さみしさを鍵にして/NEWS「NEVERLAND」ツアー感想

お題「私のNEVERLAND」

 

お題お借りします。NEWS担はきっとこんなブログでも受け入れてくれるだろうと甘えた気持ちで公開することにしました。

 

「これに君が好きだって事以外、大した意味なんてないよ」って気持ちでいつもブログを書いています。

 

そういえば、コンサートが終わったあとに「NEWSのコンサートに入っているときがいちばんさみしい」というようなことをツイッターで発言した覚えがある。大阪公演が終わった後。私のNEVERLANDは大阪にしかなかったので、私はあの大阪城のすぐそば、大阪城ホールでさみしい思いをしたのだった。「White」も「QUARTETTO」も大阪城ホールだった。今年こそ京セラドームだと思ったのに。

あえて言うのも変かもしれないけれど、私は「NEWS担」「NEWSのファン」が好きです。コンサートにおける彼女たちの熱量のすごさが好きです。暗転したときの悲鳴の大きさ。メンバーが登場したときの歓喜の悲鳴。待ち望んでいたんだろうことがありありと分かるような、そんな気配のする歓声がいつも好きで、聞けば、ああ、NEWSのコンサートだ、とうれしくなる。アンコールだっていつも予定調和じゃなくて(呼んでいる彼女たちは「どうせ呼べば出て来てくれる」と思っているのかもしれないけれど)、いつでも心の底からNEWSを求めて呼んでいるように聞こえて、その切実さになんだかいつも泣きそうになる。感化されるのかなんなのかわからないけれど、NEWSが好きだな、って思い出す。さみしい思いをしても、NEWSが好きだからここにいるんだ、って思い出す。

だからまあ、今回、アンコールのないコンサートツアーということで*1、個人的にちょっと残念だった。聞きたかったのに~~!! って石ころ蹴りたくなるくらい。

その代わりなのか、最後の曲「U R not alone」で、ファンに歌わせるのは本当によかった。後ろの席にいた高校生くらいのファンの子たちは、公演中ずっと「やばい」「やばい!!!」と連呼でうるっせえなあと呆れるほどだったのだけれど、「U R not alone」では叫ぶように大きな声で歌っていて、これだからもう本当にNEWS担は……と涙目になるしかなかった。なんて素直でいい子なんだろうと思った。NEWSのコンサートのそういうところが好きです。4人になってからファン層がぐっと下がった、と言われているけれど、おかげでこんなに純朴なファンとしての声援に出会えるのならいつだって中高生向けのアイドルでいてくれと思う。年齢問わずほんのりネットの場におけるリテラシーが足りないんじゃないかと思わず疑ってしまいたくなるような人が少ないわけじゃないけれど、声の大きなノイズに惑わされないでいてほしい、頼むから、純朴な歓声が消えてなくなりませんようにと願っています。

 

と、あまりにも「NEWS担」の声援が好きだということを言いたくて、長々と語ってしまったのでお察しかと思いますが、レポにも感想文にも、ポエムにすらならないただの散文です。お手柔らかにお願いします。

アルバム「NEVERLAND」でいちばん好きだった曲は「Brightest」でした。これに理由はありません、単純に好きだった。今回のツアーは、新生活で慌ただしくて余裕もなかったので、あとから文字にする予定もなくただぼんやり楽しもう、と思っていた。で、結局あとから思い出して覚えているのが、以下、箇条書きで失礼します。

・せり上がってくるステージに堂々と立つNEWSの強さすき

・小山さんの「馬鹿になろうぜ!」の煽りで あれ?これはおかしいぞ と気が付いた瞬間に鳴る「D.T.F」のイントロの破壊力 「アクセル全開で~」と「ちょっとよそ見すんなよ」のNEWSちゃんが可愛くて3日分の感情を使い果たした

「あやめ」のやばさ 小説は「静」だとしたら歌は「動」なのかもしれない「動」も手に入れたシゲアキさんは強いね

「あやめ」~「Brightest」の曲間のつなぎが理解できないくらいかっこよくて理解できない

・と思ったら「シリウス」 と思ったら「Snow Dance」 と思ったら「Touch」

・「ニャン太」の小山さんの最敬礼が忘れられない*2

・スタトロで回って来たシゲアキさんがファンに無防備に脇を見せていて(語弊)、そのあまりの無防備さに慄いた

・そういえば「バンビーナ」(自担のいないやつ)「幻影が見える…」って頭抱えてた

・「さくらガール」はセンステじゃないといけない呪いとかにかかってるんですかね?

