命を懸けて歌うわたしの平成最後のアニバーサリーたち/2018年夏

 

現場台風現場台風の繰り返しで洗車できないまま夏が終わりました。先日更新したこの夏の遠征費まとめ(は以下のリンク)で言及していなかった、わたしのそれぞれの現場への所感まとめです。主に自分のための覚書になります。

 

moyashi1984.hateblo.jp  

目次

 

 

 

基本的に「レポ」という体裁をとることを諦めていますのであしからず。感想文。

関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST」

自担がひげを生やしたまま駆け抜けた思い出のツアーです。そうだっけ?

直近のシングル「応答セヨ」で始まり(ツアー開始時は)未発売の「ここに」で終わる、良いコンサートだった。生きていれば何度でも「torn」を見られるのかもしれない。やばすぎる。横山さんの歌う「ズッコケ男道」は、たまらなく希望でしかなかったよ。はあ、にしたって「NOROSHI」の錦戸亮ちゃん、すばるさんのパート引き継いであんな風に歌うんだからもうどうしようもないね。天才です。

始まれば7人にはもう会えないのだと思って泣いた初日開演前から、さまざまなことを考えているうちにオーラスを迎えて、オーラスかと実感したとき、これが終われば次のツアーは正真正銘「6人」なのかとどうしようもなく泣けてしまった。個人的には驚くほどにすばるさん不在への違和感を抱かなくなっていて、つくづくどれだけ自分が自担しか見ていないのかを思い知らされたりもした。と同時に、それはあまりにも薄情すぎないかと自分がいやになる。でも、きっとそれよりもそれぞれの未来に対する祈りのほうが大きくて、参加した札幌大阪名古屋と順にやすくんが動けるようになってきたのが見られたのも大きかったかもしれない。きっとなんの心配もいらないんだろうな、と思えた、あんな風に全身全霊を掛けて歌う彼らを見て。

ああ、それ、その全力で歌う姿勢が、彼のいるときにも当たり前のようにあったのならなにか違っていたのかなあ、とほんのちょっぴり脳裏を過ぎった疑念は、答えをもらえるものでもなくただのさみしさでしかないんだろうとは知っている。けれどきっと、これからさき、このツアーのように全身全霊を掛けて彼らが歌う限り、彼らの未来は絶対に安泰だろうと感じた。安泰という言葉ほど安泰ではないだろうけれど、揺らいだり揺らがされたりしながら、それでもきっとそのときどきの最善を尽くしてくれる、はず。

彼らが再三繰り返していた「6人の関ジャニ∞を見るのが初めてっていう人もいると思う」と、その初めてのひとたちに懇切丁寧に説明をしていく姿勢にはいつも胸を打たれた。複数公演入っているひとたちには、そういうムードはもう必要ないと感じるひとだっていたと思うけれど、そうはいっても、これは6人で初めてのツアーなのだ、と彼らが毎公演実感していた証なんだろうと思うとたまらなかった。複数入る人間がもうええやろ、と飽きるくらい頼むからずっとずっと初めてのひとに向けて同じように挨拶をしてくれ、頼むから、とずっと祈るような気持だった。せめてこのツアーだけは。

「自分の好きな人を見失わないで」とか「誰とどんな夢を見るかは自由」などという言葉を自担から聞いて、なんだかもうたまらなかったのはこちらの事情なのだけれど、見失わなかったからこそわたしはこの夏をこういう風に過ごしているんだと実感した。TLの外がきゃーきゃーうるさかった週刊誌に載るようなさまざまなこと、あちらは悪意や自己顕示欲でもって最悪のタイミングを狙い発露するのだとは知った上でそれが事実であろうともなかろうとも、わたしが彼を好きでいるのに必要な要素にはひとつも影響を及ぼさなかった。これを「信頼」と呼ぶのかもしれない。事実であろうとなかろうともし仮に少しでも彼自身に非があったとしても、それをファンのわたしが気に病む必要なんてきっとひとつもない。わたしが好きでいた彼の仕事っぷりはひとつも揺らがない。本人がわたしたちに見せてくれるものも、週刊誌が暴露することも、どちらもわたしにとっては100%それ以外の事実や事象はどこにも存在しないと言い切れるような代物ではなくて、だからこそわたしは、わたしが信じたいものを選びます、わたしの感性で。もし彼に悪いところがあったのだとしたらきっとそれは彼自身が自分で反省してくれるだろうし、という信頼があるので、こちらは正々堂々と「どうでもいい」と一笑に付すだけです。

