2020.11.03/一年経って思うことのはなしとか

 独立1周年(過ぎてるけど)、36歳のお誕生日記念(過ぎてるけど)、で、今思ってること全部ぶちまけとくか、どさくさに紛れて、みたいなブログ。全文ほとんど茶番です。

 

 

 錦戸亮ちゃんお誕生日おめでとうございます。毎年、本当に好きだなと思って、けれど本当に好きだという気持ちをどれだけ書き記しても足りないような気持ちにもなりつつ、なんとなく不安になりながらこの日を迎えているような気がします。毎年の恒例行事。この一年をわたしがどんな風に暮らしていても、彼がどんな風に今日を過ごすのかを知らなくても、そんなことは関係なく、いつでもわたしの感情の大きな部分を彼が占めていて、それはもうこれから先も多分変わらないんだろうな、とわたしが改めて実感するのも、毎年の恒例行事なのかもしれないです。ああ、本当に惰性じゃないんだなあと毎年実感する。

 

 そうは言っても、今年は例年通りというわけにもいかなくて、正直こういう感じでよかったんだったっけとしっくりきてないところもある。なんかめっちゃ大事なこと忘れてるんじゃないかみたいな、どう喩えたらいいのかもわからないけど、今までなら興味はあっても実際には触れる余裕のなかったような、絶対面白いのわかってるジャンルの刺激強めコンテンツで誤魔化して生きてるみたいなかんじ。いやまあ実際結構そんな感じなんですが。刺激強めのコンテンツの浅いところで泳いで消費して暮らして、何かに必要以上に肩入れするのを無意識で拒んでいるような、それが悪いって言ってるわけじゃないんだけど、でもなんかこれじゃないんよな、みたいに思ってる、のがなんとなく歯痒い。

 いやまあ、この世には自分の見てこなかったクソほど面白いものがたくさんあって、浅い部分に触れるのだけでも最高に楽しいのがわかるコンテンツに実際に触れて新しいものを知れることはすっごく楽しいし、死ぬほどときめく、そうやってこれから先何年でも暮らしていきたいと思ってる。でも大丈夫ですか、それ錦戸亮じゃないけど、みたいな。刺激強めのコンテンツにずぶずぶでいられるくらい心の余白があるんだなって。柔軟と呼べばものすごく聞こえが良くてそうある自分も楽しめはするけれど、それがちょっと寂しくて物足りなくて、物足りないとか言いつつ自分から何かを積極的に追って摂取する気にもなれなくて、でもそうじゃないものばっかり見聞きして、みたいな。あれ、もしかして、別にもう、そんな好きじゃないんかな、みたいな。どんなふうにして夢中で、そのほかは見られないくらい夢中でいた毎日を過ごしていたんだっけ、思い出せない。

 好きと好きじゃない、嫌い? 嫌いなんてことはあるわけない、今まで以上に自分の心を精査して、本当に好きか? 本当に? 惰性じゃない? と何度も問うて、そうして今日を迎えている。今日のわたしは彼のことが好きで、それは確かで、それをはっきり自覚する瞬間がない時でさえ、そういう感情が自分にあることを大前提に生きていて、でももしかしたらいつか、来年とか再来年とかもうちょっと先の未来ではそうじゃなくなってるかもしれない、わからないなあと思う。わからないことを悲観する気持ちはないし、未来の先で自分が変わっても、今日こうして生きていることは事実なので、実際そこまで思いつめてもいない。でも今日、心臓が千切れるほどのあのたまらない感情を思い出せないでいる。「好き」ってどんなふうな感情を言うんだろう。わたしはずっと、双眼鏡で覗く先に彼がいる、彼だけを目が追うあの時間に抱く感情を頼りにしていたのかなとも思う。あれが欲しい。

 

 というか、普通にこの状況で今までと同じ感情のスタンスでいられるわけなくない? ありとあらゆるものが今まで通りにいかなくて、誰のせいでもないからしょうがないと諦めることが自分の中で積み重なって、100楽しくないわけじゃなくて70くらいは楽しく生きていられてるんだけど30がどうしても手に入れられなくて、その過去にあった30がたまらなく恋しい、それがなんとなくモヤっとした気持ちを生んでいるのかもしれないな、とも思うし、だとしたらわたしのせいでも錦戸亮ちゃんのせいでもなくない? わたしに全然違う7人組アイドル勧めてきた妹のせいじゃない?(終わり)

 

 過去にしかないもの、例えばグループとか、例えば隣の人とぶつからないように双眼鏡を覗くあの距離感だとか、無防備さとか、現状の社会情勢が一年前のように戻れば、もう一度体験できるものばかりなんだろうけれど、それでも本当に過去にしかないものがあることを知っているわけじゃないですか。錦戸亮ちゃんは独立していて、関ジャニ∞は5人。NEWSは3人。そういうものに対する感情に全然ケリをつけられないまま、時間が経てば経つほど、かつて自分を狂わせたあの感覚を思い出しては恋しくなってしまうのかもしれない。今が嫌とか戻りたいとかじゃないんだけど。戻りたいとも他の未来があったのかもとか少しも考えないのに、今だって現在進行形で進んでいるってこと、わかっているのに、変な感じだな、と思う。

