出会いの季節別れの季節

 


お元気でいらっしゃいますか。
こちらは宇宙旅行の順番待ちです。

社会人になってようやく一年が経ちました。早いですね。春です。
自分の仕事のはなしと、わたしが大好きな人の仕事のはなしをします。

 

▽「脱退」のはなし
いくつかの報道で彼らが「脱退」という言葉を使わなかったとありましたが、どうしたって「脱退」です。文字列を打ち込みながら泣き出しそうです。「脱退」。わたしが、いわゆるファンとして(傍観者とも当事者ともつかない立場で)それを経験するのは二度目でした。2011年のあの自担の脱退以来。比べたいわけでも比べられると思っているわけでもないけれど、どうしたって脳裏にはあの日のこと、あの日からのことが過ぎるわけでつらいね。
木曜日の晩、週刊誌の報道を知って、うそだろうと否定をするのは容易かったけれど、どうしてもできなかった。週刊誌の語る理由自体はともかく、可能性がないなんてこと、絶対に断言できるかって考えたらできなかった。そうじゃなかったらいい、日が経って、そういやあれしょーもないデマだったな、とこっそり胸をなで下ろすくらいがいちばんいい、と思ったのに、思ったのになあ、できなかったなあ。心のどこかで週刊誌の言うことが事実かもしれないって怯えながら、それでもやっぱりデマだと思ってた、思いたかった。

でも、いつか、こういう日が来ることは知っていた。知っていた、知らないわけなかった。みんなだってそうでしょう。
こういう、関ジャニ∞が7人から減ってしまう日が来ることを、それが何年先なのかどういう事情によってなのかは想像できなくても、それでも確かに来るということだけはちゃんとわたしだって知っていた。だって、あのひとたちだっていつかは死ぬんだぜ。親も推しも、自分も、兄弟も、いつかは死ぬんだぜ。人間の寿命と、アイドルグループの寿命ならきっと(というかどう考えても)、アイドルグループの寿命のほうが短いわけで、それはもうこの世の理じゃないですか。だから、わたしはちゃんと知っていたんですよ。いつか関ジャニ∞が離別を経験することになるって。
それがまさか、こんなにすぐで、こんなかたちとはおもわなかったけれど。

ふざけんなよっておもう、やっぱり。多分ずっと思うと思う。
そういう決断のこともそうだし、関ジャニ∞の嫌いじゃないくせに大事なくせにその事実をファンに知らしめた上で出ていくこととか、引き止められなかった関ジャニ∞のメンバーが最終的には背中を押すしかなかったこととか、だってどう考えても尊重するやんあのひとらならそれを知らないおまえじゃないだろうすばるさん、全部自分たちの言葉で話してだからこそまだ受け入れきれてないメンバーの顔をメディアに晒すはめになったこととか、彼らがいままでやってきた「関ジャニ∞」でいるための努力とか表に出てきていない存続の葛藤とか、関ジャニ∞でいるために諦めたこととか、なんかもう、いろいろ。いままで散々言及した、「関ジャニ∞の将来」とか年を取ったあとのはなしとか、全部うそにされたのがかなしい。はっきりと言うけれど、裏切りですよね。別に全然裏切ってもらっていいけど。だって、悪くない、すばるさん全然悪くない、知っているよそれは。けれど、わたしはこの脱退を、責任をもって「裏切り」と呼ぶ、でも錦戸亮ちゃんは「門出」と呼べばいいし、錦戸亮ちゃんが「門出」と呼ぶ以上は「裏切り」ですらないんだとおもう、ので。
怒る気持ちはひとつもないのに、でもやっぱり、ふざけんなっておもう。ほんとうは、めちゃくちゃさみしくて、ひたすら寂しくて、ずっと一緒にいてほしかった、ただそれだけなのかもしれない。さみしい。

でもね、わたしの大好きな人から、共に歩んでいく大好きなメンバーをひとり奪ったこと、ぜったいに許さないよ。

 

個人的には定期的に浮上する話題だったんじゃないかとおもう、そのたびに説き伏せて、なだめすかしてここまでやってきたのかもしれない、そういう気配はするけれど、そういう気配さえさせなかった、「ずっと」のむずかしさ、きっとわたしたち以上に彼らが知っていて、それでもここまでやってきたんだろう、とおもえば、これからだって願わずにはいられない。「関ジャニ∞」が続く限り、続く限りでいいから、わたしたちに楽しい景色を見せてほしい。たのしい時間を共有させてほしい、楽屋とか、全部とはいわないから。

 

▽「脱退」ということのはなし

「自分の経験した脱退で他人の脱退を語るな」を自戒のために掲げていたけれど、ちょっとだけ「自分の経験した脱退」で今回の脱退のはなしをさせてください。「自分の経験した脱退」に対してどういうスタンスでいるかを決められるのは自分だけなので、他人の意見を受け入れる必要はないことだけ肝に銘じてほしい。同様にわたしのブログに対してもよろしくおねがいします。
ところで、あのときも4月だったそうです。すばるさんが脱退の意思があることを最初に伝えた2月15日は、加藤さんが事務所の人のすすめで処女作「ピンクとグレー」の執筆を開始した日でした。あのとき、出ていった側の錦戸亮ちゃんが誰かを見送ることになって、「門出」と言う。あのとき見送った側の加藤シゲアキは、会議室から出ていくふたりの背中を一生忘れない、と言う。

