「Tokyoholic」の話
つい先日オーラスを迎えた、関ジャニ's エイターテインメントでの個人的な最大のサプライズだった「Tokyoholic」。錦戸亮の立ち上げたセッションが誰も想像していなかったかたちに進化して歌詞のある曲として披露された、札幌初日からの14公演を終えても、音源化が決まっても、ああだこうだ言うのが止まらないのでいっそブログに吐き出します。「ゲッツ出の新規」になりたい気持ちが止められない、げろげろに自担に惚れこんでいる、もともとない語彙をドームに落としてきた錦戸担の戯言ですので、ご注意。ポエムですらない。偉そうに聞こえたらごめんなさい。
とりあえず、「Tokyoholic」に関するツイートをざっと。
・初日札幌を終えて
セッションの錦戸亮ちゃんのパートがもう最高でね 最高で 最高でしかなかった
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月10日
たぶん錦戸亮ちゃんは天才
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月10日
(目的地は大阪。飛行機欠航のため列車で札幌から東京を経由して帰宅した)でも東京着いて「東京か…」と全員で同じ歌のことを考えていて、あれの初披露を見れたんだと思えば札幌まで行ってよかったかもしれない、と考える、東京をほぼ家だと思い始めたころ
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月11日
セッションのやつ思い出して泣きながら髪の毛乾かしてる やっぱり錦戸亮ちゃんがこの世でいちばんかっこいい
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月11日
そんな時代に、でも、やっぱり「Tokyo」でしか見れない夢があるんだと思うと 胸が熱くなるね 好きじゃないのに、好きじゃないのに、でもやっぱり東京じゃなきゃだめなんだろうね がんばってね(上から)
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月11日
あのセッションの錦戸亮が書いたであろう歌詞が(たぶん錦戸亮だとおもう、たぶんね)もうほんっとに、好きで、あれを立ち上げたのが自担だとおもうと 泣けてしまう
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
だいすきだとおもったし 間違いないとも思ったし Tokyoの地で誰にも見れない夢を見ていてほしいと思った
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
錦戸亮ちゃんが「頑張ってる」ことがもうほんとに切なくて、知ってる、頑張ってることは知ってるから、がんばれなんて言えないし、がんばれと言われることしかできないファンの立場がああ頑張らなきゃなと思わされるのが好きだけど
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
錦戸亮ちゃんはTokyoでしか見れない夢のためにどれほど頑張っているんだろう 何を得て、何を諦めて、何のために頑張ってるんだろう
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
NOROSHI初回限定Aの「2016.10.25 session movie」が少しでも琴線に触れた人は、悪いことは言わないからコンサートに行ってください 頼むよ
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
たぶん やりたかったことができるようになってきていて 目指したいものを目指せるようになって そのためにいくらか摩擦を起こしてしまったとしても妥協をせず つまりまだ錦戸亮は関ジャニ∞を諦めていないし この先のずっと先の未来まで願ってるからあんな歌を
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
「あんな歌」って錦戸亮が関ジャニ∞に「ずっと一緒」と歌わせることを錦戸亮が自分に許したあの歌です https://t.co/tLBw8Z25Gk
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月12日
・東京
@tos 「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月15日
@tos
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月15日
① I don't like you, TOKYO
② I don't like you...
③ I can't hate you, TOKYO
錦戸亮ちゃんのやつの「こんな唄歌ったり」が錦戸亮ちゃんパートに次いで好きなパートなんだけどほんっとにもう! そんな唄歌ってさあ!
