読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「Tokyoholic」の話

つい先日オーラスを迎えた、関ジャニ's エイターテインメントでの個人的な最大のサプライズだった「Tokyoholic」。錦戸亮の立ち上げたセッションが誰も想像していなかったかたちに進化して歌詞のある曲として披露された、札幌初日からの14公演を終えても、音源化が決まっても、ああだこうだ言うのが止まらないのでいっそブログに吐き出します。「ゲッツ出の新規」になりたい気持ちが止められない、げろげろに自担に惚れこんでいる、もともとない語彙をドームに落としてきた錦戸担の戯言ですので、ご注意。ポエムですらない。偉そうに聞こえたらごめんなさい。

 

とりあえず、「Tokyoholic」に関するツイートをざっと。

・初日札幌を終えて

(目的地は大阪。飛行機欠航のため列車で札幌から東京を経由して帰宅した)

・東京

・音源化が決まって(「錦戸亮作詞・作曲・編曲」と発表される)

・福岡

・大阪でのオーラスを迎えて

(これ=上記の「閃光スクランブル」のツイート)

 

案外ツイートしていないんですね。ネタバレ配慮していたからかな。もうツアー始まってから毎日ずっと「Tokyoholic」のことを考えていたので、100ツイートくらいしている気分でした。東京の2日目くらいまではタイトルも発表されてなかったから、「東京の歌」とか「セッションのやつ」とかって適当に呼んでいました、そしたらまあ、なんとも言えないタイトルで。錦戸亮っぽさが強くてちょっとだけ引いた。「うわあ」って。最高じゃないですか。錦戸亮みが強い。「うっわあ」ってなる。

そもそもセッションだけで最高だったんですよ、語彙が「最高」しかないのはもうドームに全部置いてきたからです。関ジャニ∞に奪われました。セッションの映像だけで最高にかっこよくて、錦戸亮関ジャニ∞というバンドに寄せる感情の大きさもなんとなく察していましたし、しったかしたいわけじゃなくて、錦戸亮ちゃんがバンド形態大好きなのはもうみんなが知っているレベルのことで、だから、あのセッションだって、好きなことができて楽しそうだ、とか、音楽のことは全然分からないけどめちゃくちゃかっこよくて好きだ、とかそういう感想を持っていたんです。顔が可愛いという感想ばっかり抱いていた節もあるんですが、新しいことをさせてもらっている、錦戸亮関ジャニ∞というバンドでやりたいことをしている、という感じがとてもあって、それだけでもう充分だったんです。顔も最高に可愛かったんですけどね。

でも、まさか、さあ、歌詞があるなんて思いもしなかったんです。

 

ファンには言葉にしなくてもわかってもらえる、多分、うまく言葉にできないこの、胸が熱くなる感情がそのまま分かってもらえると思う、あの錦戸亮ちゃんのパート。大本命。

「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」

このフレーズ。言葉にしてしまうことが勿体ないほどの、この、ぐっと込み上げる気持ちが、さあ、ファンにしか伝わらないのだとしたらファンでよかったと言い切れるよ。

錦戸担としてこの曲を聴くためにわたしは錦戸担になったんだと思ったし、わたしの短い錦戸担生活のすべてが報われたと思った、この曲を聴く前のわたしは錦戸亮ちゃんのことをどうやって好きでいたんだろうとさえ思う。この曲を作った錦戸亮ちゃんを知ってしまってどうやったら錦戸亮ちゃんのことを嫌いになれるのか、いつか興味を持たなくなる日がやってくるのか、分からない。絶対来ないと思った。このまま一生虜にさせられるのかと思うとちょっと怖い。「Tokyoholic」を聴いてから、今までよりも3倍くらい錦戸亮ちゃんのことを好きになった、どこまで好きになれるのか底が見えなくて怖い。

