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錦戸亮は毎秒死に絶えている / アイドルは作家である

 前回のブログとは打って変わって軽薄なノリのブログになる予感がしています! なんてったってお誕生日なので。そんな記念すべき今日のブログは「錦戸亮ちゃんは毎秒死に絶えている」「アイドルは作家である」の二本立てです。全体的に頭の弱い錦戸担による自担お誕生日仕様の脳内垂れ流しとなっておりますので、悟りでも開こうとしているのかな、と優しく見守ってくだされば幸いです。「錦戸亮」という名前がゲシュタルト崩壊起こしそうなほどに出てくるので気を付けてください。

 

 

錦戸亮は毎秒死に絶えている

 ということは毎秒新しい錦戸亮が生まれているということです。生まれ続けている。この瞬間の錦戸亮はもう次の瞬間には存在していなくて、それを「死ぬ」ことだとすれば、毎秒死に続けていることになりますよね。そうして毎秒生まれている。生まれ続けている、同じだけ死に続けている。数秒前の錦戸亮と数秒後の錦戸亮が全く一緒だなんてことは無いでしょうし、ちょっとずつの変化も積み重なって人は変わるのだということを、私が私に思い知らすためのことばです。物騒ですね。

 毎秒死に絶えて、毎秒同じ分だけ生まれているとすれば、錦戸亮(31)が生まれてしまった世界ではどう足掻いても錦戸亮(30)には出会うことはできません。錦戸亮(30)はすべて死んでしまった過去の産物です。「錦戸亮」という麗しい名前の後ろに「(30)」と付く期間が365日間しかないということを、はたして私たちはきちんと理解していたのでしょうか。覚悟は足りていたのでしょうか。祝おうとも嘆こうとも、30歳の錦戸亮は二度とこの世に帰ってこず、どんな感情を抱えているかはさておきファンは31歳になった錦戸亮を受け入れて、そうして今日から365日間、錦戸亮(31)をめいっぱい好きでいるしかない。そう思うと1分1秒が勿体なくて仕方ないこの11月3日です。

 

錦戸亮ちゃん31歳のお誕生日おめでとうございます!!!!!31歳って何歳なんですか!!!!!!!!!30歳の錦戸亮ちゃんに全身全霊でお礼を申し上げたい所存です!!!!!

 ありがとうございますおかげさまで一年間とっても楽しかったです。30歳のお誕生日はごめんね青春!の現場でお祝いしてもらってましたね。こんな好きになれる!?ってくらいへいちゃん先生を演じる錦戸亮に沸いた去年でした。ビジュアルが天使だった。三十路になると人って天使になるのかな、と考えたりもしました。あれからもう一年だなんてやはり覚悟が足りなかったのかもしれないと自責するばかりです。勿体ない、もっと心ゆくまで愛でればよかった。

 去年のツアーの東京ドーム公演*1で、すばるさんがへいちゃん先生の演技のことをひたすら褒めていてもう、呼吸もままならなかった記憶があります。あれも30歳のことなのですね。過去ですね。30歳素敵だったなあ、とひたすら思い出に浸ってしまいそうです。とはいえ、毎秒毎秒死んでいったその屍を積み重ねていって30歳の彼が生まれているのであって、こんな30歳になっていると知ったら死んでいったたくさんの錦戸亮も報われるのでは、と思ったり、さすがに考え方がまともじゃないな、と反省したりしています。

 前回のブログで「いつか錦戸さんがスタンスを変えてすべて洗いざらい話してしまうかもしれないことが怖い」といった旨の記述をしましたが、それも、こういう考え方に起因しています。生まれ続けている錦戸亮が死んでしまった錦戸亮と全く同一の考え方をしているとは限らない、「寡黙」という美学だって捉え方が変化して「話せることは伝えるべき」と説明責任を果たしてくれようとする可能性だってゼロじゃない、というそういう決してマイナスではないけれど変わっていくことによっていまとは違うことが起こりうる可能性は十分あるんだろう、と考えたから、でした。生まれ変わって、変わっていく錦戸さんを悲しんでしまうようなことだけは、けして、したくないと思っています。出来るのかな。心配です。「過去は過去であるというその一点においてのみ素晴らしい」というようなセリフがこの間観た舞台*2にあって、まさしくそうだなあと思います。もう二度と会えない代わりに、もう誰にも過去の思い出を侵されない。侵されるとしてもそれはタレント本人のことばだったり、に限られます。変わっていくのは致し方ないとして、過去を踏みにじられなかったらいいな、と思って少し不安になってもいます。とはいえ、この2015年、31歳を迎えた錦戸さんを好きでいられているのだから、どうせ出来るのだろう、と安心しきって楽しみにしている部分もあります。

 だって、30歳の錦戸亮、とても魅力的だったでしょう?

