「脱退」の泣き言を赦してほしい

ブログにもフォロワー限定公開があればいいのにね。お目汚し。

すっげえ暑いね、夏のツアーどうにか様々対策をしながら無理せず乗り切りましょうね。

楽しいのとさみしいのは全く別物で、どちらかの感情を否定しなきゃそれぞれ成り立たないものでもない。って、つくづく思う。たのしいけれど、すっごいさみしい。さみしいし、手放しで喜べる日々じゃないけれど、でもとってもたのしい。たぶんきっとそういう夏になるんだと思う。わたしの平成最後の夏。エイトもNEWSもアニバーサリーです *1

 

GR8EST初日公演の札幌公演に入ってから一週間が経って、名古屋公演のレポをツイッターで読みながら、どうしても泣けてきてしかたがなかった。どうしてこんなにいまさら、と思うほど泣けてきて、哀しくて、そうして今回めちゃくちゃ「引っ張っていく」と明言したのを体現しているかのようにたくさんの挨拶を任されていた、自担のことばをこわがっていることに気が付いた。

ツイッターのレポなんてその人の主観でしかないし、逆に言えばその主観こそが尊いものであり価値のあるものなのだけれど、声じゃない文字として、その声を聞いていない人がああだこうだと断定して理解しようとするのはとっても恐ろしいことであるのは承知の上ですので、錦戸亮ちゃんがどういう発言をしたとか、わたしがその発言に対して疑問を抱いた、とかそういうことではなく*2、ただひらすらに、こわい、とおもう。どんなことばでもこわい。すばるさんのいないコンサートに参加しているすばるさんのファンに向けたことばが、そっくりそのまま、わたしに刺さってくるような錯覚に陥っている。もう5、6年くらい経つけれど、あのとき必死にNEWSと乗り越えたと思っていた痛みに、とつぜん消毒液をぶっかけられたような感覚。気が付けば随分と前のことなのに、ふいに思い出されて、ばかみたいに全然つらかった。2018年のことばが2012年からのわたしに刺さってくる。いま、関ジャニ∞とNEWSとを比べたいわけじゃないし、それぞれの脱退を比べるつもりはひとつもないのに、どんどん自分のなかでそれぞれの脱退のつらさが混ざってきていて、時間が経つにつれ、このさみしさは、なんのさみしさなんだろう、とぼんやりしてしまう。なんだかよくわからないけれど、めちゃくちゃ苦しいなと思って考え込んでいるうちに気が付いた。ああ、たぶん、錦戸亮ちゃんが言っていること、それぜんぶ、わたしがあのとき誰かに言ってほしかったことばなんだろうね、きっと。誰かって、ほかでもないあなたに。

だから、錦戸亮ちゃんのことばを前にして、ふ、とわが身を振り返ってしまう。刺さってしまう。こいついつまで脱退引きずっているんだろうね笑うね。笑ってね。全部大好きなんだよ。

去ってゆく人がなんにも言わないように、グループを存続させていく側が、たくさん寄り添うような*3ことばを掛けてくれるから、さみしさに泣く人たちも、ときどき笑顔になれて、なんとかさみしさで潰えてしまったりしないのかもしれないなあと思った。改めて、そういう風に気遣って、支えて、引っ張っていってくれる彼らの優しさと強さを思い知った。彼らだって同じように受け入れてきたんだろう、と思えばなおさら、ファンは随分と甘やかされていると知る。

札幌公演が始まる前、飛行機が遅れたりグッズが買えなかったりでいろいろバタバタしていたのだけれど、公演前に座席に座って双眼鏡を用意しているときに、これが始まったらもう7人には会えないのか、とふいに実感してしまって、もうすばるさんはいないのか、と思って、急にたまらなくなって声を上げて泣いてしまった。本当にもう、正真正銘の「6人の関ジャニ∞」なのか、と思ったら、「戻れない」という感覚のとてつもなさに怖くなった。まだもうちょっと未練があった、いや全然めちゃくちゃ未練ならあったけど、これからさき、一瞬だって「7人」には戻れないのかと思ったときにこみ上げる異様な喪失感の対処法をわたしは、まだわからないでいる。それはこれからさき、身に付けることができるものなのだろうか。一瞬だけでも戻れるのなら、それを知っていたら、きっと泣かずにいられたんだろうけれど、時間は不可逆だからできないんでしょうね。どうしたらいいんだろう。わっかんね~~~~。