他の歌詞はちゃんと覚えてないんですが。やすくんのパートは「そんなはよ歩かれたら こっちも見失うわ」です。誰を見失ってるの~~~およよ。横山さんのパートが、担当楽器のせいなのか、それとも作った人間が横山さんに歌詞をあてることを恐れたのかは知りませんが、ないんですよね。なんでなのか説明してくれ。あとは、丸山さんのパートが半分アドリブっぽいところ、「もうあかんわ」が固定なところ、大倉さんのパートのリードギターが錦戸亮ちゃんなところ、東京への依存を歌うのが大倉さんだってところ、すばるさん村上さんのパートがそれぞれ一番と二番の対応する箇所だとか、村上さんの英詞がカタカナで書かれているところ、とか、もう、うろ覚えで良かったポイント挙げるくらいしかできないんですけど、あと2週間もたたないうちに歌詞カード見れると思ったらすごい。

そもそも「歌詞を書く」って、すごい行為だと思っていて。他者に自分のことばを歌わせるわけで、なんていうか、洗脳といえば聞こえは悪いけれど、そういう、思考を代わりに歌ってもらう、歌わせる、ってすごい行為だよなと普段から思っているので、関ジャニ∞にああいう歌を歌わせたのが錦戸亮だっていうところにドキドキしています。そして自分のパート。

「そんな上から見んなや こっちも必死なんじゃ」

多分、みんな、錦戸亮ちゃんのこういうところに惹かれてたんだ、どんな錦戸担も他担もそうなんだろう、と実感した。

錦戸亮なんて、努力の人か才能の人かでいえば、圧倒的に「才能の人」だと私は思っていて。けれど、その「才能」は努力に裏付けされたものだろうということにも薄々気がついてはいて。錦戸亮ちゃんは常々「頑張る」とは口にしてくれているけれど、それでも、その「努力」を実際に彼があんまり公にしないから、素知らぬ顔をしてこちらの予想を上回る最高の仕事をしてくれているから、「努力」が公にされない限りはそれらを「才能」の賜物だと思って、錦戸亮ちゃんのその「努力」にこっそり感謝しながらすべては彼の生まれ持った「才能」のために成せたことだと、そう信じることが彼への敬意だと思っていました、ずっと。万能の天才じゃないことには気が付いているけれど、「天才」だと思って好きでいることが、「努力」への礼儀だとすら思っていたところがあったんです。

それなのに、そんな風に好きでいたところに現れた「必死」ということばが、ここまで胸に迫るものを呼び起こすとは思ってもみなかった。この歌詞に難しい言葉なんて何一つないのに、小学生で習う漢字しかないのに。

私の語彙と文章力じゃ、「Tokyoholic」の良さを3%も伝えきれないので、悔しい。「錦戸亮ちゃんって天才なんじゃないかな!?」とツアーが始まってから毎分思い直しています。いつかの錦戸亮ちゃんが母親の後姿を見て泣いた、東京。村上くんに「一人暮らしって何食べたらええん?」と電話した東京。そうして、もうすっかり一年のほとんどを東京で過ごすようになって久しい今。ずっと「東京は仕事をする場所」だと話す関ジャニ∞が嘘をついているとは思っていなかったけれど、それでもまさかこの2016年に、あんな唄を歌うほどの感情を東京に抱いていたとは露ほども思わなかった。「東京」でもそこそこの地位を得たように見える彼らが、彼が、東京の地で「上から見んなや」と思っている誰かがいる、「必死」だと認めて、歌っている。必死なん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(´;ω;`)(´;ω;`)言葉になりませんでした。

 

東京ドームで聞いた「Tokyoholic」が忘れられない。

大阪から夜行バスで東京まで移動して、何度も訪れていたから近い近いと思っていた東京だったけれど、4日間も宿を転々として滞在していたら自分の家が随分と遠いところにあると気が付く。電車に乗っても、ご飯食べてても、周りから聞こえてくる会話のアクセントが、なんだかちょっとずつ心に溜まってすっきりしない。そういう、地元じゃないストレスがちょっとずつ蓄積して、あ、帰りたい、と思ったころに聴いた「Tokyoholic」だった。

