錦戸亮ちゃん(32)/ファンレターを書きました/2016.11.03

ファンレターを書きました、錦戸亮ちゃんお誕生日おめでとうございます。

ファンレターを書きました、まだ出せていません。

 

錦戸亮ちゃんお誕生日おめでとうございます!! 錦戸亮ちゃんのお誕生日だから、祝日なんだと錦戸担が口をそろえて言う今日この日、今年も晴れ! 晴れの特異日

 

▽ファンレターを書きました、はじめてです。

書こうと思ったのは、単純に、人生でこれ以上好きになる人なんていないだろうから、好きだと本人に伝えることもできないだろうから、一生に一度くらい書いてみるのもいいんじゃないかと思った、というただそれだけの理由です。読んでくれるかわからない、読んでくれたとしてもわからない、そういう、届くのかすら現実味のない宛先に「好きだ」と手紙を送ることを、一生に一度くらいしてもいいんじゃないかと思った。たった一枚が、枚数としてだけでも加算されたらいいと思った。本人に届けるかたちで書くとどういうものが書けるのか、気になった。

わたしの「好き」が手紙というかたちで質量を持って錦戸亮ちゃんに届くかもしれない、と思ったら、びっくりするくらいどきどきした。好きになって何年か、まだ10には届かないけれど、まだ「はじめて」があるのかと思ったら、感動した。わくわくした。書きたい !書いておきたい! 書いておかなきゃ! と思って、ファンレターを書こうと決めたのがいつだっただろう。思い立ったが吉日。思い立ったら決意。この「(32)になるまえに」ということばが後々わたしにとって大きな影響を及ぼします。

とはいえ、こうして普段からアウトともセーフともなんとも線引きのしづらい気持ち悪い好意を自分のために垂れ流している人間が、いざ本人へ伝えるとなると、何を書いていいのかわからない。何がアウトで何がセーフなのかわからない。

だって、もう全部アウトでしょう。年の離れた成人男性アイドルのことを「錦戸亮ちゃん」と呼び、呼ぶだけでは飽き足らず「かわいいかわいい」と仔犬のように愛でている、写真を見ても可愛い、動画で見ても可愛い、コンサートで見ればその「錦戸亮ちゃん」の可愛さに震えあがるほど。そういうわたしの日常が、このわたしの精神状態が、まともなわけがない。ブログでは気持ち悪く何千字と書けるけれど、本人に伝えたい言葉といえばそれこそ「好き」くらいしかない。そういえば去年のツアーパンフレットでメンバーに質問できるアンケートを関ジャニ∞がとっていたけれど、わたしはそれの錦戸亮ちゃんへの質問フォームに「とってもかわいい錦戸さんですが、自分のかわいさを自覚していますか?」というような内容の文章を投稿した覚えがある。今思えばどうかと思うような内容だけれど、当時の私は本当に自覚があるのかないのか気になっていて、もう一度同じ質問フォームを設けられても同じことを書く自信があります。そういう人間が、じゃあファンレターというかたちで本人に宛てた手紙を書くときに、失礼なことを書かないわけがない、気持ち悪さが漏れ出すに決まっている、そんな醜態さらすのはいやだ、書きたくない、だって、でも、書かないなんて選択肢をいまさら選ぶわけにもいかない、じゃあ何を書くべきなのか。いかにもありきたりのテンプレートみたいな、ネットを参考にしてあらゆる例文を引用して、自分の気持ち悪さを消して、なんとか「ファンレター」の体裁を整えるようにするしかないのか。等々考えたりして。

でもさあ、受け取る本人にとってはたくさんのなかのファンレターかもしれないけれど、わたしにとってはたった一通のはじめて送るファンレターなわけで。あとにも先にも錦戸亮ちゃんへと送るファンレターはこれしかないかもしれない。錦戸亮ちゃんへの「好き」から派生した感情が積もってブログを開設するほどのわたしが、わたし以外でも書けるような手紙を書くのは、もったいなくないか、そんなつまらないことを、自分のためにしていいのか、とも思うわけで。というかそもそも、どう個性を消そうとしても結局はわたしの書いたファンレターなのだから、わたしが書いたもの以外にはなり得ないのではないか、と思い直し、どういう文章になっても、見るに耐えない恥ずかしいものになっても、出そう、絶対に書いて、書ききって、出し損ねることのないように、絶対に出すぞ、と強く誓って今現在、書けたものの、まだ出せていません。11月2日午後5時。出します。

 

切手って、どうやって貼るの?

どこで買えるの?

 

▽締め切りは2016.11.03

誕生日にかこつけて手紙を書けば、出だしは「お誕生日おめでとうございます」以外にないのでは!?