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月16日
錦戸亮ちゃんの書く「待つ」という歌詞のエモさ についてだれかブログ書いて語ってほしい
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月16日
TOKYO DOME でしか見られない夢がきっとあるんでしょうね pic.twitter.com/Zctb6qE52N
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月17日
わたしはこれまでの人生のほとんどを大阪のゆるやかなところで過ごした結果、東京でしか見れないような夢を願うようなことも手に入れようとすることもしなかったけれど、でも、錦戸亮ちゃんがもし東京という街に夢を持ってそこにいるのなら、それはどうしたってわたしの夢にもなり得るよなと思う山手線
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月18日
錦戸亮ちゃんがいつか叶えて、こちらに見せてくれる「夢」だよ
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月18日
@tos 「象」の「10年後またここで会おうよ そのときはいまよりずっと笑っていよう」という歌詞をモニターで見ながらいつの間にか泣いてた あんな唄歌ったりするような「ここ」で 10年後ほんとに会えるんかなって思ったら たまらなかった
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月18日
@tos いつにも増して「Tokyoholic」の錦戸亮ちゃんパートがかっこよくて 諌めるような目元があんなに余裕なくて でもあんな唄歌っちゃうくらい余裕があって でもがなるように歌うあのパート
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月18日
必死なんだ でも 必死やねん でも 必死なんです でもなく 必死なんじゃ というところによいところが全部出てる
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年12月20日
・音源化が決まって(「錦戸亮作詞・作曲・編曲」と発表される)
Tokyoholic 答え合わせ花丸把握しました 錦戸亮ちゃん2017年も間違いないね
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月31日
しれっとさらっとネタバレぶちかましてきてるあたり 多ステSNSレポ文化容認アイドル関ジャニ∞ですね
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2016年12月31日
クレジット確認して いや〜〜〜〜やっぱりそうですよね〜〜としか言えないけれど錦戸亮ちゃん作詞作曲編曲と知ってから聴く2017年最初のTokyoholic楽しみすぎて
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2017年1月2日
11/24の最高傑作は Tokyoholicなんだろうか それともBJ? なんにせよのびのびできててうれしいよ
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2017年1月2日
・福岡
やっぱり 他の誰がどうとかではなく Tokyoholicは 錦戸亮が歌ってこそ ああ そういう歌い方をする歌なんだよな と瞠目する というか そういう感じがする
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月3日
・大阪でのオーラスを迎えて
Tokyoholic のなにがいいかって クレジットが出る前にもうほとんどのファンが錦戸亮作詞だと疑っていなかったところ そしてその歌詞「こっちも必死なんじゃ」を錦戸亮が歌うというところ
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月14日
必死なところを実際に目の当たりにするような場面はほとんどないのに 必死だということは知っていて でもいつもそれは隠されていて でもやっぱり知っている からこそこうして歌われるとたまらんのだろうなと思うよ
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月14日
「Tokyoholic」に出会う前のわたしは錦戸亮ちゃんのことをどうやって好きでいたのか もう思い出せないくらいの関ジャニ'sエイターテインメント もうきっと嫌いになれない
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月15日
錦戸亮ならこれくらいできて当然だろう という信頼だって 下手すりゃ 上から見ていることと相違ないんだろうなと 強く思うよ でもそれでも 錦戸亮ならと思うよ おもってるよ
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月15日
そして その歌詞を良しとできるこのいまの環境ですよね というのを忘れていた https://t.co/pQtw5b4rBH
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月15日
穿った見方しすぎなのはわかるけど 錦戸亮が自分の半生を肯定できたのが「Tokyoholic」という歌なのだとしたら
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月15日
Tokyoholic をにゅすちゃんが聴く可能性
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2017年1月15日
