループにしれっと溶け込んでいるのを見ていると、もう余計な脱退なんかの心配をこちらがしなくて良いのだ、とホッとします。「NEWSと関ジャニどっちなの?」という定番の質問に苦笑いしてどうにか答えようとする錦戸さんを見なくて済むと思うと。 ツアー日程とかドラマの主題歌とかシングルが出ないのは掛け持ちのせいだ、とか。脱退時の錦戸さんのコメントのズルさが、苦しかった分、もうそういう思いをしないで済むのか、と思うとやっぱりホッとしてしまうんですよね。*3 「掛け持ち」という特別な立場でなくなった錦戸亮を見るのが、初めてだったので、落ち着かない気持ちでいたのも最近はすっかり馴染んできたような気もします。

 でも、それでもやっぱりまだ、ときどき、うじうじと懐古してしまうときがあります。傷があることは覚えていても痛みを忘れたころにふと「全然癒えてなかった!!!!」と思い出します。もう本当にどうしようもない、こればっかりは。色々理由はあって、たとえば、けんか別れしたわけじゃないと言ったくせに交流がないとか、何にも言ってくれないとか、なんかちょっとタブー感出てるのとか、いまだに思うところがある素振りをされたりとか、いつの間にか6人が遠い過去になっていくのとか、NEWSとして活動していた錦戸亮を知らない人が増えていくのとか、そういうの、です。でも、まあ、それもしょうがないんでしょうね、分かってるけど。あと、ただただ、「NEWS」が「NEWSの楽曲」が好きだった、というのもあります。妙な魅力があった、NEWSには、いつも。

 

 

言及する人としない人

 4年前の今日も、わたしはファンでした、錦戸亮の。4年経った今でも変わらず、けれど、妙な方向に思いは捩じれてしまって、勝手に色々愛着を感じたりしがらみをつくったり許せなくなったり、面倒なオタクになってしまった。この4年間で、当時よりもぐん!と群を抜いて加藤シゲアキさんを好きになってしまったので、自担(錦戸亮)のNEWSあるいは加藤さんへのコメントなどにはわりと敏感にいたと自負しているのですが、それでも、あの脱退以後4年間で、彼がNEWSに言及したことはほとんどありません。「NEWSを抜けて」だとかそういう風に言うことはあっても脱退時のコメントやMステでの挨拶以外で「どう思ってNEWSを抜けたか」はいまだに語られてません。それが、彼の美徳だということにはなんとなく気が付いています。

 

www.oricon.co.jp

 

 でもさあ、ひどくない? とも思うわけで。「ずっと悩んでいた」とはいえ、脱退という提案は誰がしたのか、いつ決まったのか、脱退した側は永遠に黙ったままなんですよね。余計なことは言わないほうが得策だけれど、何にも知らないということも、それはそれで寂しい。結局、彼は関ジャニ∞を「選んだ」のか、どうかすら、明かされていなくて、けれどそれが明かされてしまってはよくないのだろう、とは、分かります。もしくは、彼の意思とは違うところで言えない事情があるのかもしれないとも、思います。でも、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、ひどくない? とは思うわけです。

 

 

 NEWS側はインタビュー等々で、あの脱退について何度も説明をしてくれています。たまにネタのように無下に扱ってみたりして。でも彼らは、そういう形でも話すことがファンへの真摯な態度だと信じているのかな、と感じたりしてわたしはわりと好意的に受け止めています。

 それと、これは特にわたしが勝手に思っていることなんですけど、自分たちで自分たちの身の上に起こった話をすることで、整理をし直し、「物語」として語る作業を通して、彼ら自身が「あの脱退」を彼らなりに受け入れようとしていたのではないか、と思うのです。*4  「物語」にすることで、どうにか折り合いをつけて自分の糧にしようとしていたのでは、とふと考えたり。けんか別れじゃない分誰も憎めなかっただろうから、ましてや抜けたあとだってあっちは事務所の先輩なのだから「脱退した」こと以外の文句も言えないし、「物語」の「起承転結」でいう「転」のような扱いにしようとしたのでは、とか。 NEWS側が被害者のようにいまだに脱退を悲劇として語ることについて、錦戸さんのファンには見苦しいからいい加減やめろというような不満を持つ人もいて、まあ当然NEWSの4人が被害者だとしたら抜けた2人が加害者になってしまうことになるから(そういう状況になるまで、人気のあるメンバーには敵わないやという構図に甘んじていたところもあったかもしれませんし)、言いたくなる気持ちはわからんでもないけど、それでも「話す」という行為の真摯さをもうちょっと汲み取ってほしいなあ、と思いますという愚痴を…思わず。