手紙の書き方なんてわからないし、朝だか昼だかもわからないのに「こんにちは」も「こんばんは」も使えない、「いつもTwitterではお世話になってます」という挨拶も論外、「お世話になっております」ではじまるファンレターはありなのか、なしなのか、うっすらと知っている「拝啓」ってなんだっけそういうのではじめるの? 時季の挨拶とかいるの? っていうか文体はどれが正解!? 高校の国語便覧引っ張り出すしかないか、お礼状とファンレターって何が違うの と混乱しているところにひらめいた「お誕生日おめでとうございます」の一文。

錦戸亮ちゃんのお誕生日を(勝手に)お祝いするのは得意中の得意!

 

と、同時進行で悩んでいた、便箋問題。なんとなく適当に、錦戸亮ちゃんが32歳になるまでに出そうと決めただけだったけれど、お誕生日をお祝いする手紙を出せばいいのか、そうか、大義名分ってきっとこれのことだな、と勇み足で、便箋あるいはバースデーカードを探しに行きます。

31歳男性(ジャニーズそれも錦戸亮)の手元に届いて恥ずかしくない(もちろんこちらが)(22歳が出して恥ずかしくない)便箋とははたしてなんなのだろう、と梅田を彷徨います。梅田茶屋町にあるロフトを徘徊しても、ぴんと来ない、惹かれるのはプーさんの便箋。それじゃないのはわかる。22歳だぞ、わたし。でもまあ錦戸亮ちゃん黄色だしプーさんも許されるのでは? いや、なんでもいいんだろうけれど、でももしかしたら最初で最後の一枚になるかもしれないから万全を期したい、万全を求めるこの状況で、プーさんは趣味に走りすぎでは、と悩みながら、てくてく三番街に戻ります。ぐでたまも錦戸亮ちゃんの黄色だけど違うし、スヌーピーはわたしがそこまで好きじゃない。ムーミンは!? とキディランドで閃く。便箋がなかった。星の王子さまの綺麗な封筒を見つけてめちゃくちゃ惹かれるものの、「これはシゲアキさん…」と断念。錦戸亮ちゃんはシゲアキさんじゃないから断念。そもそもキャラクターから遠ざかったほうがいいのかとここでようやく気が付いた。グランフロント側に行くべきだったか、と後悔しつつ、そこまで行くような気力もなく。あのさあ、知らなかったんだけど、阪急三番街に、伊東屋があるんですね、わたし知らなかった。見つけたときはもう勝ったと思った、勝てると思った。買ってた。出逢って2秒で一目惚れするのは「ビースト‼」だけど、出かけて2分で一目惚れするのは「LIVE」だけれど、入って2秒で心に決めたバースデーカードがあった。単純に私の好みだっただけです。これさえあれば、書けるし出せる、と思った。お誕生日をお祝いするのに最高のバースデーカードだ! と思った。便箋って大事。お誕生日って偉大。

 

生まれてきてくれてありがとう!!! 誕生日があってよかった!!! お誕生日おめでとうございます!!!! 誕生日があってよかった………生まれてきてくれてありがとう……誕生日……錦戸亮ちゃん、わたしはあなたの存在にお礼を言いたくてファンレターを出します。

生まれてきてくれてありがとう。

こんな「尊い」という気持ちを胸に抱えながらバースデーカードを選んだのははじめてです。

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▽ 別に当日届いたって当日読まないでしょ

これを書いているのがいま、2016年11月2日午後10時。*1 手紙の下書きをしたのが午後1時。バースデーカードに書き込んだのが午後2時。

バースデーカードを買ったのが10月18日。そのあいだずっと、書かなきゃなあと思いながら「BYAKUYA」に翻弄されてました。衣装が白い…と思えば黒くて…仮装…女装ワンチャンあるかなとおもえば本気の仮装…挙句の果てにまた「BYAKUYA」…。「Wonder」は? QUARTETTO DVDは? というのはさておき、ずっとHuluで動画見てたり、逃げ恥みたり校閲ガールみたり、ぼんやりしていたらいつのまにか11月になっていました。11月1日の時点では、まだ11月っぽさがなかったし、なんならまだ10月にもなっていないような気分だった。10月どこ行った。

出さないわけにはいかない、選んでバースデーカードも買ったんだから、と、勢いで書いて、勢いで清書して、どうせね、言葉を選んで一字一句丁寧に書いたところで、勢いで書いたものと熱量は変わらない*2。宛名を書こうと、ファンレターの宛先を検索したら、見覚えのあるファミリークラブの住所じゃなくて、もうそのまま「ジャニーズファミリークラブ行」まで送ってください、と公式ホームページに書いてあって、拍子抜けした。めっちゃ送りやすい。すごい。「錦戸亮様」と宛名を書いて、自分の住所を書いて、封を閉じて、切手を貼って*3、あとは明日出すだけです。