いろんなことが過ぎって、過ぎっていくけれど言葉にするにはさいきんいろいろとサボり過ぎていたので、どうにもいかない、たくさん泣いて泣いて、ああ、引き止めることが叶わないつらさをどうしてわたしの好きな人たちは知ってしまったんだろうと嘆くしかできない。加藤シゲアキにとっての錦戸亮錦戸亮にとっての渋谷すばる。憧れ。くやしいなあ。と、言葉にできて、これくらい。

錦戸亮ちゃんのもとから人が去る、ということだけを考えてもとてもつらい、しかもそれがオタクに知れるところだから避けようがない。さみしい、さみしくさせないでくれ。

いろんなことを思うけれど、きっと「6人」の姿を見ていくうちにいろんな感情が変化していくんだろうと思う。わたしは、それを少しだけ楽しみにしている。たとえ、今日感じていることと全然違うことを思うようになったとしても、その都度その都度自分がきちんと感じたものなら、こわくない。未来も。

関ジャニ∞も、NEWSも、その物語を終えて閉じられていくとき、それがどんな終わりであれ、それを見届けて、わたしは自分のファンとしての人生を閉じたい。

 

 

▽自分の仕事のはなし

簡潔に言うと転勤で実家に帰れなくて4月の初めからほとんど毎日泣いている。に加えてなんかすばるさんがジャニーズ事務所辞めますとかいうので、涙腺が死んでいる。入社時と二年目のタイミングでそれぞれ配属が知らされるんですが、初年度は東海、今年度は伏せるけれど地方都市。共に実家から公共交通機関で2.3時間。そんなに遠くはない、けれども、通える距離じゃない。辞令が出て、しばらく経ってからじわじわと悲しみが押し寄せて、昼休憩ずっと泣いていた。親や職場の先輩に執拗に慰められて、余計に悲しかった。実家でもなく、ここでもないところへ行くのかと思うと、心が塞いで仕方なかった。夜通し泣いて、泣けてきて、自分でも思っていた以上にどれだけ実家に帰りたかったのか、思い知ったようだった。

あのね、ほんとうに実家に帰りたいの。社会人になってみてかえって「自立」の必要性を疑うようになった。「親孝行」と「自立」の境界線ってたぶんひどくあやふやで、実家に顔を見せるのが「親孝行」と言ったりするじゃないですか、じゃあ住めばよくない? 住んだら「自立」じゃなくなるからだめなの? なんだそれ。「孫の顔を見せるのが親孝行」と言われても、赤の他人に言われれば、ああ時代錯誤ですね、で内心唾を吐いて終えられるけれど、親に言われれば、わかりました検討します、となる。親が望むなら、転勤の可能性がある仕事、選ばなかったかもしれない。まあ最終受けるときには受かればここに就職すると決めていたので、内定出た後に「この業界で就活していました、ここに就職しようと思っています」と報告したけれど。あーーーかえりたいなーーーーーーーどこやねんここ、何県ですか? 大阪府ですか!? 違うんですか!? まじかよ! 仕事はクソなんですが、実家から通えるのならクソでも頑張れる、と思っていたから、実家から通えないとなると頑張れないですよね。ふつう。薄々もう帰れないかもしれないなあ、とも感じていて、えっもう帰れないって永遠ってこと? わたしがずっとこの会社で働いている限り? お母ちゃんのご飯毎日毎日食べれる生活がもう過ごせないってこと? きちんと家を出る覚悟をしなかった分しんどくて、実家出なくても就職できるような仕事たくさんあるのわかっていて、でも、いまの仕事辞めれるかって言われるとまだこの会社でこの業界の行く末を見届けていたくて、結局そういうのばっかりやん、っておもうわけです。仕事はくそです。くそだし泡のようだし理解もあんまり得られないし、でも、それ以上の果てしなさがある。でもやっぱりくそなんですよね、会社も、仕事も。だから、くそじゃない仕事をするために決断するさまざまなひとのことを、わたしは、尊敬する、だってそういうひとは仕事をくそとか言わないでしょう、すごすぎる。仕事のためにあらゆる決断ができるひとの覚悟を、それがどんな仕事のひとであれ、敬意を払うし、憧れる、でもわたしはそっち側にはいけない、し、何度生まれ変わってもいかないんだろうとおもう。仕事のために生きれないか弱いオタクは、オタクであるがゆえにときどき生きにくさに殺されそうになりながら、それでもオタクだから働くわけですよ。実家は京セラドームまで500円。現状最寄りのドームまで1万円とちょっと。オタクとして生きるために仕事をしているはずなのに働くことへの興味を求めようとしたらオタクとしての生きやすさから離れていく二年目。

わたしでさえ、家族という共同体からやりたい(ような気がするから選んだ)仕事のためにぬけたくもないのに半分抜け出してしまっているんだから、こんなに帰りたいのだから、と思うと、さみしい気持ちが増幅する。めちゃくちゃ良くしてもらった転勤前の職場でありとあらゆる人に「がんばって」「とにかく頑張ればいいことあるから」と励まされてしまったので、友達もいないような土地でも頑張らないわけにはいかないんですよね。

 

札幌? 行きますよ。

そのまえに宇宙にちょっと用事が。