何度だって言うけれど「Tokyoholic」のような東京への憧れ苛立ちを歌って「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」と臆することなく歌う錦戸亮を 肯定できるという この 受け入れられて賛美できるという点において「Tokyoholic」が最高
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月16日
錦戸亮ちゃんの歌詞とやすくんの歌詞が対応しているの 歌詞の内容にもそうだし 歌ってるのが同い年だというところもそうだし でもそれを「怖い」と笑いながら受け入れられる環境が最高(語彙は京セラドームにおいてきました)
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月16日
錦戸亮が「必死なんじゃ」と歌っていい32歳になってるのすごくない?
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月16日
カドフェスのコーナーで閃光スクランブルに帯がかかっているのを初めて見たけど、コメントにグッときて泣きそうだった 閃光スクランブルの女性アイドルのことだとわかってるのに pic.twitter.com/uov7de1vmc
— ゆ_ゆっけ (@sgsgyukk) 2016年7月1日
(これ=上記の「閃光スクランブル」のツイート)「Tokyoholic」聴くたびに これを思い出す
— ゅゅゆゅゆっけ (@yukkeight69) 2017年1月16日
案外ツイートしていないんですね。ネタバレ配慮していたからかな。もうツアー始まってから毎日ずっと「Tokyoholic」のことを考えていたので、100ツイートくらいしている気分でした。東京の2日目くらいまではタイトルも発表されてなかったから、「東京の歌」とか「セッションのやつ」とかって適当に呼んでいました、そしたらまあ、なんとも言えないタイトルで。錦戸亮っぽさが強くてちょっとだけ引いた。「うわあ」って。最高じゃないですか。錦戸亮みが強い。「うっわあ」ってなる。
そもそもセッションだけで最高だったんですよ、語彙が「最高」しかないのはもうドームに全部置いてきたからです。関ジャニ∞に奪われました。セッションの映像だけで最高にかっこよくて、錦戸亮が関ジャニ∞というバンドに寄せる感情の大きさもなんとなく察していましたし、しったかしたいわけじゃなくて、錦戸亮ちゃんがバンド形態大好きなのはもうみんなが知っているレベルのことで、だから、あのセッションだって、好きなことができて楽しそうだ、とか、音楽のことは全然分からないけどめちゃくちゃかっこよくて好きだ、とかそういう感想を持っていたんです。顔が可愛いという感想ばっかり抱いていた節もあるんですが、新しいことをさせてもらっている、錦戸亮が関ジャニ∞というバンドでやりたいことをしている、という感じがとてもあって、それだけでもう充分だったんです。顔も最高に可愛かったんですけどね。
でも、まさか、さあ、歌詞があるなんて思いもしなかったんです。
ファンには言葉にしなくてもわかってもらえる、多分、うまく言葉にできないこの、胸が熱くなる感情がそのまま分かってもらえると思う、あの錦戸亮ちゃんのパート。大本命。
「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」
このフレーズ。言葉にしてしまうことが勿体ないほどの、この、ぐっと込み上げる気持ちが、さあ、ファンにしか伝わらないのだとしたらファンでよかったと言い切れるよ。
錦戸担としてこの曲を聴くためにわたしは錦戸担になったんだと思ったし、わたしの短い錦戸担生活のすべてが報われたと思った、この曲を聴く前のわたしは錦戸亮ちゃんのことをどうやって好きでいたんだろうとさえ思う。この曲を作った錦戸亮ちゃんを知ってしまってどうやったら錦戸亮ちゃんのことを嫌いになれるのか、いつか興味を持たなくなる日がやってくるのか、分からない。絶対来ないと思った。このまま一生虜にさせられるのかと思うとちょっと怖い。「Tokyoholic」を聴いてから、今までよりも3倍くらい錦戸亮ちゃんのことを好きになった、どこまで好きになれるのか底が見えなくて怖い。
他の歌詞はちゃんと覚えてないんですが。やすくんのパートは「そんなはよ歩かれたら こっちも見失うわ」です。誰を見失ってるの~~~およよ。横山さんのパートが、担当楽器のせいなのか、それとも作った人間が横山さんに歌詞をあてることを恐れたのかは知りませんが、ないんですよね。なんでなのか説明してくれ。あとは、丸山さんのパートが半分アドリブっぽいところ、「もうあかんわ」が固定なところ、大倉さんのパートのリードギターが錦戸亮ちゃんなところ、東京への依存を歌うのが大倉さんだってところ、すばるさん村上さんのパートがそれぞれ一番と二番の対応する箇所だとか、村上さんの英詞がカタカナで書かれているところ、とか、もう、うろ覚えで良かったポイント挙げるくらいしかできないんですけど、あと2週間もたたないうちに歌詞カード見れると思ったらすごい。
そもそも「歌詞を書く」って、すごい行為だと思っていて。他者に自分のことばを歌わせるわけで、なんていうか、洗脳といえば聞こえは悪いけれど、そういう、思考を代わりに歌ってもらう、歌わせる、ってすごい行為だよなと普段から思っているので、関ジャニ∞にああいう歌を歌わせたのが錦戸亮だっていうところにドキドキしています。そして自分のパート。
「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」
多分、みんな、錦戸亮ちゃんのこういうところに惹かれてたんだ、どんな錦戸担も他担もそうなんだろう、と実感した。