一番最初のてろてろした生地のスーツが最高に好きでした。あと「BJ」のときの横長ぶちぬきのモニター映像。純粋に錦戸亮ちゃんの顔の良さに死にかけていた数々の公演。ほほえみコンビの視線で笑うさまに敏感に殺されるタイプのオタクなので、バンド時に目線があんなに合うということにいろいろな意味で情緒を殺されてしまった。細かいことはツイッターで散々言い散らかしたので、このツアーに対するわたしの所感だけ述べておく。

オーラスでの錦戸亮ちゃんの挨拶、泣きそうだったとかそうじゃなかったとかは本人にしか分からないものだと思うし、つまりはこちらの知る由もないことであるのだけれど、なにかを考えていたことはたしかだろうとおもう、わたしは彼を見ながら、なにかを言葉にしたら泣いてしまうんじゃないかと思っていた。沈黙があんなに濃密であること、日常でそうそう思い知らされるものじゃない。彼が沈黙を沈黙のまま、かえって雄弁なもののままにしておけるような時代であればいいと強く願います。

そういえばあの曲間に叫ぶ異文化はいつになったら滅びるんですか? 

  

「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 "Strawberry"」

味スタ2公演。自名義が落選して絶望していたなか、心優しい方にお声がけいただいてなんとか参戦できたこと、きっと一生忘れないと思う。わたしのなかでは特に、馬鹿みたいに愛着を持ちながらそれでも馬鹿みたいに手放せなかった2011年の「脱退」が、なんでかこのタイミングでぜんぶ「あーーーもうぜんぶいいや!!!!!充分報われた!!!!!!」と思えた魔法のようなコンサートだった。きっともうNEWSのコンサートでもさみしくならない気がする。一生哀しいままかもしれない、と覚悟を決めていたにしては、あまりにあっけなさすぎるけれど、それでもいいと思えるくらい充分報われたという気持ちのほうが大きかった。時間に解決させてたまるか、と夜な夜な泣いていたあのころのわたしに、屈託なく自慢してやりたい、あのころには到底想像もできなかったような未来を彼らはこれからも手に入れ続けていくんだと。そうして、そこには、変わらずにあのころの歌がある。

4人以前の曲と4人での曲とをごちゃまぜにして組まれたセットリスト。一番良い夕暮れの時間に、4人でドームに立ったときに思いついたというそれぞれのツアーでのメンバーカラーの衣装を身に纏って歌われた「share」と「エンドレスサマー」。「特別」と思えることをたしかに共有してきたんだと実感した。15周年の記念の場で「脱退」という言葉は一度も聞かなかったけれど、それがすべてだろうと思った。充分だった。ただただ、とにかく楽しかった。本当に楽しいと満足する気持ちだけが自分のなかにあって、たまらなく幸福だったと、なんどだって噛み締めている。あのころめちゃくちゃ憎んでいた「フルスイング」を目の前でシゲアキさんが初めて見るくらいに全力で歌っていて、なにもかもがどうでもよくなった。好きだという感情以外もうどこにも残っていなかった。

隅から隅まで楽しいしかなくて、そりゃまあ6月くらいはいろいろ思ったけれど蓋を開けてみれば最高に楽しい夏のコンサートとドラマと主題歌が用意されていて、それがまあ、ほら、びっくりするくらい夢中になるほど楽しいコンテンツだったんだから、この「好き」を信頼する以外に手段がなかったわけです。「信頼」については上の項目でもすでに書いた通りなのでそちらを参照してください。

初日の開演前、洋服がびちゃびちゃに濡れて乾かなくなるほどに汗をかいて並んだグッズ列を経て(Tシャツは買えなかった)、開演前にスタバで開いたパンフレットに「あなたにとってNEWSとは?」という問いが載っており、それに対してシゲアキさんが「終わらない青春」とが答えていて、同行者と読んで絶句した。「永遠なんてない」という言葉が脳裏から離れない夏だったせいだと思う。そのあとの味スタ公演最後の曲、まだ発売されてもない、ラジオではラジオエディションとしてしか流れていなかった『「生きろ」』の二番の歌詞、小山さんが「終わりなき青春」と歌ったときの、あの、言いようのない激情。忘れられない。

「BLUE」で始まり未発売の『「生きろ」』で終わる、これもまた良いコンサートだった。 

 