 ファンになった当初、20代前半だった彼を応援しながら「この人が三十路になっても好きでいられるのかな」ってたまに不安を覚えたりしていたのですが、このザマですから仕様がない。大好きだよ…なんなら20代前半よりも好きになってるよ……。人に冗談半分で「あなたが想像しているより、わたし錦戸亮ちゃんにベタ惚れですからね」とよく言うのですが、自分で想像しているよりもベタ惚れなような気がして、もう自分でたまらなくなっています。かっこいいんですよお、もう、本当に。大正解。

 さいきん、錦戸亮ちゃんのインタビューが一風変わってきて、「もしや過渡期?」と思ったりもしますが、過渡期という言葉を辞書で引くと「定まっていない時期」とも出るのですね。定まっていなくはないかな、と思って過渡期という言葉を訂正します。もしくは、わたしが彼を見る観点が少し変わったのかもしれません。自担が変わったのか、わたしが変わったのか。ただ、なんとなく、ニュアンスとして「もしかして、錦戸亮は変わっていっているのではないか」という、人は変わるというのは普遍的な真実だけれど、それが今まさに彼に起こっている、そういうことを実感させられているような気になった一年だったということです。毎秒死んでいるのだから、変わっていかないわけはない、のだけれど、まざまざとその変わりゆくさまをわたしたちはいま、見ているのではないか、という思いにさせられる。その反面、変わっていないところも克明になる。こういうときに、雑誌のインタビューなどを引用して、こういう風に彼が言っている、昔ならこんな風に言わなかった、昔と今を比べてこう言っている、などとしたくなります。所詮インタビューなんて、答えているタレントにとってはそこまで重要度の高いものでもないことも、ある一面だけの真実性の乏しいものであることも、分かってはいるのですがどうしても、躍起になってしまいます。インタビュー記事につられて買うとき、言質を取ったった感が抜けなくて、今回は差し控えますが、いざとなればこのインタビューを盾に……!なんて考えてしまいます。

 そもそも、わたしは錦戸亮ちゃんの何を知っているのだろう。好きなタレントについて「顔と名前くらいしか正確に知らない」といったようなことがたびたびオタク界隈で言われますが、顔も果たして本当に知っているのか。バラエティ番組にゲストで彼が出ているとき、わたしはその番組を見るけれど、なんだか不思議な感じがします。わたしがこの人のファンなのかと新鮮な気持ちになります。わたしの好きな「錦戸亮」と世間でジャニーズタレントとして知られている「錦戸亮」は果たして同一人物なのでしょうか。わたしは誰のことを好きでいるのだろう。本当に錦戸亮なのかな。錦戸亮ってどんな顔してましたっけ。

 と思って、不意に、なんらかの媒体で錦戸さんの顔を見るじゃないですか。すると「えっ、なにこのイケメン!?えっかっこいい、だれこれ、めっちゃかっこいい!めっちゃ好み!!」ってどんぴしゃで心を掴まれるんです。そのあとに「あっ、これ錦戸亮ちゃんだった…自担だ…」となります。そして「この人、自担なの…!?わたしがお金を費やしている人この人なの…!?」となるんです。べた惚れの真相はこれです。疑心暗鬼になっても、前後不覚になっても、結局、浅はかなほどに惹かれていることを思い知らされて、一層深みに堕ちていくんです。特に何も考えずに、キーボードを叩いていますが、いよいよ頭が痛い子だなという自覚が芽生えてきました。

 年月は確かに経っていて、わたしが好きになったころの錦戸亮はもうどこにもいない。どこにもいないけれど、わたしはそれでも錦戸亮を好きなままでいる。きっと、変わらないものはいくつかあって、その変わらないものがある限りは何かが変わってしまっても、相変わらず好きでいられるのだろうと思います。つまり何って、好き!ってことです。それだけです。一般的目線とか、客観性とか、社会的な彼の立場とかどうでもいい! 彼がどんな意識をもって仕事をしようが、それに感嘆するのは二の次で、一番に「好き」という感情が先行するのだと思います。何が好きなのかわからないけれど、好きだと思っている間は、もう好きなんででしょう。理由なんて、探せばいくらでも言えるけれど、それはわたしが彼のことを好きだと思っているから、なのです。好きだから、好きな理由を見つけられるのです。好きのゲシュタルト崩壊を起こしそうなブログですが、お誕生日なので許してください。