 これは自覚していながら、なんとなく口にするのも憚られるようなことだったんですが、多分もう、これに尽きると思うんですよね。結構傷ついているんだと思う、好きな人たちが同じグループにいないこと、を、受け入れて生きることに。選択は選択、おそらくこれからその選択が正しかったと思わないわけにはいかなくなる未来がやってくる、そうやってわたしも彼らも生きていくんだろうけど、正直それをそうですよねとあっさり飲み込んで暮らすにはちょっと、ちょっとだけ好きになり過ぎた。あ〜〜〜。ままならない。普通に「失恋」だなと思って暮らしてる。彼らへの恋を失ったんですよね、多分。たったそれだけのことをえらい大仰に書いてるなっていうのは、わかる…。じゃなきゃこんなに凹んでいる理由が説明できない。どれだけの感情があれによって成り立っていたのか、今になってまざまざと自覚されられて、しまって、います。はあ、二度目の誕生日ですね。

 受け入れるのにどれだけの時間がかかるんだろう。もう少しは掛かるだろうな、ずっとこの感情と一緒に暮らすのか、そうかあ。ここ最近はどんな感情もなんとなく誰かと分かち合えるような感じで慰め合うじゃないけどわかるよと言えることが多くて、結構そういうのって救われるんだな、と思っていたところです。救われたいわけじゃないけど、でも多分救われたいんだろうな、報われたいのかな、この世にある全てのユニット曲が羨ましい。と思わず打ち込んでしまう自分がいることにちょっとダメージ受けてしまう。そういうのぜんぶ分かってくれるわたしがもう1人欲しいな、と甘ったれたことを思ってブログ書いています。わかるわかる、つらいよな、つらいなんて思うことさえつらいのわかるよ、しょうもないことに心を砕きすぎでは? うけるね。この話はこれくらいにしとこうね。

 

 

 ところで、以上ぐだぐだ述べたところで、この世に錦戸亮ちゃん以上にわたしの心を奪うものがあるわけもなく。独立してから、死ぬほどかっこいいし、死ぬほど最高なスタイリングだし、見た目!ビジュアル!顔!最高!!!これに敵うものはない、はあ、最高、と噛み締めて生きてる。いつだって今が一番かっこいい。かっこいい、好き、1人だから当然なんだけどパンフもブックレットも開いたら錦戸亮ちゃんの写真しかなくて、当たり前なんだけどめちゃくちゃ好きな人しか載ってないのやばくない? いっぱい人が載ってるのもいいんだけど、まだ1人しか載ってない紙媒体を手にする感覚に慣れてなくて、あまりにも新鮮で、ドキドキしてる。開いて、わあ、ってなって、閉じて、また開いて…。寂しいと新鮮はセットなんだなあと思ったりしています。寂しくてたまらない自分がいるのに、新鮮でわくわくする自分もいる。

 錦戸亮ちゃんを好きでない人生にもう多分きっと戻れなくて、未来にはなくて、そういう人生ももう過去にしかないんだな、と思う。過去にしかないものは多分たくさんあるんだろうな、あれだってたくさんあるうちのひとつでしかないよ、大丈夫、言い聞かせるような感じで暮らしていくことになるんだとおもう。

  錦戸亮ちゃんのどこが好きなんだろう? と時々考える。言葉で表現するなら「全部」と答えるのが一番しっくりくるんだけど、なんとなく、わたしは錦戸亮ちゃんの内々のことにはさほど興味はなくて(表立っていないことが彼にもあるのだと想像することそれ自体ではなくて、あくまでその事柄自体にという意味で)、彼が「錦戸亮」として発信していくものが好きなんだろうなと思う。見せたいと彼が思うものだけを見ていたい、発信される言葉や曲やそれらの見せ方が好き、それらに価値があると思う、ような気がする。一番好きなのは顔だけど、だからかな、顔が好きだから余計にそう思うのかも。ま、それがよくわかるようになるのが独立の醍醐味ですしね。そういう意味では結構満喫している感じもする。堅実な数字があって欲しいなと思う一方で無駄に競う必要もないのだと気がついたのも自分の中では結構な発見だった、ので、わりとふんわりしていられるのかもしれない。ありがたいね。

 ありがたい、今日もこうやって錦戸亮ちゃんのことを考えて、いろんなこと思いながら好きだなあ、と考えていられる時間があること本当に幸運だなと思っています。ぜんぶ錦戸亮ちゃんがいたから発生している感情なんだってこと、実感して、毎日、錦戸亮ちゃんが健やかに暮らしていますようにと祈っています。美味しいご飯食べていて、とか、健やかに眠れていますように、とか、結婚して幸せに、とか、ついつい言いがちだけど錦戸亮ちゃんにとっての幸福が何かはわからないので、そもそも健やかに生きることを彼が望んでいるかもわからないし…と思ったけどなんとなく健康を祈っていることは多いなと思うので、わたしもファンとしてそれを祈ることにします。今年も一年できるだけ元気でいてね。