・「ポコポンペコーリャ」が本当に大好きなので、あんな風に演出してもらえてうれしいにしてもなぜ「ポコポンペコーリャ」なのか

・シゲアキさんの最後の挨拶「NEVERLANDには出口がないから! 一人じゃないから!」と早口で語りかけてくれるの、何故かすごく胸に来た、言い切るんだ、と思ってどきどきした

 

いいコンサートだったないいセトリだったな!? とは思うのだけれどいかんせん自分の感想がポンコツすぎて何の役にも立たない。コンサート終わってからしばらく「シゲアキさんの二の腕…」としか言えない日々が続きました。

ことばにしてしまうのがもったいないなあとか、考えてたら、語彙力も表現力もないからたいした感想も言えないし、でも、ことばにして残しておかなきゃ忘れてしまうかもと思ったらなにか言いたくなるし、よく分からない気持ちのままこうして書いています。

どう言葉にすればいいのかわからないけれど、とても素敵なセトリだった。テーマパークのようにエリアで分けるのをそれぞれのソロ曲を入り口にしたりして、そうして披露されるエリアごとの楽曲がこれまたそのメンバーに似合っている。シゲアキさんのエリアは「光」。光によって生み出される「虹」、日常に温かくきらりと光るような、たくさんあるけれどわたしのなかでは、黎明ということばが似合うような、そういう暗闇の中に浮かび上がる光のイメージ。歌われていないけれど「ヒカリノシズク」を思い出す。小山さんのエリアは「水」。洋服の海、天の川、夏の恋。永遠じゃない恋。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、「方丈記」の冒頭のような切なさを思うのはソロ曲のせいかもしれない。増田さんは「音」。シゲアキさんのエリアが黎明、夜明けなら増田さんのエリアは真夜中だなあと思う。夜。「時計さえも眠る」静まり返った夜。「ミステリア」の歌詞中に「サクラ」と出てくるのは偶然なのかな。「さくらガール」は「ミステリア」に見せられた夢のなかみなのかもしれない。てごにゃんのエリアは「炎」、情熱。彼のエリアに選ばれた楽曲がどれも、大正解と拍手したくなるほどの選曲、演出。「I’m coming」からの「BLACK FIRE」の導入とかとくに。こうして反芻してみると、各エリアを巡っているあいだに何度夜を超えたんだろうとおもう、本当は数時間も経ってないのに。映画みたい。そして「魔」のエリアが、MCなのはふざけてるだいすき。

個人的には、シゲアキさんの歌や声、ダンスに圧倒されたコンサートだった、「あやめ」もそうだったけれど、ものすごく身体全体で訴えかけてくるようなところがあって、理屈じゃないものに魅せられているような気になった。冷静沈着なタイプかと思えば全然そうじゃない、心の奥底に潜む情熱をステージの上で披露している姿に惹かれた。あんなに綺麗に動く人だったっけ、と思った。小説とはまた別の、身体でしか表現できない何かってあるのかもしれない。関係ないっちゃないけれど、自担ががなって歌うのとかもそうかもしれないなあとおもう。文字やことばだけじゃ表現できないことってやっぱりあるんだな、身体性ってこんなにも感情に直接訴えかけてくるんだ、って思わされる。それを、シゲアキさんで理解できたことがうれしいシゲアキ贔屓。