 

自担の「脱退」を経験して

 そういえば、脱退を知る当事者になるのが初めてだった。NEWSも関ジャニ∞もメンバーの脱退を経験しているけれど、それらの脱退をわたしは過去という枠組みのなかでしか知らない。かつての脱退ももう終わったことなのだろうと、どこかで思いながら応援していたことに今になって気が付きました。わたしが未だに囚われている「2011年の脱退」だって、もう4年前。とっくの昔に過去になってたんですね。けれど、そんな実感は全くありませんでした。「脱退」というあの出来事がわたしの中で過去の出来事になっていないことに気が付いたときに、ようやく「終わってない」と感じる人の気持ちを理解して、ハッとしました。

 でも、「時間が解決してくれる」とかって言いますけど、わたしが2011年ごろにずっと思っていたのは、「時間になんて解決させてたまるか」ってことでした。いま自分がNEWSに抱いている言いようのない切なさを、ただ時間が経つだけで忘れてしまうのなんて嫌だ、と強く思っていました。「無かったこと」にだけはしたくなかったんです、子どもながらに。でも、やっぱり多少は薄れてしまってる。もうあのときのように、4人が並んでいるだけで泣きそうになったりしないし、かつては自担のパートだったところをほかの人が歌っていても昔ほど悲しくなったりしない。この4年の間にも色々なことがあって、それが、いいことなのか、悪いことなのか、わからないし、なんならずっと苦しいままでいたかったけれど、メンバーそれぞれが前に進もうとしている限りは引っ張られていくのかなあ、と思います。

 いま、一番怖いと思っていることは、時間に解決させられることよりも、数年後に、寡黙を貫いている錦戸さんがスタンスを変えて、当時のことを脱退のことをNEWSのことを、もう何から何まで話さないことは無いんじゃないかってくらいあらゆることまで語り尽してしまうことです。知りたいけれど、知ったあとに後悔したらどうしよう。幻滅したりしたら、どうしようか。NEWSについて言及しないあいだは、ファンが勝手に憶測でものを言ったって間違っていると誰にも指摘出来ないので、それぞれファンは好きなように自分で解釈していて良いわけです。けれど、知ってしまうと、現実と向き合わないといけなくなる。本人が言ったこと以外は嘘になってしまう。怖いなあ、と思います。けど、永遠に話してもらえないのも、切ないかな。でも知ってしまって、わたしが信じて縋っているなにかが裏切られたらどうしよう、とやっぱり怖くなります。

    錦戸担の方々は、それぞれ色んな思いをNEWSに抱いていると思うんです。本当にそれぞれ。そういう人たちの感情を、言及しないことによって尊重してくれているのかな、と思ったりもします。本人に明言されないうちは、この憶測だって、間違ってるとも言い切れないでしょう。

 とはいえ、10年後とかに、「ああ、そういや当時はこんなこと考えてたな、若かったな」と、もうすべて解決済みのわたしが懐かしさを覚えながらこのブログを読み返していたりするのかもしれません。そのためにこのブログを書いているのかも。

  

 

加藤シゲアキ『ピンクとグレー』に関するあれそれ

 本編のことはあんまり触れないです。っていうか、もうこの『ピンクとグレー』という小説をファンという欲目を抜きにして読めないし、「加藤シゲアキ」という著者の話をせずには語れないので、純粋に小説を読むということがファンにとってどれだけ不毛なことなのか実感しているところです。

    この処女作はただひたすらに特別です。加藤さんにとっても、ファンにとっても。きっと何かの契機になったデビュー作だと、本気で思っています。

    内容について触れませんが、ただ、わたしはとても好きです。加藤さんが書いていなくても好きだと思う。けれど、この小説を書いているのが加藤さんだったので、加藤さんをもっと好きになりました。

 もろもろのことはみなさんご存じだと思うので、あえて説明しませんが、彼はずっとこの作品を「グループのために書いた」「メンバーがいたから書けた」と言っていました。『ピンクとグレー』発売の情報解禁が2011年11月22日、発売日が翌年2012年の1月30日。この作品の執筆が2011年2月中旬~3月31日の6週間。この辺りは周知の事実と思いますが、今年の『Myojo』のジャニーズ10000字ロングインタビューで、山下錦戸の脱退会議(一方的に知らされるだけのもの)が2011年の4月にあったということがわかりました。同誌のインタビューで加藤さんの小説発売が決定したのは6月と話しています。