 正直、グループの色に染まり切ったりして、変わっていく錦戸亮を目の当たりにして、とても楽しいと思っています。この間、Johnny's webがリニューアルしましたが、錦戸亮の年別バイオグラフィーの2006年と2013年の仕事量の差に驚きました。責任とか規模とかが増したのだろうとは思いますが、それでも、圧倒的に少なくて、こんな風に環境が変わって人が全く変わらないなんてことあるはずがない。もう、彼が目立たなくても関ジャニ∞として不足なく成立するような時代で、関ジャニクロニクルでキャラもののコーナーもらえたり、ジャニ勉でも率先してチャレンジしていく彼を見て、たまらない面白さを感じています。最近よく前髪を上げて固めるヘアスタイルが多くて、ファンはそれを嘆いているのですが、それすら遊びの一種のように思えます。錦戸亮の前髪というコンテンツで遊んでみせている。おそらく、前髪があろうがなかろうが、結局どうしたって好きなのに、「前髪があればうれしい」とファンは思って前髪がないと嘆いてみせる、そういう髪型ひとつで惑わされるこの状況を楽しんでいるファンも一人や二人はいるんじゃないのかなあ、と思います。そのうちの一人が私なのですが。かつては、関ジャニ∞のエースとして(いまでもそうだとは思っていますが)がむしゃらに働いてきた時代があって、けれど、もういまでは足並みそろえて他のメンバーと同じ仕事が出来る。同じスピードで歩いて行ける。かつて彼が切望していたバンドとしての関ジャニ∞も認められてきて、次のステップにメンバー全員で臨もうとしている。そういう今日も、それはそれで良いな、と思います。きっと彼がたくさんのものを諦めてでも今日まで死にもの狂いで守り切ったものが、関ジャニ∞としての自分だったのだろう、と思うので。そういう過去にはもちろん敬意を払いながら、いま、たった前髪だけに一喜一憂している(わけではないですけど)。たまらなく平和で、そうしてたまらなく楽しいファンとしての姿勢だなあと個人的に思います。まあ、ファンにしてみればもうなにより重要なことなんですけれど!!もっとビジュアルに気を使ってくださいよ!!!と文句も垂れてみたりして。

 プライベートでも、アサイーにハマったり(なにその食べ物!)、忙しすぎないときは週3でジムに行くと公言していたり(かっこいい!)、挙句の果てにはスケボーに乗って朝ごはん買いに行くらしいのとか(ちょっと何言ってるかわかりません!)、最高にクレイジーでたまらないです。どんどんコンテンツになっていく彼の性格や、物の捉え方、生活習慣などが、彼がアイドルなのだということを思い知らせてくれるし、芸能人っぽいなあとしみじみしてしまいます。そういう錦戸亮というコンテンツの面白さを、きっと今後はより堪能できるはずだ、と信じています。そういう31歳の彼を、ファンという特別な視点からまた一年間見ていたいなと思います。毎秒死に絶えている、今この瞬間の錦戸亮の可愛さはこの瞬間にしか生きていないのだ、と切なくなるほどに言い聞かせながら。

 

 

アイドルは作家である

 二本立てにするべきじゃなかった。説得力もくそもないですね。

 まあ、ずっと思っていたことなんですが、文学専攻の講師が専門に研究している作家について説明してくれるときに「こいつはほんとにねえ!なんなんだ!と思いながら研究して…」とおっしゃっていて、愛にあふれているけれどそれゆえの冷たさも持っていて(作品は褒めるけれど人間性についてべた褒めはしない、とか)、そういうところが、(みんながみんなというわけではなくあくまで一つのパターンですが)ジャニヲタの自担に対するそれとよく似ていたので、やはりスタンスとしてよく似ているのでは、と思った次第です。

 アイドルだって作家だって作品だけを好きになる人だってもちろんいるでしょうが、どういう生い立ちか、どういう時代背景なのか、どういう環境でその作品が生まれたか、ファンなら知らず知らず把握していますよね。もしくは調べたりする。その作家の書いたものなら全部読むという人もいる、そのアイドルが出たものは全部見るという人もいる、逆に、好きだけど全部触れているわけじゃないという人もいる。よく似ていませんか? たとえば、どういうことを思ってその作品を書いたのか・その仕事をしたのか、誰と仲が良く誰かに影響を受けたのか、どういう価値観で生きていたのか、その時代の業界の中でどういう立ち位置でいたのか、そういうことを知ったうえで、改めて本人の仕事っぷりについて考えることが、どちらの場合でもおそらくあるのではないか、と思うのです。どんだけ評価されててもCD売れなきゃ、本が売れなきゃ元も子もないというところも似ているかもしれませんね。

 担当制度についてあれやこれやと議論が交わされていますが、私は、どちらかというとこういうことに近いのでは、と思ったりしています。そのタレントを専攻している、というような。とはいえ、文学専攻の人間ではないので、なんとなーくのニュアンスですすみません…。っていうかやっぱり、二本立てにするべきではなかったですね。

 

 

 

おわりに

 わたしがどれだけ内容のないブログを書いていても、それらを書かせる原動力になっているのが「錦戸亮」というアイドルだと思うと、とんでもないような気がしてきますね。アイドルってすごい。毎日毎日ひたすら好きだ好きだと言っていても、「ああはいはい、ジャニヲタだからねえ」と流してもらえる。ましてや共感してくれる友人がいる。アイドルってすごい。錦戸亮がアイドルでよかった。この一年間も、変わらず健康にいてくれることを、まず、なにより願っています。お誕生日おめでとうございます。とりあえず、手始めに、このブログの文字数だけ錦戸亮ちゃんに幸運が訪れますように!!!!

 

 

 

 

 

 

*1:関ジャニ∞関ジャニズム LIVE TOUR 2014≫2015」東京ドーム12月13日公演

*2:中山優馬さんの「ドリアングレイの肖像」