結局、内容としてはもう本当に誰にでも書けるような内容になりました。結果として。錦戸亮ちゃんのことを好きなら、誰でも書けるようなこと。ゼロ時を回って帰るようなとき、夜道を歩きながらずっと、何を書きたいか何を伝えたいか考えてた。錦戸亮ちゃんに出会ってから世界が一変したこと、錦戸亮ちゃんのおかげで出会えた友人がたくさんいること、大学も就活もバイトも後悔なくやれてきたこと、初めて降りる駅があったり初めていく土地があったり初めての場所にでも臆することなく行くことができたりしたこと、いろいろ考えながら、自分の学生生活をいつのまにか振り返っていて、ああ、たのしかったなあ、と泣き出しそうになった。ぜんぶ、錦戸亮ちゃんのおかげなんだと痛感した。どうか錦戸亮ちゃんに幸せでいて欲しいな、と強く思った。

錦戸亮ちゃんへの気持ちなんて書いても書いてもキリがないと思っていたけれど、案外スペースに収めようとすれば収まるもので、ロルバーンのMサイズ両面くらいで収まった。1000字くらいかな。何度も何度も帰り道に頭の中で推敲していたからか、きれいな上澄みだけを落とし込めたと思う。錦戸亮ちゃんへの「好きだ」という気持ち、とにかく感謝しているのだという気持ちさえ、伝わればいいと思った。と、いま打ち込みながらすっごい健気なこと言ってるな、と自分で笑いそうになっています。たぶん、どんなファンレターでも自担ならうまく汲み取ってくれると思った。「書いてくれた気持ちが嬉しいですね」とか言いそう。たった82円で届くわたしの質量を持ってしまった「好き」が、自分の手元から離れて大勢の中に紛れ込むところを想像したら、なんだか嬉しい気持ちになった。自分の感情が大切なものに思えた。

ここ数年、好きになってからずっと膨らんでいくような思いも、文字に変えて手紙にしたら、たったこれだけだったんだな、って封筒を見て思った。ぺらぺら。綺麗に収まってくれて嬉しい。

体裁はともかく「ファンレター」を書けるんだ、と思うと、嬉しかった。


 

 ▽ 11月3日

 32歳のお誕生日おめでとうございます。

最近大学生活を振り返って、4年間まるごと錦戸亮ちゃんに捧げたような気を起こしかけていました。高校を卒業するときにもそうやって思ったような気がする、のがもう何年前なんだろう。計算得意じゃないのでわかりませんが。いつまでこんなにわたしの脳の大部分を占めているんだろう。ほんといい加減にしてほしい。たのしい。

大人になるってどういうことで、35を超えたとき、どんな顔をしているんだろうか見当もつかない、と思っていたのが、なんとなく「今」の延長線上にあるであろうことがわかるようになってきました。いつ嫌いになれるんだろう。いつ興味を失くすんだろう。未来のことは分からない、と、思いながらも気が付けば大学生活の4年間が終わろうとしていて、不思議な気持ちになります。貯金も単位も余裕ないのに、全然後悔していないところが、我ながら馬鹿だなあと思うけれど、楽しかったなあ、と思う。4年。

4年前の2012年のこの日は、受験だった。明日も試験だというのに布団の中で読んだ8ESTのレポでちょっとだけ泣いたことを、多分、わたしは忘れないと思う。当時、自担のメンバーへの「好き」という感情を弄ばれるのが本当に嫌だったわたしは、あのころファンのなかで蔓延していた錦戸亮ちゃんが「不憫」で可愛いという風潮を悉く嫌っていた。2011年までの自担を奮い立たせていたものがあるとすれば、そのうちひとつはきっとメンバーへの「好き」という感情だったはずなのに、その大切な感情を馬鹿にしたように笑って報われないことをネタにするようなファンがたくさんいたことにとても傷ついていた。*4 だから、レポでしかMCダイジェストでしか知らないけれど、あの誕生日の二部はなんだかとっても報われたような気がして、とても嬉しかった。あの場にいなかったからこそ、本当に嬉しかった。

あれから4年。受験生だったわたしはもう卒論を書くような年になっていて、錦戸亮ちゃんはますます可愛くなって、映画の撮影をして2018年へと向いている。錦戸亮31歳だって、最高に可愛かったけれど、多分32歳だって可愛いんだろう、とこうしてなんの衒いもなく言える環境が、いまはとてもうれしい。「大好き」以外になんと言うべきなのか、分からない。

 

お誕生日おめでとうございます、錦戸亮ちゃん。大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この6000字ほどのブログのなかに何度「錦戸亮」という名前が出てきたでしょうか。君の未来に幸あれ。

 

*1:書いてる間に日付変わってたおめでとう錦戸亮ちゃん

*2:勢いとはいえ、何度も推敲はしているし

*3:コンビニで切手を買ったらEdyで購入できなかった。80円切手じゃなくて82円切手だってこともよく知らなかった

*4:当時の私はそういうファンをめちゃくちゃブロックしたし、いまだに解除していない