自分がいまいるのがまさしくその「東京」なのか、と思い知らされて、聴いた「Tokyoholic」の次の曲が「象」だった。サビの「10年後またここで会おうよ」の「ここ」が東京ドームだと考えて、思わず泣いた。10年後、東京ドームに自分はいるだろうかと。だってもうすぐにでも大阪の実家の布団に潜り込みたいくらい疲れ果ててた、し、10年後関ジャニ∞が東京ドームでコンサートしてくれているのだろうとふと考えてしまって、それでも関ジャニ∞がかっこよかった。

「上京」ってそれだけでもう、語り尽せないほどの切なさをもたらすのは他のどんな唄だってそうなんだろうけれど、斉藤和義の「郷愁」とか、でも、それでも「Tokyoholic」のように「よっしゃ~~~~~~~がんばろう」という気持ちにさせてくれる関ジャニ∞が私にとっていちばんだよ。あ~~~~~~~~~私も頑張ろう、上京する気も大阪離れる気も一切ないけど、錦戸亮ちゃんの頑張りには三分の一も及ばないけど! 関ジャニ∞だって、錦戸亮ちゃんだって「上京」ということばにあっさりカテゴライズされてしまうんだ、って、もしかしたら初めて気が付いたかもしれない。上京した人が普通に抱えている感情を彼らも持っていて、アイドルだからとか、関ジャニ∞だからとかそういうことは関係なく、郷愁の感情を持っていたのかもしれないと思うと、なんだか不思議な感じがして、ここにきて大阪アピールがやめられないのは、そういうせいなのかなってちょっとだけ思った。大阪でしか生きてきていない私にはさっぱりわからない感情だけれど。

そういう、自分では絶対に体験しない(と捨てた)ものを、関ジャニ∞が見せてくれるから、関ジャニ∞越しに自分のものじゃないけれどなにか「夢」を見ていて、ただのファンなのに大きなものの一端に触れているような気にさせられて、東京ドームで泣いたりするんだろうね。上から見てるくせに勝手だね。

 

22歳のときの休みが3日しかなかった、と雑誌のインタビューで答えているのを読んだ。2016年は怠けてた、って。彼独特の謙遜だって含まれているだろうけれど、22歳のときをわたしは知らないけれど。でも、「Tokyoholic」を作った2016年、32歳の錦戸亮がどの錦戸亮よりもきっといちばん素敵だと思う。去年は、「元気が出るSONG」を作った錦戸亮はどの錦戸亮より 天才だと思ったし、「バナナジュース」ではいつのまにサックス習得したんですかさすがですねって誇らしい気持ちになったし、でも錦戸亮だからぜんぶ当然だとも思った。今年は、それが当然じゃないんですよね、って認めて素直に、その才能に惚れ直した。前髪があろうがなかろうが、本当はどうだっていいように、その才能が天性だろうが努力だろうが、私にとってはどうでもいいことなのかもしれない。生み出してくれたものこそが、見せてくれたものだけが、すべてなのかもしれない。でもさーーーーーーーーーーーーーーーー、でもさーーーーーーーーーー、「Tokyoholic」超いい歌じゃないですか、もう一番好き、この世にある歌のなかで一番好き。大好き。語彙がどんどん死んでいく。大好きと天才と最高しか言えない。

たった数年のくせに錦戸亮ちゃんを好きになる前の自分を思い出せないし、いまさら錦戸亮ちゃんに出会わなかった自分の人生が思い浮かべられないし、「Tokyoholic」を聴いてしまった今、「Tokyoholic」を披露する前の錦戸亮ちゃんをどうやって好きでいたのか、もう思い出せない。なんでこんなに浮かれているのかってくらい浮かれているので、「Tokyoholic」のない2016年11月のわたしに自慢してやりたい、錦戸亮ちゃんはおまえが思っているよりも100倍天才やぞって。

いまがいちばん好きだって言えることが嬉しい。関ジャニ∞がたのしい。

 

 

 

なぐりガキBEAT(通常盤)

なぐりガキBEAT(通常盤)

 

 「Tokyoholic」は「なぐりガキBEAT」通常版のカップリングに収録されます。よろしくおねがいします。