「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」

「生きていてよかった」とあんなに素直に思えたのは人生で初めてだった。

前日の福岡公演で稲葉さんの声の調子がよくなく公演が中断したのを知っていたので、たまらなく不安な気持ちで博多に向かった。前回入った公演も、12月30日の名古屋公演、声の不調があった翌日だった。何の因果なんだろうとぼんやり考えながら猛暑のヤフオクドーム。開演が30分押した。ぐっと堪えて待つ、ただひたすら待つ30分だった。

B’zのことを話そうとするといつも自分の半生も振り返ってしまう。生まれたときからずっと聴いていたんだろうと思う、父親が運転する車中でずっと流れていた。おかげで昔は聞くとめちゃくちゃ眠くなった。いまもときどき寝れないときに延々と流して寝落ちたりする。ただ両親共にコンサートに足を運ぶタイプではなく(少なくともわたしが記憶している限りでは)、わたしにとってはB’zのコンサートは遠い世界のはなしだった。行きたいとも思ったことがなかった。それがまあ、すくすくとジャニヲタとして育つうちに「行かずに死なれたら後悔するのでは…!?」と思い(失礼な話だけれどだって二人ともわたしの両親より年上だったから)、親を誘って参加したのが2013年。あれから5年。半生のはなしはこの辺にして。

関ジャニ∞が6人になる未来をまったく想定していなかったので、このさきの未来なにがあってもおかしくない、と変に不安に思う思考がぐるぐるとしていて、そうした流れのなかでの30分は一人で過ごすにはあまりにもこわかった。

という冗長な前置きが、ね、全部馬鹿みたいに思えるほど、ただただ「最高」を思い知らされるだけのライブだった、というはなしなんですよ。実際は。幕が開いてみれば、もう全部が杞憂だったんです。4曲目くらいの「裸足の女神」まではたしかに全然声が出ていない箇所があって、そこはまあなかなかつらかったんだけれど、「裸足の女神」でめちゃくちゃ急加速していって、そこから終演までとんでもなかった。喉の不調は未来を憂うものでもなんでもなかった、声がどうであれ、惜しみない歌だったし、その惜しまなさはいままで見てきたものとなにひとつ変わらなかった。ステージの端から端までそれぞれが走り回って、魅せるものの持つ熱量が、変わらず最高だった。喉の調子が本調子でないことを謝りながら、本来ならこちらがみなさんに元気になってもらうライブという場で観客にパワーをもらっていることを改めて実感した、これからさき歌で恩返ししていく、と稲葉さんが話していて、最高な未来を約束されてしまったことに気が付いてどうしていいかわからなかった。変わらない安心感がやっぱりちょっとだけ、欲しかったんだと思う。大好きなものが変わらずそこにあることの大きな喜び。プレジャー。

あのときやあのとき、さまざまな瞬間に自分を支えてくれていた昔の歌が、ああして目の前で披露されるたまらなさをどう伝えていいのかわからないけれど、わたしはステージを観ながら「ああ、生きていて良かった」とただまっすぐそう思った。金銭的な問題や一番と決めているアイドルの現場とすさまじく被り続けていた公演日や転勤の関係、そもそも落選ばかりだったこともあって半分くらい諦めていたのだけれど、それでもどうにか参加できて、本当によかった。協力してくださったみなさまほんとにありがとう。おかげさまで最高な夜を過ごせました。あんなに最高な瞬間がこの世にあっていいのか。

はあ生きていて良かった、生きて稼いでB’zのライブに行けばあんなに最高な時間が過ごせるんだからこの世はすごい。「松本さんも稲葉さんも頼むから長生きしてほしい。頼むから長生きしてください。(24歳会社員女性)」

 

 

関ジャニ’s エイターテインメント GR8EST in Taipei」

鬼気迫る日本でのそれとは少し違っていて、初めての海外公演を楽しもうという雰囲気で満たされていた公演だった。たのしかった。日本と台湾との違いに敏感になっているネットの気配はありますが、強いて言うのなら、丸山さんの一発ギャグにアンコールが起きたのが一番の違いですかね……。有無を言わさない「もう一回!もう一回!」の愉快なやばさを伝えたい。めちゃくちゃ笑ったので。あとはまあ、いつも通り楽しい関ジャニ∞ですよ。セトリは全然変わってない! 大幅変更とは! みたいなところあったけれど、まあ、関ジャニ∞ですからね。「ここに」が外周回る曲になってて泣いた。ぎゅってしててほしかった…。背中合わせすりすりするくらやすはちょうかわいかったけど、大倉さんとやすくんの身長差ってあんなにあるねんな…といつ見ても新鮮に思う。錦戸亮ちゃんの牛乳のくだりは全編可愛かった。お察しください。村上さんの「謝謝」には台湾中の可愛いが捧げられてた、2日目に村上さんが恒例の「子どもエイター!」「男エイター!」「おんなエイター!」の流れをしていたんだけれど、子どもと男には「謝謝」とお礼を言うのに女に対しては「謝謝」言ってくれなくて観客が「謝謝言って~~!!!!」みたいな感じでそれぞれが声を上げて求めるのに村上さん全然分かってくれなくて「おれにはおれの段取りがある」とかいって次の進行し始めたのは、思い出すと笑える台湾一の思い出です。あの場にいる客の気持ちがひとつだった(はず)。