錦戸亮なんて、努力の人か才能の人かでいえば、圧倒的に「才能の人」だと私は思っていて。けれど、その「才能」は努力に裏付けされたものだろうということにも薄々気がついてはいて。錦戸亮ちゃんは常々「頑張る」とは口にしてくれているけれど、それでも、その「努力」を実際に彼があんまり公にしないから、素知らぬ顔をしてこちらの予想を上回る最高の仕事をしてくれているから、「努力」が公にされない限りはそれらを「才能」の賜物だと思って、錦戸亮ちゃんのその「努力」にこっそり感謝しながらすべては彼の生まれ持った「才能」のために成せたことだと、そう信じることが彼への敬意だと思っていました、ずっと。万能の天才じゃないことには気が付いているけれど、「天才」だと思って好きでいることが、「努力」への礼儀だとすら思っていたところがあったんです。
それなのに、そんな風に好きでいたところに現れた「必死」ということばが、ここまで胸に迫るものを呼び起こすとは思ってもみなかった。この歌詞に難しい言葉なんて何一つないのに、小学生で習う漢字しかないのに。
私の語彙と文章力じゃ、「Tokyoholic」の良さを3%も伝えきれないので、悔しい。「錦戸亮ちゃんって天才なんじゃないかな!?」とツアーが始まってから毎分思い直しています。いつかの錦戸亮ちゃんが母親の後姿を見て泣いた、東京。村上くんに「一人暮らしって何食べたらええん?」と電話した東京。そうして、もうすっかり一年のほとんどを東京で過ごすようになって久しい今。ずっと「東京は仕事をする場所」だと話す関ジャニ∞が嘘をついているとは思っていなかったけれど、それでもまさかこの2016年に、あんな唄を歌うほどの感情を東京に抱いていたとは露ほども思わなかった。「東京」でもそこそこの地位を得たように見える彼らが、彼が、東京の地で「上から見んなや」と思っている誰かがいる、「必死」だと認めて、歌っている。必死なん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(´;ω;`)(´;ω;`)言葉になりませんでした。
東京ドームで聞いた「Tokyoholic」が忘れられない。
大阪から夜行バスで東京まで移動して、何度も訪れていたから近い近いと思っていた東京だったけれど、4日間も宿を転々として滞在していたら自分の家が随分と遠いところにあると気が付く。電車に乗っても、ご飯食べてても、周りから聞こえてくる会話のアクセントが、なんだかちょっとずつ心に溜まってすっきりしない。そういう、地元じゃないストレスがちょっとずつ蓄積して、あ、帰りたい、と思ったころに聴いた「Tokyoholic」だった。
自分がいまいるのがまさしくその「東京」なのか、と思い知らされて、聴いた「Tokyoholic」の次の曲が「象」だった。サビの「10年後またここで会おうよ」の「ここ」が東京ドームだと考えて、思わず泣いた。10年後、東京ドームに自分はいるだろうかと。だってもうすぐにでも大阪の実家の布団に潜り込みたいくらい疲れ果ててた、し、10年後関ジャニ∞が東京ドームでコンサートしてくれているのだろうとふと考えてしまって、それでも関ジャニ∞がかっこよかった。
「上京」ってそれだけでもう、語り尽せないほどの切なさをもたらすのは他のどんな唄だってそうなんだろうけれど、斉藤和義の「郷愁」とか、でも、それでも「Tokyoholic」のように「よっしゃ~~~~~~~がんばろう」という気持ちにさせてくれる関ジャニ∞が私にとっていちばんだよ。あ~~~~~~~~~私も頑張ろう、上京する気も大阪離れる気も一切ないけど、錦戸亮ちゃんの頑張りには三分の一も及ばないけど! 関ジャニ∞だって、錦戸亮ちゃんだって「上京」ということばにあっさりカテゴライズされてしまうんだ、って、もしかしたら初めて気が付いたかもしれない。上京した人が普通に抱えている感情を彼らも持っていて、アイドルだからとか、関ジャニ∞だからとかそういうことは関係なく、郷愁の感情を持っていたのかもしれないと思うと、なんだか不思議な感じがして、ここにきて大阪アピールがやめられないのは、そういうせいなのかなってちょっとだけ思った。大阪でしか生きてきていない私にはさっぱりわからない感情だけれど。
そういう、自分では絶対に体験しない(と捨てた)ものを、関ジャニ∞が見せてくれるから、関ジャニ∞越しに自分のものじゃないけれどなにか「夢」を見ていて、ただのファンなのに大きなものの一端に触れているような気にさせられて、東京ドームで泣いたりするんだろうね。上から見てるくせに勝手だね。
22歳のときの休みが3日しかなかった、と雑誌のインタビューで答えているのを読んだ。2016年は怠けてた、って。彼独特の謙遜だって含まれているだろうけれど、22歳のときをわたしは知らないけれど。でも、「Tokyoholic」を作った2016年、32歳の錦戸亮がどの錦戸亮よりもきっといちばん素敵だと思う。去年は、「元気が出るSONG」を作った錦戸亮はどの錦戸亮より 天才だと思ったし、「バナナジュース」ではいつのまにサックス習得したんですかさすがですねって誇らしい気持ちになったし、でも錦戸亮だからぜんぶ当然だとも思った。今年は、それが当然じゃないんですよね、って認めて素直に、その才能に惚れ直した。前髪があろうがなかろうが、本当はどうだっていいように、その才能が天性だろうが努力だろうが、私にとってはどうでもいいことなのかもしれない。生み出してくれたものこそが、見せてくれたものだけが、すべてなのかもしれない。でもさーーーーーーーーーーーーーーーー、でもさーーーーーーーーーー、「Tokyoholic」超いい歌じゃないですか、もう一番好き、この世にある歌のなかで一番好き。大好き。語彙がどんどん死んでいく。大好きと天才と最高しか言えない。
たった数年のくせに錦戸亮ちゃんを好きになる前の自分を思い出せないし、いまさら錦戸亮ちゃんに出会わなかった自分の人生が思い浮かべられないし、「Tokyoholic」を聴いてしまった今、「Tokyoholic」を披露する前の錦戸亮ちゃんをどうやって好きでいたのか、もう思い出せない。なんでこんなに浮かれているのかってくらい浮かれているので、「Tokyoholic」のない2016年11月のわたしに自慢してやりたい、錦戸亮ちゃんはおまえが思っているよりも100倍天才やぞって。
いまがいちばん好きだって言えることが嬉しい。関ジャニ∞がたのしい。
「Tokyoholic」は「なぐりガキBEAT」通常版のカップリングに収録されます。よろしくおねがいします。