 この『ピンクとグレー』の書籍化発表が「新生NEWS」として最初のお仕事発表だったせいか、どうしても「グループのために書いた」というのが「(新生NEWSという)グループのために書いた」と解釈されることが多々あって、わたしは個人的にとてもモヤっとしていました。だって、どう考えても順番が違うでしょう。4人のため、6人のため、そこに差があるのかと尋ねられるとちょっとわからないんですが、まだきちんと脱退を受け入れられずにいたわたしには、その考え方がどうしても嫌だった。

 つまり、書いたはいいものの発売できるかどうかは未定だった4月にメンバー2人の脱退が告げられ、そして6月に発売できることが決まり、NEWSとして活動が出来るか未定のまま10月にメンバー脱退が情報解禁されて、その翌月に加藤シゲアキに改名・『ピンクとグレー』の発売が世間に発表された、という順番かと思われます。

 

  どうしてわたしがここまでこだわるのかというと、ずっと「ピンクとグレーの発売がもっと早かったら錦戸さんはどうしてたのかな」と考えていたからです。あの小説を読んでしまっていたら脱退を考え直しただろうか、それともより堅く決心しただろうか、と。錦戸さんは掛け持ちだったからとはいえ、じゃあ掛け持ちという理由のなかった山下さんは、等々。不毛だとは分かっても、読んだ感想をもっとファンの立場でも聞けたんじゃないのかとか、趣味の合う2人だから・交流の深い彼らこその感想があったのでは、と思うとどうしても考えずにはいられませんでした。でも、実際には、彼の脱退の後に小説が発売になったのだからしょうがない、と言い聞かせて。

 

 ところが、その10000字インタビューで加藤さんは 

(出版が決まったのはいつか、という問いに)「6月。振り返るからそういうことなのかなって思うんですけど、人生の分岐点って、本当にどっちに転ぶかわからないギリギリなところにあるんだなって。書籍化を知らされた瞬間“やった!”ってうれしくて声が出ちゃって。ただ同時に“間に合わなかったな”って想いもあって」

「なぜ、あのタイミングで僕は小説を書けたか。いくらやることがなくても、それだけで“じゃあ小説を書こう”ってマインドにはならなかったと思う」

「もし僕が小説を書き上げたら、グループの未来を変えられるとも思ってた。おこがましいけど。(略)僕が本を出版できれば、“このグループにいたら、もっともっとおもしろいことが起こるかもしれない”って思ってもらえるんじゃないかって。」

「6人のNEWSを守りたくて書いてたんだけどね。止められなかったけれど。止めたかったな。」

  と言っています。この2015年にどえらいものを放り込んでくれたな、という憤りにも似た気持ちを抱いてしまい、このインタビュー記事のせいで今年はブログを書くしかない、と思い立って書いています。無責任に想像していたことを、書いている本人が小説を書いてしまえるほど願っていたなんて知らなかったんです。

 こんなブログ読むよりよっぽど良いと思うので未読の方はどないかして手に入れてください。本屋で購入前に待ち切れず立ち読みして本文確認したら、たまらず泣きそうになって慌てて購入した人間がオススメします。加藤さんは自分の弱さを糧にするのがとても上手だし、そういうところを公に話せる強さを持っているところがとても魅力的で、応援していたいと素直に思えるアイドルだなあとつくづく感じます。

   

 つまり、まあ、錦戸担のわたしは、あれだけ可愛がっていた後輩が小説を書くだなんて錦戸さんもきっと喜んだだろうな~と思って、でも、その小説がそういう想いから生まれたものだということについてはどう思うのだろう、けっきょく直接シゲに感想言えたのかな、とぼんやり考えています。きっと答えはくれないんだろう、と知りながら。 とか思ってたら、この加藤さんみたいにぽろっと爆弾落とされたりして「あーーーーーー!!!!!!!」ってなるんでしょうね。なるかな。ならないね。

 丸山さん・加藤さん・錦戸さんで食事に行った話も、さらっと以前に関ジャニ∞の対談で錦戸さんと丸山さんが話していましたが、加藤さんが言うには脱退以後錦戸さんと食事に行ったのはその一度きりで、しかも錦戸さんに「がんばれよ」と言われてから食事中ずっと泣いていたそうで。ぜんっぜん和やかじゃなかった!!!!関ジャニ∞の対談のほうではなんとなく、そんな大したことじゃないけど、みたいな口ぶりだったから油断していたけれど、後輩泣かせるってどうなの…といまだに動揺しています。