「ズッコケ男道」で錦戸亮ちゃんが良い顔をして「横山裕~~~!!!!!!」と叫んだあの瞬間を思い出すと、おくちがもごもごしてしまいます。にやにやの間違いですね。あの瞬間に同行者と二人して崩れ落ちたのも台湾一の思い出です。まあどれもべつに「台湾」じゃなくても見られたと思う、ような気もするので、結局はどこだって関ジャニ∞がいさえすれば最高なんですよね。きっと。最高をこれからさき、いろんな場所でいろんな人に見せつけていけたらいいね。いろんな場所に連れて行ってくれ!!!!!!! 頼むよ。もちろんたくさん笑って生きていこう、長生きしてくれ。

 

 

 来年も再来年も笑って悔いなく「生活」と「趣味」をがむしゃらに生きていけるように、いつだって胸を張って好きな人に会いに行けるように、すこしずつ日々を頑張って生きていこうと思います。わたしの好きな人たちが好きでステージに立つことを選んでくれる未来が続きますように。この夏生まれ変わったような気持になりました。心機一転。改めて錦戸亮ちゃんが好きです。*1

宇多田ヒカルの「あなた」でも歌いましょうか?

 

 

 

歌いにじゃないけど、たぶんまた追記しにきます。

 

 

【追記】2018年10月7日

以下、わたしの心の整理がつきましたというだけのおはなし。

もう充分に報われた、と思う。あのときどうしたって哀しいとしか思えなかったのが夢のように、遠い昔のことだったかのように、なんとも充実した夏だった。いろんなことを考えて、それでもいまここにあるものがすべてだ、となんども思った。いまここにあるものがすべて、いま胸が躍るこれが、これだけが答えだろうと思う。わたしはわたしのペースで答えにたどり着いて、あの「脱退」から一歩抜け出せた。やっと。「報われた」って感情自体がそもそもなんなんだという。

情けないくらいにずっと引きずっていたんだ、とわたしは最近やっと思い知った。そのあまりの情けなさに。NEWSを好きでいるうえで2011年の「脱退」の文脈をなくして見ることができていなかった。意地でも手放したくなかった。誰もが忘れていっても自担が歌い踊った曲たちのこと、彼らの形容しがたい空気感さえ、ひとつも忘れたくなかった。いつかあの日々が「若いころの苦労」になったとしても、美化されていく過去にしかならなくなっても、誰にも言及されなくなっても、それが良いことなのか悪いことなのかはさておき。そうしたなかで、すばるさんの脱退が、わたしにとって、あれほどのものではないのかもしれないという実感を得た。こんなにつらいのに、あれほどじゃない、という実感。自担が、わたしの信じる人がはっきりと言及するのかどうかの差。言及する人としない人。

錦戸亮ちゃんがあのとき選んだ未来のさきにあるのが今年であり、あのときNEWSの4人が存続させた「NEWS」というグループのたどり着いた15周年が今年だった。今年以外の2018年はどこにもない。紛れもなく「最善」だった、といまだからこそ言える。言い切れる。言い切ってやる。言えるようなあの日からを彼らはたしかに歩んできた、と、ファンとして認めたい。そういう気持ちにさせてくれたのは4月15日からの関ジャニ∞だったような気さえする。たぶん、ほかのだれでもない錦戸亮ちゃんだった。

ここまできて、ここまできてもなお、それでも自分の脱退について明確に言及しない。時系列、感情、グループとしての在り方、メンバーとの関係性。なにひとつとして、自分のあの選択の正しさを示すように言及したり、くらべたり、しない。「永遠」。あのとき彼が選んだのは「永遠」だったのかもしれない。どうしたってその「永遠」を手に入れてほしかったなあとおもうと無性に悔しいし、すばるさんのことどうしたって、錦戸亮ちゃんのとなりからいなくなったこと、その一点においてのみ絶対に許せないと思う。けど、まあそれはそれで、彼だってあの選択が「最善」だったと思わせるような未来にいつか立つんだろう、といまのわたしなら思える。錦戸亮ちゃんがほかの「永遠」を手に入れられる日が来るのかどうかは、誰にもわからないけれど、それでも。