でも、身体だけじゃ表現できないこともたくさんあって、レーザービームとか炎とか水とか、それこそペンライトとか、「Brightest」のスクリーンの演出とか。衣装とか、ジュニアの演出とか。全部に意味があるように感じさせられるけれど、そういう要素のどこか一つにより過ぎていることもない、「あそこはよかったけれど…」みたいなことを言わせない、隙のないコンサートだったようにおもう。隙のない、って先日ツアーが終わってから更新された「シゲアキのクラウド」にも思ったけれど。覚悟が見え透けるとなんでか「隙がない…!」と思ってしまう、誰にも文句言わせないような圧倒的な意思が見える気がする。好きだなあと思った。

 

好きだなあ、という気持ちだけでいいのかもしれないなあ、と思った。毎年毎年、NEWSを好きだという気持ちと、NEWSにはいない「担当」という存在に惑わされて、「一番」じゃないことを後ろめたく思ってきたし、一生NEWSという物語の当事者にはなれず傍観者なんだろうなと思って、ちょっとひねくれていた。「浮気すんなよ」って言われても胸が熱くなる一方で、嘘をついているような気持ちになったりする。別に浮気したくてしてるわけじゃないのに。でも、どうしたって私は、NEWSより、シゲアキさんより、あの自担を選ぶだろうし、迷いなくそう考えているあいだはどうしたって私はNEWSを選べない。けれど、NEWSがNEWSの歌を歌う限りは、どうなったってその結末まで見届けようと思うし、私や自担が選べなかった物語の先を読みたいと思う。「夢」の行きつく先を知りたい。選べなかった世界がこれだけ優しいのなら報われる気がしている。

いつだってだれかに怒られるんじゃないかって思いながら、石でも投げられるんじゃないかって、こうして色々書き連ねては後悔して、それでも、私なりに正々堂々好きなのだからと思って書き残す。私がNEWSに見ている「物語」が、私だけに見えているものなのかもしれない、あまり大きな声で言うのは憚られるものだ、ってコンサートに行くたびに思う。申し訳ない気持ちと、それでも、NEWSの4人がつくるコンサートが好きだという気持ちの狭間で動けなくなる。NEWS担じゃないのに、こうしてNEWSがファンに見せてくれようとしている光景、愛にあふれた光景を見せてもらっていいのだろうかと、ちょっとだけ後ろめたかった。劣等感なのかもしれない。

レポを読みながら、ずっと、「好き」って「ファン」ってなんなのだろうと考えていた。アイドルに対してファンの立場からアイドルとしての姿勢を問うのなら、まず自分のファンとしての姿勢を正してからだろうと思うのは、私だけなのだろうか。どんな「物語」でも、偏見や先入観とときには同義になる、必ずしも真実そのものではないということを、ちゃんとわかっていようと自分自身に言い聞かせた。

まっすぐにNEWSだけを好きでいるファンじゃないこと、「歌って!」と言われても素直に大きな声で歌えないこと、いもしない人間の幻影を見てしまうこと、劣等感や罪悪感はたくさんあるけれど、それでもNEWSが好きだという気持ちでペンライトを振っている。会場にはたくさんのペンライトが揺れていて、その光景を見て一人じゃないと実感するからこそ、さみしく思うのかもしれない。

「NEVERLAND」には出口がないそうなので、NEWSを好きだという気持ちも消えそうにないので、まだもうしばらくはさみしいままなんだとおもう。さみしさはさみしさのままとっておきたい。きっと私にとっての「鍵」だから。

 

NEVERLANDツアーお疲れさまでした。何をどう言えばいいのかわからないけれど、私がステージで見たNEWSは相変わらず可愛くて、キラキラしていて、かっこよくて、私はあの日からずっと、NEWSがNEWSとしてNEWSの歌を歌ってくれていることに感謝しているよ。いつでも「NEWS」という夢を見せてくれて、ありがとう。

*1:大阪公演より後の公演でアンコールがあったとかなかったとか噂には聴いていますが大阪ではなかったので「アンコールのないコンサートツアー」ということにしておきます

*2:「NEVERLAND」に出口がないように「死」にだって出口や終着点がないのかもしれないって思わされた、いつだって鍵が心の中にある