 それと、脱退を知らされた会議で見た山下錦戸の背中を忘れずにいたい、あのときの悔しさをこれからの自分の活力にしたい、というようなことを加藤さんがインタビューで言っていました。加藤さんは「未練もないのか振り返らなかった」と言っていたけれど「振り返れなかった」のかもしれないよね、と、彼らが教えてくれないうちは誰にもわからないことを考えたりします。

 

2015年という年

 そういえば、このインタビューで2011年4月には脱退が決まっていた、と知って、わたしはそのあたりのメディア露出を見返すことができなくなりました。自分があのころ、あの4月に何を考えていたのだろう、と今になってよく考えます。こうしてブログを書きながら、こうしてつらつらと書いていることに意味はあるのだろうかとも、考えてしまいます。書いている間は理性的でいられますけど、この季節になると、ふっと2010年のコンサートの帰り道を思い出してあのときはまさかアレが最後になるなんて思いもしなかったなァ、と感傷的になります。困った季節です。

 行きたいと思うコンサートがあるなら、絶対に行くべきです。最後になるかもしれないから。

 

 NEWS「White」ツアーのさくらガールの演出に思わず泣いてしまうファンがいたり、2度目の10000字インタビューでいろいろ明かされたり、そうはいっても黙秘を貫く錦戸亮がいたり、弱音のようにぽつりと本音を漏らす山下智久がいたり。小山さんと手越さんがインタビューで言っていた、山下が辞めたがっているのは気が付いていたけどまさか錦戸までとは、というような言葉の意味とか。錦戸に「もっとがんばれよ」と言われて泣いてしまう加藤さんとか。考えれば考えるほどキリがないです。答えも出ないことが分かりきっているので、言葉にできないけれど。でも、普段言わないだけで、抱えきれないほどのもやもやをいまだにあの脱退に抱え込んでいる。メンバーだけじゃなく、そして、たぶん、わたしだけじゃなくて大勢のファンもそうなのだろうなと思います。できるのなら、同じ気持ちを抱える人とこのどうしようもない気持ちを共有したいです。もう、いい加減、しんどい。ぜんぶ、なかったことにしたい。けんか別れしたんじゃないなら、もっと一緒に笑っていてくれたらいいのに。それだけでいいのに。

 

 NEWSというグループは相変わらず最高に楽しいです。楽しさの度数は計れないのでなにとも過去とも比べることができませんが、「NEWS」というグループの持つ根底にある何かはずっと昔から変わっていないような気さえします。それは主力メンバーの脱退を経た上でのメンバーの努力の賜物なのかもしれません。いまのNEWSは過去のメンバーがいた時代を、ある視点から見れば「引きずっている」ようにも見えるし、また別の視点から見たら「大切にしている」とも感じられます。こればっかりは見る人次第だなあ、と思います。

    もし、錦戸担でNEWSのコンサートに行こうか、NEWSのDVD(2012年以降の)を観ようか迷っていらっしゃる方がいれば、わたしはまず、オススメします。安心して観るべきです。何も損なわれていないし、蔑ろにされることもありません。彼が歌っていた楽曲は丁寧に、引き継ぎがなされているし、そこにNEWSのすべてがあるように思えます。

 錦戸担のわたしが一番欲しかったことばをくれたのは加藤さんでした。引きずっている自覚のある加藤さんは

「今、“4人になってNEWS良くなったね”とか、“個々のキャラが目立つようになったね”とか言っていただけるんです。でも、それを6人でもできたと思うんです。結果論かもしれないけど。今がいいから、あれが最善だったとは、僕はいまだに思えなくて。」

 と発言しています。こう思ってくれているメンバーが一人でもいるのなら、それでもう充分です。いまだって大好きだけど、楽しいけれど、6人だったらもっとよかったなと思う気持ちがどうしても無くせなくて、それを感じるたびにこんなに楽しい今を否定しているような気がしてツライと思っていました。加藤さんがこういう想いを抱えて活動していることはしんどくないのかな、と邪推してしまったりしますが。