「時間が解決してくれる」なんて言い回し、大っ嫌いだし、あの日から時間になんか解決させてたまるか、と思っていた。そのうちに、時間はただ時間として漠然と過ぎるわけじゃなくて、そのあいだに、考えていく日々、積み重ねていく年齢や思い出とか新しい景色とかいろんなものをもたらしてくれるのか、と気が付くようになった。でもやっぱりそれは「時間」のおかげじゃない。戻らない時間のなかで表舞台に立ち続け頑張ってきた彼らのおかげに他ならない。時間は癒してくれないけれど、傷失くしては得られなかったような未来はたしかにある。2018年彼らが見せてくれたステージのどれもが素晴らしくて楽しくて覚悟に満ち溢れていて、もうそれだけで充分だ、と何度でも思った。

2018年15周年の味スタのセトリ。4人からの楽曲が鳴ったときの高揚と、相変わらずイントロが鳴った瞬間に息をのんでしまう4人以前の楽曲への言いようのない感情とが、交互に訪れて、笑っちゃうくらいわけがわからなかった。泣いて笑ってのアップダウンの激しさよ。ああでも、でも、あのセトリのおかげでたまらなくただひたすらに好きだな!!!! と気が付けた。楽しかった。楽しかったんだよ。 それに馬鹿みたいだけれど、15周年のあの場で2008年、10年前に自担の書いた歌詞が歌われたこと、すごくうれしかった。「信じてきたモノ」「譲れない部分」ただそれだけのはなし。*2 何度だって自担のあの歌詞に慰められているような気がする。2018年になっても。15年、わたしが見てきた一部だけでもたしかにいろいろあって、でも、もう『「生きろ」』のはなししか出来なくなるような、「夜よ踊れ」のはなししか出来なくなるような、形容しがたいエネルギーをもたらした公演を浴びてしまって、「脱退」と蹴りをつけよう、と決めることができた。それが必然であるかのように、あっさりと。多少の疲れはあったのかもしれない、続いていくグループのなかにいない姿を見てしまって傷つき続ける不毛さに疲れてないといえばうそになる。それならそれでも、もう、よかった。

揺らいできたこの数年間に感じたさまざまなこと、もう今では感じなくなったようなこともたくさんあるけれど、それらを全部経て、それでもファンとして食らいついていたからこそ、この清々しさにたどり着けたのだとちょっとだけ胸を張りたい。NEWSがすきです。いままでNEWSを、4人のNEWSを好きでいる理由の4割くらいを錦戸亮ちゃんがいたことを理由にしていたけれど、これからはぜんぶシゲアキさんがいるから、ってことにします。そろそろ「脱退」とお別れします。事実はなくならないこと、知れたので後悔はないよ。いままでありがとう。

まあ、第一週の金曜日の仕事終わり、18時を過ぎて西の空にほんのり明るいのが見えるくらいでそのほかはすっかり夜になった景色のなかを帰宅しながら、ぼんやり聴いていた全曲シャッフル機能が「秋の空」を流したので、さすがにたまらなくなって、というかそこまで考えるまでもなく「7年」と思い出してただ泣けてきてしまってどうしようもなかったので、そうはいっても、このどうしようもなさはきっと続くんだろうと思う。

「君の未来に幸あれ」と、何度でも歌って祈りたくなるような未来が続くことを、祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:そういえば、台湾でスタンド最前の人や目が合った人に対して、フランクに手を差し伸べたり握手したり感極まる様子をみて「どしたん(◞‸◟)」みたいな顔をしたりする錦戸亮ちゃんを観ながら、これからもああいう気安い立ち振る舞いをしてもらえるような「ファン」でいたいなあとぼんやり思いました。ファンサということではなく。「ファン」という距離感として失望されたくないよなあ…。

*2:このタイミングで聴く15周年メンバー作詞曲「Strawberry」はさすがに笑えるくらいたまらないので、わたしは「Strawberry」を聴いて改めて「最善」だったと言いたくなった。いやまあ「最善」はあれかもしれないけれど、「Strawberry」を「最高」と噛みしめているのは事実