たくさんの曲たちを、殺さず生かしてくれてありがとう。いつもなんでか、立ち返るのは、そういうところだったりする。「HappyBirthday」の歌いだしの錦戸亮パートを歌いたいと立候補したことを話してくれたシゲアキさんの覚悟、なんでかいまになって身に染みて実感したりした。あのときのわたしは、ただひたすらに嬉しいだけだった。覚悟。気概。ありがとう。

 

 

ねえ錦戸亮ちゃんあなたの脱退から何回泣いても、何度泣いても、全然さみしいままなんだけれど、どうしたらいいかな。「4人のNEWS」は受け入れられても、あなたがもう二度とNEWSの曲を歌わないことにいつだって絶望しています。永遠に戻れない、過去にしかない不可逆な存在だからこそ、NEWSの錦戸亮にこれだけ焦がれるのかもしれない、と思いながら、でもやっぱりその喪失感をうまく諫める方法をわたしはまだ見つけられていないのでどうしようもないです。NEWSのコンサートにあなたの面影を見つけることが難しくなってきてしばらく経ちますが、なんでかいまだに、あ~~4人だ、と思い知って打ちのめされることがあります。これがあなたがNEWSにいた証拠であるのなら一生打ちのめされていたいけれど、4人のNEWSとの思い出が増えていく以上はそういうわけにもいかないのかな。どれだけ泣けば整理できるんだろう、錦戸亮ちゃんの懐の深さを思い知らされては惚れ直すばかりです。青春なのかな~~~。昔のことばっかり輝いているような、そんな毎日はいやだ~~と思うけれど、でも正直はっきり言って、2018年の錦戸亮ちゃんはわたしにとってこの世に生きとし生けるもののなかで一番最高の存在なので、いつだって毎秒錦戸亮ちゃんが世界一だよという気持ちです。いやまじで。わたしの好きな彼らの容姿の良さってほんとうに、ときどき暴力的でさえあるよね、どんな場面においても顔の良さが際立って仕方ない。わたしはわたしの好きな「顔」を信じますね。

「わかる」なんて絶対言わないけれど、わたしがNEWSのコンサートでときおり感じる「さみしさ」とか、なんでここにいるんだろうという我に返る瞬間とかを、これからさき、すばるさんのファンが感じるのかもしれないと思うと勝手に苦しい。大好きなグループに大好きな人がいないさみしさ、立ち直れないわけじゃないけれどまっすぐ前だけ向いては歩いていけないうしろめたさ、みんなで大事にしていけたらいいなあとおもう。そういうおぼつかなさも彼がいた証拠なんでしょう、きっと。

わたしも勝手にいつまでもときおりぐずぐず言いながら、それぞれの彼らが歩む夢の終焉まで一緒にいたい。さみしいさみしいと言いこそすれ、彼らが魅せてくれるであろうこれからを疑う気持ちはひとつもない。うれしいやらさみしいやら、よくわかりません。すきです。これからさきもネット上で度々泣き出してしまうかもしれないし、いつまで経っても泣き言を言うかもしれないけれど、「いま」を否定したいわけじゃないから、なるべく笑って許してくれるとうれしいです。

 

 

 

 ※え~い、と勢いで公開します。GR8EST BEBYは成長しませんがこのブログは変容し続けます。いつのまにか加筆修正されているかもしれません。悪しからず。

 

*1:厳密に言うと違うけれど別に厳密に言う必要もたぶんない

*2:そういう意味で言うのなら全面的に言葉に含まれた優しさ気概かわいらしさをまず肯定して賛美している。やっぱりめちゃくちゃ「可愛い」人だとおもうので

*3:錦戸亮ちゃんのあれを寄り添うというのかは知らないけれど、けれどあれだって歩み寄りでしょう)