 そうはいっても、あの脱退をいまだに喜ばなくてもいいんだ、まだもやっとしたままでいいのかもしれない、と思える2015年が来たことはとてもうれしいです。あまりに必死に現実を見ようとし過ぎたせいで、4人のNEWSと6人のNEWSが別物で、どこかの世界には活動していないだけで6人のNEWSはまだ存在しているのでは、というようなバカなことをぼんやりと夢想してしまうこともあります。けれど一方で、順調に時間に解決されていってしまっているなァと自覚して切なくなったりもします。

 

 

 

 長々とろくでもないことを書いてきましたが、きっと書き損ねたことはたくさんあって、それでもこうして書かざるを得なくなるくらい自分のなかにたくさん思うところがあったのだとようやく自覚しました。まとまっていなくて、すみません。

 言わない錦戸亮をかっこいいと思いながらも、わたしには無理だった。言わずにいることの大変さを身をもって実感しています。好き勝手言い放題の私的なブログにも関わらずここまで読んでくださった方がいるのなら、ありがとうございます。こういう錦戸担がNEWSのコンサートに入って『4+FAN』*5で何かに圧倒されながら手拍子してるんだと思っていただければ。

 「僕らはなぜ出逢えたのだろう」というフレーズは『share』の歌詞ですが、まさしく、これだろうと思います。いま、彼らが同じ星を見られていたらいいなと思います。いまがむりなら、いつの日か。わたしはその日を待ち続けてしまうのだろうと確信を持って、言えます。

 

 

 

 

 

 

 

※10月10日 追記

 

 思いがけず多くの方に読んでいただいたようで、驚いています。4年経って、ようやくブログに書けるようになったというか、ブログに書かずにはいられなくなったというか、そういうどうしようもなさの捌け口として書いたので、あまり配慮できていない部分もあったかと思います。

 こういうことを考えているオタクもいるんだと、気楽に、共感してもらえたり何かの参考にしていただけたりしたら、いいなと思っています(おそらくないでしょうが)。

 錦戸亮さんと加藤シゲアキさんについての記述ばかりなのは、限られた字数のなかでのわたしの思い入れの強さによるものです。

 わたしの気休めですが、いくつか追記に書き記しておきます。

 まず、「ピンクとグレー」に関してですが、執筆の理由が6人のNEWSを存続させるためであったとはいえ、それは「小説を書こう」という理由の原点のひとつであっただけだと思うのです。作品の内容、次作を書き続ける理由、彼の作家としての才能とはまた別のものなのでは、と思います。なので、加藤ファンからの勝手なお願いなのですが、これから作品に触れる方はあまり気にせず手に取っていただきたいです。映画化もされることですし。もしわたしのブログを読んだせいでそういう目線でしか読めなくなった、などということがあったりしたら、色眼鏡のない評価を欲しているわたしが悲しいので。

 そして「脱退について話すこと」ということがわたしがブログを書くにあたって、一番書きたかったことでした。錦戸亮のように語らないことが正解で、NEWSみたいに語ることが間違いであるかのように思われていることが多々あるけれど、本当はどうなのだろう? と常日頃から疑問に思っていて、それぞれが導き出した答えに正誤なんてないんじゃないのか、と自分で一度整理したかったのです。結局、何が正しいのか決めてしまえない、ということに気が付いてしまったのですが。「物語を語る」ということは特別なことではなくて、人が生きているうちに受け止めきれない出来事に遭遇してしまったときに自然と自分の受け入れることのできるように捉え方を変える、というようなことだろう、とわたしは思っていて、それはわたしがこうしてブログを書いていることだって同じことです。それぞれが、それぞれの立場から正しくて、それぞれにとって正しいのだから他人に間違っているかどうかの判別なんてできるわけないのでは、とそんなぼやっとした疑念を抱いていました。ただ、この考えを他人に押し付けるのも憚られるのでこの辺りで切り上げます。難しいですね。

 正も誤もなく、錦戸亮が話さないだけ、NEWS*6が話すだけ、ただそれだけのことなのかもしれません。

 ただの考えすぎな錦戸担に、ここまでお付き合いいただきましてありがとうございます。このブログが、読まれた方になんの影響も与えないことを祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:2010年のコンサートDVDの発売からではなく「Fighting Man」の発売からと個人的に決めていました、キリが良かったので

*2:公表は19時頃だったと記憶しています

*3:錦戸さんは「脱退=掛け持ち解消」になるのがすごくズルいですよね

*4:小川洋子の『物語の役割』という本を読んだときに思いました

*5:2013年のアルバム「NEWS」収録曲

*6:ここでいう“NEWS”は具体的に誰を指すのでしょうね